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ただ、その特徴を示す幼児達がまるっきり生まれない数年間もある。割合的に若干少ないその数年間のみ、あの崖は観光客に開放されるという仕組だったんだね。今は幼児達がいるから閉鎖されているけど、土地神が直々に先導して連れて行ったため問題無し、と処理されたらしい。俺は気づかなかったがあのとき土地神は、散山脈諸島のメインAIが知覚可能な波長に、あえてなっていたのだ。ではなぜ、土地神はそれをしたのか? その答は、幼児達の示す特徴にあった。あの子たちは、崖によって生まれる上昇気流を翼で受け止めて空へ舞い上がろうとする仕草を、本能的にしていたのである。そうあの子たちはかつて大空を自由に飛んでいた竜族の、先祖返りだったんだね。
もっとも、厳密には先祖返りではない。空へ舞い上がろうとする仕草はすれど、実際に舞い上がった子は一頭もいなかったからだ。しかしそれでも、本能的にその仕草をする子供達を集めて幼児期を共に過ごさせ、番になりやすくすることを何万年も続けていれば、竜族は飛ぶ能力を取り戻すかもしれない。との希望のもと、その試みは数万年も続けられていた。それはほんの僅かだが実り、1千年単位で見れば先祖返りの幼児達は着実に増えていた。特に今の幼児達は期待されており、あの子たちと俺を対面させるべく、土地神は俺と美雪をあの崖に連れて行ったというのが真相だった。そうあれには、かくなる裏があったのである。
が、悪い気はしなかった。竜族の悲願を叶えるかもしれない子たちと俺を対面させることより、俺と美雪があの崖で素晴らしい時間を過ごすことを、土地神は優先してくれたからだ。実際、崖の上にいる俺に多大な関心を寄せる子が複数いたけど、土地神は「我慢しなさい」と子供達を叱り続けていたからね。まあ土地神は俺に過去を見る能力があることを知ったうえで、それをしていたのかもしれないけどさ。
しかしたとえそうだとしても、
「竜族の幼児って、可愛いなあ」
可愛い子供達に、俺は目尻を下げまくっていた。前世の終盤、日本では異世界転生小説が大流行していた。剣と魔法の異世界に竜は不可欠ゆえ様々な役割を与えられて小説に登場し、その中でも高い人気を博していたのが、主人公を竜の親にすることだった。大人になれば最強でも生まれたばかりの赤ちゃん竜はまだ弱く、主人公を親として純粋に慕ってくる。それは作品の大きな魅力の一つなので挿絵の赤ちゃん竜は常に可愛く描かれ、そしてその赤ちゃん竜に、緑竜の幼児達はとても似ていた。全体的に丸く、お目々はもっと丸くキラキラしていて、白い鱗に全身を覆われていたのだ。動物の赤子の産毛に白が多いように、竜族の赤子も白い鱗をしていたのである。そしてその子たちが、
「ボク知ってるよ、こんなふうにしたら空に舞い上がるんだよね!」
と上昇気流を翼で受け止める様子に、俺は居ても立ってもいられなくなってしまった。その子たちの目は、未来の希望に輝いていた。幼い今は無理でもこうして訓練を続けていれば、いつか必ず空を飛べるようになる。そう信じ、効率の良い風の受け止め方を探している子供達の目が、遠からず光を失い絶望に染まることを想うと、今すぐ子供達のもとに駆け付けて飛行器活性法を教えたいと願わずにいられなかったのである。薄々気づいていたが、俺は努力する子供にしこたま弱いらしい。でも仕方ない、それが俺なのだ。俺は開き直り、己が波長をいつも以上に高める。そして緑竜の先祖の原竜族が誕生した頃まで、アカシックレコードを遡って行った。
予想していたとおり、原竜族の誕生を目の当たりにするには、この星の第一時代まで遡らねばならなかった。第一時代は、創造主の分身である本体を有する人が、この星に生まれた時代。人は、本体を持つ生物の頂点として各惑星に一種類ずつ創造されたのだ。それと対を成すように、本体を持たない生物の頂点も各惑星に一種類ずつ創造された。この惑星におけるそれが、原竜族。そう原竜族は、地球における石竜人だったのである。
言及するまでもなく、両者には異なる点が多い。その最大は、竜族は闇落ちしていないということ。その仕組は今後の研究課題にするとして、石竜人が変身能力を今でも保持しているのに対し、竜族が飛行能力を失っているのも異なる点と言えよう。思うに、闇落ちと変身能力は相性が良く相互補完してきたのに対し、闇落ちと飛行能力は水と油ほど違い、闇落ちしなかった代わりに飛行能力を失ったのではないだろうか? また飛ぶ自由を再獲得すべく努力を重ねてきことは闇落ちを遠ざけることと相性が良く、相互補完してきたように俺は感じた。
ただ、何事にも終わりや限度がある。勘にすぎないがひょっとすると、竜族の努力は限界を迎えつつあるのかもしれない。絶望が希望を上回る、寸前なのかもしれない。仮に上回った時、史上最強の闇族が人類大陸に進軍してきたらどうなるのか? 絶望というネガティブとネガティブ種族の間に、共鳴が生じてしまうのではないかと俺は感じている。
アカシックレコードには、因果の連なりとしての未来も記されている。それを見れば勘の正誤は一目瞭然でも、そうする気がどうしても起きなかった。一方、「準備が整ったから出発だ!」系の気持ちは滾々と湧いてくる。向かう先はもちろん、宇宙創造前の次元だね。もし準備が不十分だったら戻ってくればいいんだし、それを確かめるためにも出発してみますか。みたいな軽いノリで、俺はかの次元へ向かった。そして、暫しののち。
「緑竜に飛行器活性法を教えるのは、是」
との結論を得た。その結論と、たまたま気づいたある可能性の計二つを胸に、俺は準四次元へ帰っていったのだった。




