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天風一族数千人は全員、本家である天風五家のどれか一つを先祖に持っている。小夜子さんの父方の実家は五百年以上前に本家から枝分かれした、一族としては平均的能力の家だったが、祖父母は先祖帰りと呼ばれるトップ555の上半分に名を連ねた人達だった。それは母方の祖父母も同様だったため小夜子さんの親族は、本家に次ぐ実力を有する一派の一つとして一目置かれていたという。
その中にあって小夜子さんは、異例なほど戦闘力が低かった。幼少期から英才教育を施され、かつ遺伝的優位性もあったにもかかわらず、戦士になるのは絶望的と予想されていたのだ。言うまでもなく天風一族の人達は心の成長の面でも秀でているため小夜子さんを差別したりイジメたりはしなかったが、それでも小夜子さんの味わった孤独は計り知れない。一派最年少の小夜子さんは本来なら一派全体の末娘や末妹として可愛がられたはずなのに、実際は物心ついた時から、親兄弟を含む親族に気の合う人が一人もいない孤独な日々を過ごしていたという。
そんな小夜子さんに、天は更なる苦難を与えた。二つ前の第18次戦争に出征した親族が、悉く戦死したのである。残されたのは高齢により出征できなかった祖父の兄つまり大叔父夫婦しかおらず、しかも祖父と絶縁していた関係で顔を見たことすらない人達だったため、大叔父夫婦の家への帰省を強いられる長期休暇が小夜子さんは苦痛でならなかったらしい。そう小夜子さんは十代を、学校では恋人のいない落ちこぼれとして、長期休暇中は気の合わない厄介者として、過ごしていたのだ。
しかし十代終盤、小夜子さんに希望の光が差した。小夜子さんの境遇を憐れんだ功さんと翠さんが、学校卒業後はメイドとして働かないかと提案してきたのである。落ちこぼれの小夜子さんにとって筆頭当主夫妻は、はっきり言って雲の上の人だった。しかしお二人の人間性を信頼していたこともあり、小夜子さんはそれを受けることに決める。するとお二人は、長期休暇中は住み込みのメイド見習いになることを再度提案。堪らず泣きだした小夜子さんを慰める功さんと翠さんに、小夜子さんは生まれて初めて、温かな身内の情を感じたという。
功さんと翠さんはもちろん、すぐ上の先輩である哲治さんと響子さんにも可愛がられた小夜子さんの人生は、一変した。せめてもの恩返しに全身全霊で働いていたところ、鷹さんの家の新人執事さんに小夜子さんは見初められることになる。二人はとても気が合い、ほどなく夫婦となった。結婚式で両親の席に座ってくれた功さんと翠さんを、小夜子さんはずっと心の中で、お父さんお母さんと呼んでいたそうだ。だから・・・
「だから功と翠が昇と奏として戻って来たことを、小夜子は喜んでね。ちょっとやそっとでは表現しきれないほど、あの子は喜んでいたの。そしてそういう時、小夜子が知っている唯一の恩返しの方法は、懸命に働くことだけだった。どんな些細な仕事でも、小夜子は心を込めてしていたわ。それを、創造主は報いてくれた。その報いの先頭に立っていたのが、翔だったのよ。創造主は翔の働きに、いたく感心してね。追加報酬を考えなければならないって、嬉しげに言っていたくらいだったの。私からもお礼を言わせて。翔、ありがとう」
せっかく母さんにお礼を言ってもらえたのに、わななく口をどうしても制御できなかった俺は、「どういひゃひまひぃひぇ」と噛みまくってしまった。でも、それで当然だろう。子供時代を不幸な境遇で過ごしたこと。疎外感を覚えていようと近しい家族を、戦争で悉く失ったこと。学校では恋人のいない落ちこぼれ、帰省中は気の合わない厄介者だったこと。しかしメイドになってからは一変し、幸せだったこと。正しく評価されるのが困難な心を込めて働くことが、唯一の恩返しの方法だったこと。しかし創造主はそれを見逃さず、小夜子さんにきちんと報いたこと。これらの一つだけでも俺を涙ぐませるのにこうも連続したのだから、涙腺が完全決壊して当然だったのである。それを重々承知している母に恵まれたお陰で噛みまくっても明るく笑ってもらえたし、きっとこれで良かったのだろうな。
明けて翌朝。
小夜子さんと翼さんの両方からメールが届いていた。ここ数年、長期休暇中は名家巡りで忙しく、今日も二家訪問する予定だったが、事情を説明しキャンセルさせてもらった。そしてカレンに飛び乗り、小夜子さんの家へ向かった。
小夜子さんの家も哲治さんや響子さんと同様、本家の屋敷からとても近い場所にあった。それもあり俺が駆け付けた時は親族がまださほどおらず、落ち着いて話すことが出来た。といっても時間は、5分弱だったけどね。
その5分弱は小夜子さんの他界を、新婚旅行中の昇と奏に伏せることの確認に使われた。二人が新婚旅行へ旅立つ前に今生の別れを済ませていたようだし、異論はない。二人に代わり、俺は気遣いの感謝を述べた。
その後は親族が続々と詰めかけて来て、俺と翼さんは部屋の隅へ移動した。そして昨夜母さんに教えてもらった小夜子さんの人生を、テレパシーで告げた。「翔さんのことだから大泣きしたんでしょ」「バレバレだ~」のように打てば響く会話が楽しく、小夜子さんが創造主によって選ばれた俺の生徒だったことを含むほぼ全てを翼さんに伝えてゆく。テレパシーなので、膨大な情報を一気に送れたんだね。翼さんは母さんの優しさに涙を零し、母さんと俺に幾度もお礼を述べてくれた。言うまでもなく、頭を撫でられた件は伏せたけどさ。
その後は俺が立ち会ってきた沢山の人々と大差ない時間が過ぎてゆき、小夜子さんは正午、天に召された。小夜子さんの最期は、眠るように安らかだった。
その日の深夜、母さんが二晩連続で俺の夢にやって来た。そして小夜子さんが、この星を去って行ったことを教えてくれた。昨晩小夜子さんが母さんと黙って視線を交差させたさい、その決意を告げたことは予想していた。だがそれと、悲しみがせり上がってくるのは別問題。天風の地を訪れるたび、小夜子さんは真心を込めて俺をもてなしてくれた。その光景が、瞼の裏に次々映し出されてゆく。無数に映し出されるその光景に、俺は無数の涙を流した。
翌々日の夕刻、昇と奏が新婚旅行から帰って来た。二人は新婚旅行を徹底的に楽しんだらしく、良い意味で頭空っぽになっていた。良い意味というのは、嫌味ではなく俺の本音。誰よりも小夜子さんが、それを望んでいたはずだしさ。
その望みも込みで、小夜子さんがこの星を去ったことを二人に伝えた。二人は呼吸を忘れるほど驚いたのち背中を丸め、顔が床と平行になるほど項垂れ、己の薄情さを悔いていた。それは不要なことだけど、小夜子さんと暮らした前世を明瞭に覚えている二人には、二人ならではの想いがあるのだろう。俺は二人の丸まった背中に手を置き、小夜子さんが心配するからあまり自分を責めないよう告げた。
昇と奏は晩ご飯中も背中を丸め続け、就寝の挨拶をするまでそれは続いたが、翌朝は打って変わって元気になっていた。二人によると昨晩夢に小夜子さんと母さんが現れ、心ゆくまで話せたのだそうだ。厳密には昨晩は、小夜子さんの意識は洗浄されていたはずだけど、この宇宙の本質は無限の多様性。抜け道は、複数あるんだね。よって、
「本物の小夜子さんと本音で語り合い、心残りなくお別れできたのだろうな」
昇と奏の素の笑顔に、俺はそう信じて疑わなかったのだった。




