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その後の夕食に、母さんは今日も参加してくれた。この上なく嬉しい反面、忙しいのに無理してるんじゃないかな、と案じてしまうのも事実。よって勇気を出して尋ねたところ、
「意識を分割して複数個所に同時出現できるから平気よ」
と、ぶっ飛んだ返答をされてしまった。白状するとこの時点で、巨大すぎる彼我の差に眩暈を覚えていたのに、母さんは更なる差を平気で提示してきたのである。
「あら? 翔はアカシックレコードを読みたいのよね。本物のアカシックレコードを十全に読みたいならこの星を卒業して、次の星も卒業して、その次の星も卒業しないと無理だわ。それに比べたら、意識分割による同時出現なんて造作もない。これごときで動揺しないでね」
上体をフラフラさせつつ自問した。こうもハードルを上げられて、俺は一体どうすれば良いのかな?
けど、意識分割や本物のアカシックレコードを読む資格等々を教えてもらえるだけでも、幸せなのは間違いない。よって、
「幸せな者として頑張ります!」
というありきたりの、しかし正真正銘の誓いを、俺は立てたのだった。
――――――
翌日の、午後4時57分。
トイレで用を足している最中。
「母さんの集中講義も、今日を入れて残り三日しかない。う~んどうしよう?」
ヘタレの俺は、今日の講義の希望を訊いてくるに違いない母さんへの返答に、頭を悩ませていた。
希望する講義は、前世の謎を解明するものと、今生の謎を解明するものの、二つに大別される。しかし前世の謎と一口に言っても、昨日講義してもらったお金のように人間社会における根源的な謎もあれば、中二病的な謎もある。アトランティス人が分析した地球の政治、戦争、税金、法律等々の問題点及びその解決方法を学びたいという強烈な欲求があるのと同時に、母さんだからこそ解説できる超古代文明やUMAや心霊現象に狂おしいほどの興味を覚えるのも、まごうことなき事実なのだ。特に心霊現象は、俺自身がこうして生まれ変わっているだけに興味が尽きない。俺が特殊なのか三途の川などの死後の世界を微塵も覚えてないし、転生しているため守護霊やお化けになるのもたぶん無理だし、ならば巷に流布している守護霊やお化けはどういう仕組みなのかな? といった具合に、謎が幾らでも湧いてくるのである。
それに比べたら、今生の謎はまだ可愛いのかもしれない。闇人や闇大陸については戦士の必須知識として講義されるだろうし、この星の政治等は美雪や冴子ちゃんでも完璧に教えてくれるはずだし、また文化に関しては、孤児院の子供達との交流を通じて学んでいけば良いからだ。と思っていたのだけど、
「いや違う!」
便器に向かいつつ俺は叫んだ。高度な文明を5万年以上維持してきたこの星には、想像を絶するほど美味しい料理やお菓子があるはず。またもしアニメや漫画があったら、それらは笑い過ぎて酸欠になるほど面白かったり、涙を流し過ぎて水分不足になるほど悲しいに違いない。どうやら俺は、反重力エンジンに代表される科学技術よりも、料理や娯楽やスポーツや芸術などの文化に惹かれるみたいなのだ。であるなら、やはり文化は孤児院の子供達に教えてもらうのが最善と思われる。スポーツやお菓子の話題を通じて、皆と友達になれるかもしれないからね。
などとアレコレ考えつつ手を洗い終え、俺は小走りで屋外テーブルを目指した。歩かず走ったのは、余裕をもって着席したかったから。余裕があれば、美雪や冴子ちゃんと会話を楽しむことも出来るしね。
そうこうするうちテーブルに着き、自分の席に座った。まずは左隣の冴子ちゃんに挨拶し、お約束のボケ突っ込みをしてから美雪の顔を見上げる。すると不思議なのだけど、
「僕と同年齢の子供達は、座学で何を学んでいるのかな?」
無意識にそう尋ねていた。その回答を半ば以上知っているのに、なぜ改めて尋ねたのだろう? 心の中で首を捻る俺に美雪は微笑み、ありきたり中のありきたり的な返答をした。
「新しく始まる集団生活の、心構えを学んでいるよ」
繰り返しになるが、それはありきたりの見本のような返答だった。講義開始まで残り十秒を切っている現状を鑑みれば、受け答えとしても最良と言えるだろう。よって首肯と共にその件を忘れ、母さんが現れることに傾注すれば生徒として満点だったのに、そうはならなかった。心構えという語彙が、巨石の如き存在感を頭の中で放っていたのである。幸い母さんが現れたことをしっかり知覚し、挨拶もそつなくこなせたけど、巨石は一向に去ってくれない。さてどうしたものかと表情に出さず思案していた俺の耳に、
「翔、今日の講義の希望はある?」
母さんの声が届いた。その直後、本日二度目の不思議がこの身に降りた。
「僕と同学年の子供達と同様、新しく始まる集団生活の心構えを学びたいです。日々の生活を介して心を成長させる具体的な方法があったら、心構えの筆頭として励みますから、ぜひ教えてください」
無意識に、そう請うていたのだ。不可解さは拭えずとも、母さんがたいそう満足気に頷いていたので、まあいいかという事にした。かくして講義が始まる。
「日々の生活を介して心を成長させる具体的な方法を、三つ紹介するわ。特に一つ目は、前世が日本人だった翔のために選んだの。励んでくれると嬉しいな」
「いや母さん、そんなことを言われて僕が全力を尽くさない訳ないですよ!」
と瞬時に返すことで仲良し二人組のボケ突っ込み的な会話になったのを、母さんはとても喜んだのだろう。弾む声音で、一つ目が説明された。
「一つ目は、『自分にとってそれはこういう意味だから、相手もそれを同じ意味で使っているに違いない』と、絶対に思わないことね。酷でしょうけど、はっきり言うわ。私と私の同胞達は、日本人の成長を最も妨害しているのはコレだと考えている。日本では、人格者と称えられている人すら、コレを平然と行っているのよ。地球の同胞達はそれを、心底憂いているわね」
孤児院で小さな子を大勢育てた翔なら経験あるかなと前置きし、三歳未満の子供とするかくれんぼを母さんは例に挙げた。
三歳未満の子に「隠れて」と頼むと、両手で両目を覆い視界を塞いだだけで「隠れたよ」と返されることが多い。鬼役の目の前に突っ立ったままでも隠れたと主張し、かくれんぼが成立するとその子は考えるのだ。これは自他の区別がまだ付いていない、三歳未満特有の反応なのだという。手で目を覆い視界を塞げば、自分は相手を見ることができない。すると自他の区別がついていない子は、こう思うらしい。『自分の視界に相手がいないのだから、相手の視界にも自分はいないに違いない』 このような理由により、自分の視界を塞いだだけで隠れたと、その子は主張するのである。
しかし三歳を過ぎ自他の区別がつくようになると、相手から見えない場所に身を隠すことが可能になってゆく。こうしてかくれんぼがやっと成立するのだが、他者との交流が家族に留まっているうちは、自他を区別する能力はさほど伸びないという。子供の気持ちを家族が察してしまうため『異なる考えを持った別人』という感覚を、獲得しにくいそうなのである。獲得しにくいのは子供のみならずダメ親も含まれ、かつダメっぷりが深まるほど獲得しづらくなるのだがそれは脇に置いて、幼稚園以降の集団生活に環境を移そう。
幼稚園や保育園に入園すると、自他を区別する能力の重要度は桁外れに上がる。相手の気持ちを考えず自分の欲求ばかりを押し付けていたら、友達を作るのは困難だからだ。小学校に入学すると重要度は益々上がり、小学三年生になっても区別する能力が低いと、自己中認定されかねなくなる。日本人の場合はそれが行きすぎ、「空気を読む」等の恐怖によって学校生活が支配されてしまうのだがそれは次に説明するとして、
「このように、自他を区別する能力と心の成長度は、きっちり比例するの。最も顕著で最も容易な判断基準とさえ、言えるわね」
「酷でしょうけど、はっきり言うわ。私と私の同胞達は、日本人の成長を最も妨害しているのはコレだと考えている。日本では、人格者と認められている人達すら、コレを平然と行っているのよ」 どうかこれが、大勢の日本人に届きますように。




