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奏はそれから暫し、舞ちゃんと素で盛り上がっていた。計算無しの付き合いを舞ちゃんとしてきた証拠を目の当たりにした男組は、目をしきりと拭ったものだ。ストレス解消と活力補給になったのだろう、奏は数分前より張りのある声で打ち明け話を再開した。
幼年学校が職場だったことは、昇との関係にも影響を及ぼしていた。前世を思い出す前の昇は奏にとって、マザコンの弟以外の何者でもなかった。思い出した後はしっかりしてきたため、仮に奏が幼年学校に行かなければ、昇を弟と思わなくなっていたかもしれない。しかし幼年学校で弟分たちの世話に明け暮れていた奏にとって、昇は弟の延長線上にいる存在であり続けた。「昇がそれを怒って喧嘩になっていたら、認識が変わっていたかもしれないのに」 背中を丸めた奏が吐露したその言葉によくぞ冷静さを保ったと、俺と勇は昇を密かに称賛したものだった。実際は冷静だったのか、大いに怪しいんだけどね。
それはさて置きその吐露のとおり、昇への認識と現実の昇に少しずつ齟齬が生じ、かつ齟齬は年々大きくなっていった。当初は無視できたが次第に無視しにくくなり、そしてついに無視不可能になった瞬間が訪れた。奏はその瞬間を、幾重もの意味で生涯忘れないという。確かにそれは、そのとおりなのだろう。昇、奏、鷲、橙、晴、藍の六人で受けた準四次元の最初の授業で、人生初の劣等感を味わった瞬間がその時なのだから。
昇の才能に負ける経験は、それ以前も数回していた。ただそれは理数系の勉強という、戦士の才能と比べたら重要度が数段劣る分野だったこともあり、不快ではあっても劣等感を覚えるほどではなかった。また奏は準四次元の授業の開始前、準四次元で教えを受けることに絶対の自信を持っていた。幼年学校入学前に受けたたった1カ月ちょっとの授業で学年筆頭になったことが、自信の根拠だ。なのに蓋を開けてみたら自分は昇にまったく歯が立たないどころか、2歳下の鷲達にすら劣ったのである。それは奏を打ちのめし、人生の大転換期となった。大転換期ゆえ様々なことがその前後で決定的に変わり、そしてその一つに昇への感情があった。ここで注意すべきは変わったのは感情であって、態度ではないということ。態度は前も後も「素直になれない」の一言で描写できるが、どのような感情を素直に出せないかという『感情』は前後で決定的に変化したのだ。前はマザコンの弟であっても成長したら将来の夫になることを、奏は穏やかな気持ちで受け入れていた。素直になれなかろうとそれは一時的な現象に過ぎず、昇が成長し自分との差が縮まれば素直な関係に労さずなれると奏は漠然と考えていた。が、それは間違っていた。奏は複数の重要事項を、逆に捉えていたのだ。逆の最大は、「昇が成長し自分との差が縮まれば」の箇所。自分は昇の遥か先にいると考えていたがそれは逆で、実際は遥か後ろにいた。それが現実なのだと準四次元の初授業は奏に突き付け、それが契機となり昇への感情が決定的に変化した。昇を男性として意識した奏は、昇に恋をしたのである。
奏が昇に恋をしているのは、一目瞭然と俺は思っていた。しかし恋心を抱いたのが準四次元の初授業だったことを知らなかったのだから、俺は奏を知っているつもりでしかなかったと考えるべきだろう。それにしても、ここに翼さんがいてくれたらどれほど心強かったことか。翼さんを呼べない原因となった自分に、俺は腹が立ってならなかった。
昇に恋をしたとはっきり口にした奏はさすがに恥ずかしかったのか、深呼吸を一つして話を再開した。ちなみに俺の隣に座っている昇は、深呼吸を三回していたな。
などと余裕をこいていた俺は奏の打ち明け話を聴くにつれ、深呼吸を幾らしようと落ち着けない状態になっていった。なぜ俺は、考えもしなかったのだろう。俺の存在が、昇と奏の恋の邪魔をしてきたのだと。
準四次元の初授業を機に、奏は昇に恋をした。恋をしたら、二人きりの時間を楽しみたいと願うのが人の常。幼年学校の期間中は二人きりの時間を確保するのは無理でも、家が隣同士なのだから長期休暇になれば容易に確保できるに違いない。という奏の予想は半ば当たり半ば外れるも、恋する少女としての願いに半々は適用されず、願いは実質的に微塵も叶わなかった。当たったのは、長期休暇になれば二人きりに容易くなれた事。外れたのは、昇と素直に交流できないせいで楽しくなかった事。そして実質的に微塵も叶わなかったのは、たとえ二人きりになるという願いが叶おうと素直になれないというくだらない理由のせいで楽しくないなら、すべては台無しという事。奏は、そんな状態に陥ってしまったのだ。
それは尋常ではないストレスとなり、奏を苦しめた。仮にストレスを解消する術が無かったら、量の莫大さ故に奏は体調を崩し、体調を崩したことが巡り巡って素直になれるきっかけになったかもしれない。だが不幸にも奏には、莫大なストレスを一瞬で消し飛ばしてしまう存在がいた。それが、俺だ。俺は奏のストレスを消すことで、奏を不幸にしていたのである。
冷静に振り返ると、長期休暇で久しぶりに会う奏がああも俺に甘えた理由は、幼年学校の休暇の方が戦士養成学校の休暇より早く始まり、かつ長かったからなのだろう。早く始まるため俺がやって来るころにはストレスが莫大になっていて、それを俺の短い滞在期間中に解消しておかないと、俺がいなくなった以降を保てなくなる。巨大なストレスに翻弄され、昇と絶縁しかねないほどの喧嘩をしてしまうかもしれないのだ。久しぶりに会う奏がああも俺に甘えた訳はそれだったのだと、俺はやっと理解したのである。
そう理解したのが前世の俺だったら、自殺していたかもしれない。自殺後にかけてしまう周囲への迷惑を天秤にかけ、迷惑をかけたら申し訳ないという罪悪感に僅かながら針が傾いたため踏みとどまるも、死んだのと変わらない人生をその後は送ったと思う。俺のせいで奏が不幸になっていたということは、俺にとってそういう事なんだね。
奏がこの打ち明け話をするきっかけになった「お兄ちゃんのバカバカバカ~」も、舞ちゃんが俺を「女の敵」と呼んだのも、勇の「夫の敵」も昇の「恋人の敵」も、今なら掌を指すように理解できる。バカバカ~の前に奏は俺に八つ当たりをし、つまり八つ当たりをせねばならぬほど巨大なストレスを抱えていたのに、俺がそれを消してしまった。奏の胸中への俺の推測は的中しており、人は深い理解を示されると喜びを覚え、そしてその喜びが、昇との関係を変える契機になったかもしれないストレスを消してしまったのである。奏の一世一代の打ち明け話中にもかかわらず、以前とまったく同じ手法で奏を不幸にした俺が我慢ならず、奏はバカバカを連発した。そんな俺と奏の関係を十全に把握し、かつ三十年近く見てきた舞ちゃんは俺を「女の敵」と認定し、勇は夫の立場から「夫の敵」とし、昇は未来の恋人として「恋人の敵」とした。これがさっきの、仕組だったのだ。
前世のみならず今生の俺でも、自殺しかねない事案と言える。
だが今生の俺は、様々なことを学んでいる。その一つは、
この命は俺だけの命ではない
ということ。




