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 奏は物心つく前から、俺に溺愛されることを目的とした無数の計算尽くの行いをしてきたという。前世を思い出してからは益々加速し、夢で戦闘訓練を受けている最中、こんな決意をしたそうだ。俺に溺愛されるためなら、どんな悪女にもなってみせると。

 その「どんな悪女にもなってみせる」という決意が、翼さんへの反感の大本と奏は明かした。翼さんは俺の伴侶になる計算をしても、悪女にはならなかった。前世への反省が、今生も悪女になることを拒絶したのだ。にもかかわらず、悪女になる決意をした自分より俺に近しい場所にいる翼さんをどうしても許せなかったと、奏は一言一言を絞り出すように語った。舞ちゃんが奏の背中を、あたかも嘔吐を促すように撫でていなければ、いかに覚悟しようと奏はそれを吐露できなかったかもしれない。

 奏が翼さんと和解したことにも、悪女は関わるという。実はこの件を明かしたのは今回が二度目で一度目は翼さんであり、そして翼さんが条件付きで奏に賛同し助力を約束したことが、和解のきっかけらしい。その条件は、「俺を悲しませる悪女にならないこと」だったそうだ。


「私はお兄ちゃんに嫌われる悪女にはならないけど、お兄ちゃんを悲しませる悪女にはなるかもしれない。悲しませないなら賛同するし助けもするって、翼お姉ちゃんは約束してくれました。私を可愛がるお兄ちゃんは幸せそうだから『あの人が幸せならそれでいいの』って微笑んだ翼お姉ちゃんは、私よりお兄ちゃんに近い場所にいるべき女性だってあのとき理解したんです。だから和解ではなく、降参が正しいですね」


 偽りのない晴れやかな笑顔で奏がそれを言ったのでなければ、俺は罪悪感で心臓が止まっていた可能性が高い。神話級の健康スキルが作動し、自動的に再鼓動したと思うけどさ。

 翼さんの観察はまこと正しく、奏を溺愛することは俺をいつも幸せにしてくれた。奏もそれを正確に感じ取っていたし、周囲が眉を顰めるようなあくどい計算をする必要もなかったため、思う存分可愛がられる日々が数年間続いた。そうそれは、数年で終わりを迎えた。奏が年齢を重ね子供特有の純粋さを失っていったのに対し、俺は奇跡なのか馬鹿なのか定かでないがいつまでも純粋さを失わなかったことが、終焉の理由だったという。子供時代の恩恵の一つである努力せずとも純粋でいられた時期が遠のくにつれ、奏は自分を汚れていると感じるようになっていったそうなのである。このままでは約束を反故にしてしまうと恐怖した奏は翼さんに洗いざらい打ち明け、助力を請うた。翼さんはたいそう困った顔をし「変な気を起こさないって約束できる?」と問い、奏が肯定の返事をするのを見届け、こんな話をしたという。


「悪の本質は、悪ではないのかもしれない。前世の翼お姉ちゃんは焼身自殺者を出すほどの淫乱な悪女だったけど、今生ではそれが自分を助けてくれている。お兄ちゃんが幸せならそれでいいと思える自分は、淫乱な悪女を反省する自分。お兄ちゃんと自分の両方が幸せにならないと気が済まない自分は、淫乱な悪女を引きずっている自分。『そのお陰で、どちらを選べば良いかなんて微塵も迷わないでいられるの』って翼お姉ちゃんは感謝の仕草をしたあと、『だからって悪女になろうだなんて変な気を起こしちゃダメよ』と震える声で言ったんです。怖がらなくていい私は変な気なんて起こさないって確約したら、同性の私でもドキッとするほど素敵に翼お姉ちゃんは微笑みました。二度目の降参をしたことにも助けられ、それ以降は汚れていると思わない範囲で計算高くなるよう自分を制御できるようになりました。でもそれも、数年で終わりましたけどね」


 翼さんにどうお礼をすればいいか分からず苦悶する自分を放り投げ、俺は全身を耳にし続けた。奏の一言一句を心に刻もうとする俺を助けるかのように、奏は活舌良くゆっくり話していった。

 奏によると、俺への計算尽くの行動には「計算せず素をさらすという計算」も含まれていたらしい。白状すると、俺はここで初めて腑に落ちた。素をさらして欲しいと俺が望むタイミングを奏が一度も外さなかったことを、俺も僅かながら疑問視していたのである。なるほどそうだったのかと納得した直後、新たな疑問が脳を駆けた。


『計算皆無で素をさらしたことが、奏にあるのだろうか?』


 記憶を探ったところ、母親の小鳥姉さんと母親同然の鈴姉さんとはそういう付き合いを普通にしていたように思えた。舞ちゃんとも素の自分で普通に交流していたし、翼さんも和解以降はその輪に間違いなく加わっていた。だが父親の達也さん、父親同然の雄哉さん、そして俺と勇との交流を振り返っているうち、背筋が寒くなっていった。ひょっとしてこの四人は、計算せず素をさらすという()()()()()()しか、見たことがないのではないか? いやそんな事あるわけないと、二分割した心の一方で首を横へ懸命に振っていた俺の耳に、奏の告白が届いた。「私はいつの間にか男性の前で、計算尽くの自分を演じることしかできなくなっていたんです」と。

 奏が初めてその兆候に気づき危惧を覚えたのは、前世を思い出した直後だったらしい。3歳にして俺への計算尽くの行動が既に確立していた奏は、男性全般にそれをすることを忌避しなくなっていたのだそうだ。しかし女は多かれ少なかれ皆そういうものという前世の記憶と、母親達や舞ちゃんとは計算無しで交流している事実が、ことの重大さを覆い隠した。3歳という年齢もあり兆候に気づいた翌日には、危惧自体を忘れてしまっていたという。

 幼年学校での生活も、忘却を後押しした。同性でも母親達や舞ちゃんには可愛がってもらいたいと願い普通に甘えられたが、幼年学校の保育士は違った。転生前に子供達の世話をしていた奏にとって保育士は同僚であり、甘える対象ではなかったのだ。それは保育士達も同じだったらしく、赤子とほぼ変わらない3歳児を率先して世話し、かつ前世の記憶のある奏を、頼りがいのある同僚と保育士達は認識していたそうなのである。「甘えて可愛がられたいという想いを長期休暇で全て解消できていましたから、私にとって幼年学校は、住み込みで働いている職場と何も変わらなかったんです。むしろ正規の保育士をしている今より、幼年学校で偽保育士をしていたときの方が、張り切って働いていましたね」 との告白に、舞ちゃんが同意した。


「あ~、それ少し分かるかも。私にとって保育士は働いていると言うより、100人の家族をひたすら世話して可愛がっているだけ、みたいな感じだから」「舞お姉ちゃんもなんだ、やった~~!!」

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