4
翌午前8時、いつもの素振りを輝力主導で始めた。しかし白薙を三度振っただけで素振りを止め、美雪に問うてみる。
「白薙の精密操作が急に上達したように感じるんだけど、どうかな?」
俺はこの1年を、正確には11カ月と3日を、輝力だけに費やしたのではない。白薙の精密操作も、心血を注いだものの一つだったのである。理由は複数あるが筆頭を挙げるなら、「楽しかったから!」になるだろう。
俺のこの体は、運動神経がすこぶる良い。運動神経の良し悪しは本来なら健康と無関係なのだろうが、神話級というぶっとんだ等級なら話は別。運動音痴に苦悩する暗い子供時代を送るより、それとは無縁の子供時代の方が健康的なら、そうなるのが神話級なのである。かくして俺はただでさえ運動神経が良いのに、3歳という年齢は神経が爆発的に成長する時期でもある。白薙の精密操作に時間を割けば割くほど精密さが爆発的に伸びていくという、奇跡のような時期のただ中に俺はいるのだ。さらに加えて、高負荷訓練で体を苛め抜いてもさほど疲れず、疲れたとしても一晩寝れば疲労が完璧に消滅するとくれば、訓練中毒になるのも頷けるというもの。己の体の高性能ぶりを堪能しつつ訓練し、訓練すればするほど体はより高性能化し、しかも疲労や病気やケガにまったく無縁で心身ともにいつも元気百倍という11カ月間を、俺は過ごしてきたのだ。その日々が、楽しくないワケがない。かくして「楽しかったから!」が、白薙の精密操作に心血を注いだ最大の理由になったのである。
具体的な数値を挙げると、幅1ミリ長さ50センチの3D棒を、縦に両断することが可能になった。それをする際の腰の揺れ幅を少なくすることにも心血を注ぎ、一歩前進しつつ白薙を振っても、揺れ幅を5ミリ未満に留められている。といってもこれらの数値が、同年齢の戦士の卵達と比べて優秀なのか否かは、てんで判らないんだけどな。
まあそれはさて置き、美雪に問うた白薙の精密操作の急上昇について、俺達はこんな会話をした。
「そうね、急上昇したわ。今の翔なら幅を半分にしても、綺麗に両断できるわね」
「半分の幅ってことは、今は0.5ミリが可能なんだね。腰の揺れ幅の方は?」
「それもきっちり半分の、2.5ミリ未満ってとこでしょう」
「むむう、なるほど・・・・」
「あら、嬉しくないの?」
「ううん、嬉しいよ。数値を知って黙ったのは、急上昇の理由を考えていたからなんだ」
「ふふふ、頑張って考えてね」
「うん、任せて姉ちゃん!」
美雪がそう言うのだから、俺は自力で正解にたどり着けるはず。座学で心に浮かんだ疑問も、全て正解にたどり着けたからさ。
訓練場でこの11か月間、俺は変化のほぼ無い日々を過ごし、そしてその中には座学も含まれていた。朝食後に毎日必ず、美雪の講義を受けていたのだ。テーマは多岐に渡りそのどれもこれもに興味を覚えたが、飛び抜けていたものが一つあった。それは、この星の歴史。なんとこの星はかつて、アトランティスの植民星だったのである。
アトランティスの科学力は一般的に広まっているよりも遥かに高く、銀河系全域に宇宙船を飛ばしていたらしい。その過程で地球に驚くほど似た惑星を発見し、古代アトランティス人はその星を植民星にした。まず似ていたのは、主星の恒星と諸惑星の関係。主星は太陽と一卵性双生児の如くであり、第三惑星の植民星までの距離も太陽と地球のそれとほぼ変わらず、植民星のサイズや地軸の傾きも不可解なほど地球と酷似していたのだ。陸地の形状こそ異なれど海流は似ていたため、熱帯温帯寒帯と四季があることも地球に等しかった。気候が等しいと動植物にも大きな差が見られなくなるのか、こちらの類似性も奇妙なほどだった。という惑星だったのにも関わらず、決定的に異なる事もあった。それは、知的生命体の存在。植民星の知的生命体は、およそ十万年前に絶滅していたのである。
ただこの、先住民がいないという環境は、植民星としてこれ以上ない優れた要素だったのだろう。銀河の反対に位置していた割には移住者もそれなりにいて、人口も1億に届いたとの事だった。しかしアトランティス本国が海に沈み、植民星として本国の意向に従う必要がなくなってからは、科学偏重を改め精神性の高い文明へ舵を切った。そしてその過程で、恒星間飛行技術を失ってしまったという。それでも量子AIを始めとする高度な科学技術を保持していたこの星は、約3千年前、実験の失敗によって滅びの危機を迎える事になった。それは、ネガティブの穴を塞ぐ実験だったのである。
ナノマシンの白血球や有機ナノマシンの合成万能細胞を開発していたアトランティス人は、他の惑星へ移住できるほど強力な免疫を保有していた。癌を始めとする難病も克服済で病気と無縁の社会を実現していたが、植民星では体調を崩す人が僅かにいた。調査したところ、意外な事実が判明した。人の住む大陸の丁度反対にある大きな島に、原子サイズのネガティブの穴が開いていて、そこから漏れ出たネガティブに影響され病気になる人がいると判ったのである。その後の調査により、10万年前に開いたその球状の穴のせいで地軸が傾き先住民が絶滅したことを知ったアトランティス人は、大激論を経て穴を塞ぐ決定をした。だがその最初の実験に失敗し、穴の直径が百倍になってしまった。球状の穴の直径が百倍になると、漏れ出るネガティブの量は百万倍になる。その百万倍に勝てず、島にいた人々は極少数の例外を除き瞬時に発狂した。それは星の反対側の大陸にまで及び、頭を抱えて蹲る人が続出して社会が大混乱に陥った。蹲る人は1分足らずで半数を超え、危篤状態に陥った人も人口の5%に及んだ。そう人類は、滅びの危機を迎えたのである。
幸い島に、発狂を免れた若手科学者がたった二人だけいた。恋人同士だった男女は自分達の命を犠牲にして、穴を封印することに成功する。だが成功しても、百万倍のネガティブの影響を完全に封印することは叶わなかった。島の生態系は変化し続け、千年後にとうとう闇人が出現することになったのだ。そしてそれ以降の1900年間、闇人と人類は100年ごとに戦争を繰り返してきたのである。
というこの星の歴史を扱った座学のどこが難しかったかと言うと、美雪が某語彙を使わなかった事にある。その語彙は、アトランティス。そう美雪はアトランティスという語彙を決して口にせず、「銀河の反対側にかつてあった超科学文明を誇る本国」という表現を使い続けたのである。そのせいで普通の歴史の座学を受けていると俺は考えていたのだが、
「そういえばこの星のメートル法や六十進法は、その本国が使っていたの?」
と美雪に問うや、それは難解な謎解きの授業となった。大変な苦労を経て本国がアトランティスだったことを突き止めてからは、別の危惧が生じた。巨大な逡巡の末、俺はその危惧を美雪に直接尋ねた。
「僕が地球人の生まれ変わりだってこと、姉ちゃんにバレてたのかな?」
「あはは、バレてたよ~」
あっけらかんとそう答えた美雪によると、この星の人々はほぼ全員、前世を朧げに覚えているという。人口の55%は前世もこの星の住人だったが45%は他の星からの転生者で、元地球人は人口の0.5%、つまり200人に1人いるとの事だった。前世の記憶を思い出した元地球人には、メートル法や六十進法に疑問を抱くという共通点があるためすぐ判るらしい。俺はその疑問を口にした事はなかったが、この星の科学技術ならセンサーで容易に判別できるのだろう。日本語を使っていると俺が考えていたのは痛々しい勘違いだったのでそれは脇へうっちゃり、とても気になっていることを思い切って訊いた。
「えっと、姉ちゃんは僕が気持ち悪かったりする?」
見た目は3歳なのに成人男性の精神を有するというのは、女性にとって嫌悪の対象になるのではないかと恐れたのだ。しかし、
「まったく、姉が弟を気持ち悪がるなんてあり得ないわ」
美雪はそう言って、俺を抱きしめてくれたのである。3Dの虚像だろうがそんなの関係なく、俺は嬉しくて大泣きしてしまった。思い出すだけで、未だ赤面してしまうんだけどさ。
話が凄まじく逸れたので元に戻そう。
とにかく俺は、輝力を習得した日の翌朝、白薙の精密操作がいきなり上達したことに気づいた。仕組みは解らなかったが、俺なら自力で正解にたどり着けると美雪は考えているらしい。座学で生じた疑問のすべてを自力で解いてきた実績があるので、美雪の見立ては正しいはず。ならばそれを全力でするのみ、と気合を入れてその後も素振りを続けた。俺はどちらかと言うと、脳筋だしな。
ご多分に漏れず、訓練開始から訓練終了まで素振りを続けても仕組みの解明には至らなかった。だがそんなの、いつもの事。輝力の習得に1年かかったのだから、輝力の謎の解明に1年かかっても無問題なのである。俺は前向きな気持ちでその日の訓練を終えた。