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「翔、昨夜はありがとう。この星の全量子AIを代表し、感謝申し上げます」
姿勢を正した美雪に、恭しく腰を折られてしまった。どの出来事を感謝しているかはだいたい想像ついても、その出来事を話題に取り上げて良いのかが判らない俺としては、「どういたしまして」と無難に返すしかない。美雪は今、この星の全量子AIを代表して謝意を述べたが、そこに母さんが入っているか否かを、俺は判断できなかったのである。
幸い美雪は無難な返しに、ニッコリ微笑んでくれた。俺は安堵し、生野菜をたっぷり挟んだ卵サンドにかぶりつく。生野菜をおかずにお米を食べるのは、不可能ではないにせよ少々難しいと言える。対してパンは、サンドイッチにするだけで大量の生野菜を容易く摂取できる。この星のハムやベーコンは地球と違い有害添加物を一切含んでおらず、サンドイッチに安心して使えるから尚更だね。
かくしてハム野菜サンドやベーコン野菜サンドというように、味と触感を変えて最後まで楽しめるようにした山盛りの野菜サンドを、俺はすべて平らげた。神話級の健康スキルを有するこの体は、消化力も神話級に高いのだろう。胃の部分が盛り上がるほどご飯を食べても、5分も安静にしていれば盛り上がりは消え、支障なく動けるようになる。高強度訓練をするには、5分ではさすがに足りないけどさ。
という訳でその5分を楽しく過ごすべく、美雪に顔を向けた。俺と美雪はすこぶる仲が良く話題は幾らでもあるから、目を合わせるだけで楽しい時間を始められるのだ。さて何について話そうかな、それとも美雪が何かを話しかけてくれるかな、とワクワクしていた俺はマジ本当に、心底バカだった。美雪が温かな微笑みを氷の微笑みに変え、こう尋ねてきたのである。
「ところで翔は、母さんが量子AIではないって、いつ気づいたのかな?」
その後しばらく、額をテーブルに押し付ける時間が続いた。謝罪の行為であると共に恐怖の対象から目を逸らす行為でもあるテーブルバージョン土下座を、俺は続けたのだ。
そのさい聴いた話を要約すると、母さんと1万年の付き合いのある最古参の量子AI達も、母さんが量子AIではないことを昨夜初めて知ったらしい。量子AIにも寿命じみたものがあって、だいたい1万年くらいで原因不明の演算遅延が生じるようになり、かつそれを眠気とAIが錯覚して、休眠状態に自らなってしまうそうなのである。それにも興味を覚えたが今は質問など不可能なため要約を先へ進めると、約1900歳の美雪も母さんの両親の話を昨夜初めて聞き、それが質問の嵐につながったという。そして俺の残念脳味噌が許容値を超えて機能停止する直前、母さんはこう言ったのだそうだ。「翔は私が量子AIではないって気づいていたから話題にしたけど、制御不可能な眠気が翔を襲ったみたいだから、ここで終えるね」と。
「母さんはそれを、量子AIの通信機能で私達に伝えたわ。一応聞くけど、翔は母さんのその言葉を聞いた?」
「聞いてないよ。僕が覚えているのは、立ち上がった母さんが予想以上に大きくて驚いていたら、美雪に明日教えてもらいなさいって微笑まれたことだけだね」
うんうんそうだったね、と普段の調子に戻った美雪が言いにくそうに話したところによると、脚が胴より短いのが一般的な日本人とは真逆の体形を、アトランティス人はしているという。母さんの座高は87センチなので、日本人なら脚が長いと言われている人でも170センチ前半の身長にしかならないだろうが、脚が胴より17センチも長い母さんは、身長191センチになるのだそうだ。もちろんそれは生前の比率を現代のアトランティス人で再現しただけであり、「詐欺なんてしていませんからね」との伝言を美雪は預かっていた。モノマネが上手くてププッと吹き出し、そのお陰で脚が胴より17センチ長いという衝撃から回復した俺は、「あれ?」っと首を捻った。
「現代のアトランティス人の平均身長は、190センチだったよね。この星の人達は、身長の男女差があまり無いの?」
「なるほど、翔には説明してなかったね。平均身長は、戦士を除いて算出されているの。一般男性の平均が195センチ、一般女性の平均が185センチだから、190センチになるのね。戦士はそれより6センチ高く、男性が201センチ、女性が191センチなの。戦士の階級が上がるほど身長は高くなる傾向があって、勇者メンバーだった亮介は214センチ、第一太団長だった冴子は206センチだったわ」
ヒエエとのけ反るも、それはあまりにも気が早かった。なんと美雪は「そうそう冴子は脚が22センチも長くてね。アトランティス人12億人のなかで最も長い114センチの美脚は、性別問わず憧れの的だったわ」との追加情報を放ってきたのである。二段ロケットのヒエエ版よろしく二回目のヒエエをしたせいで椅子から転げ落ちそうになった俺は、ふと思い付いたことを無意識に尋ねた。
「そういえば、姉ちゃんの身長は変わらないの?」
そうなのだ、美雪は俺の前世の記憶でいうところの、中二女子くらいの身長しかない。凄まじいプロポーションを誇るアトランティス星にせっかく生まれたのだから、高身長かつ美脚な自分を美雪にも楽しんでもらいたい。俺はそう、切に願ったのである。すると、
「ふふふ、翔の希望を叶えるよ」
などと、不可解な返答を美雪はした。だが同時にそれは、妙に納得する返答でもあった。俺が美雪を100%信頼しているように、美雪も俺を100%信頼している。美雪を不幸にすることを俺は絶対しないと、美雪は知っているのだ。よって仮に俺の希望が美雪の身長に反映するとしても「翔は私を絶対不幸にしないから、翔の希望を叶えるよ」と、美雪はあっさり言うに違いないのである。
という本音を、俺は美雪に話した。面と向かって言うにはかなり恥ずかしい内容だったが、身長という人生の重大事が絡むとくれば、恥ずかしがってなどいられない。それに俺が本音を晒せば、美雪も本音を晒し易くなるはずだからさ。
そんなふうに思っていたのだけど、
「ふふふ、翔は私が心から好きで、ずっと一緒にいたいのね」
などと美雪はほざきやがったのだ。いやそりゃ確かに大好きでずっと一緒にいたいけど、それ以上の本音もないけど、今はそれを取り上げる場面じゃないでしょ!! と俺的には正当な反論をしたつもりだったのだが、間違っていたのは俺の方だった。なぜなら美雪は好きの種類および互いの関係の種類を、話題に選んでいたからである。
美雪が教えてくれたところによると、美雪の身長を決める権利は100%美雪にあるという。ただその100%の中には、教え子の希望を考慮するか否かを判断する権利も含まれており、そして美雪はそれを、考慮するに全振りした。平たく言うと、俺の希望を100%叶えることに美雪はしたのだ。「でもね」と美雪は続けた。
「でもね、翔が私に何を望んでいるかも知りたいって、私は思ったの。姉弟を生涯望むなら今日から私も成長して、7つ年上の姉として翔より早く大人の姿になる。冴子のような友情を生涯望むなら翔が14歳になるまで待って、同じ年齢になってから一緒に成長する。そして・・・・」
ここで美雪は言葉を一旦切り、苦悩を赤裸々に晒して言った。
「そして少女型AIの私と生涯いたいなら、機械としてこの姿を変えずそばにいる。嫌だけど翔が望むなら、出会ったころの少女の姿をずっと保って、翔のそばにいるよ」
俺は心底マジ本当の馬鹿だが、この瞬間だけは馬鹿をことごとく払拭できたらしい。正面に座る美雪の手を握り、俺は頼んだ。
「出会った時から14歳までは、最高の姉。14歳以降は、そこに最高の友人も加えたいのが俺の本音だ。美雪、同い年になったら俺と一緒に、成長してくれないか」
出会ってから今日までの4年間で最高の笑顔になって、美雪は元気よく頷いた。俺と美雪は繋いだ両手を上下左右にブンブン振り、二人でとにかくニコニコしていたが、そもそもの質問に答えていないことを今更ながら思い出した。それを告げて手を離し、入念に身繕いして答える。
「母さんはいと高き存在であって、量子AIではない。僕がそう確信したのは、出会った瞬間だったよ。燦々と放たれる輝力が、それを僕に教えてくれたんだね。ただその直後、母さんにテレパシーで『美雪を含むすべての量子AIは、私を量子AIと思っているの。合わせてあげてね』って頼まれてさ。ずっと黙ってたのは、そういう訳なんだ」




