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蜂蜜入りのレーズンバーがやたら美味しく感じられ、うまいうまいを連発していると、
「翔、今日の訓練は早めに切り上げます。美雪、すぐ夕飯にしましょう」
という事になった。反論しようにも、憂い声を強めた母さんにそう言われたら従うしかない。まあ俺も、それが妥当だってホントは解っていたしね。
今日はこの星に生れて初めてとなる、本格的な勉強をした日だった。この本格的な勉強というヤツが、脳を想像以上に疲れさせたらしい。蜂蜜入りのレーズンバーを、やたら美味しく感じたのがその証拠だ。脳は体重の2%ちょいの重さにもかかわらずエネルギーの18%を消費し、しかも脳がエネルギーとして受け入れるのはブドウ糖しかない。そしてそのブドウ糖を大量に含むのが、「うまいうまい」を連発した蜂蜜とレーズンという訳だね。母さんが憂い顔で「すぐ夕飯にしましょう」と言ったのも、俺の疲労を察しての事なのだろう。人づてに聞いただけだが母親って、そういうものらしいからさ。
母さんと冴子ちゃんが加わったその日の夕飯は、ある意味神話級に楽しい時間となった。なんと「秘密ですからね」と前置きした母さんが人だった頃の姿になり、食卓を一緒に囲んだのである。これには美雪と冴子ちゃんも驚きを隠せず、だが二人はそれを遥かに超えて喜び、三人でキャイキャイしながら夕飯を食べていた。俺は男ということもあって女性陣の会話にまったく参加できなかったけど、母と姉と異性の友人が心底楽しそうにしていただけで、心を満腹にしてもらえた。いやはやホント、幸せだったなあ。
ちなみに母さんは身の丈3メートルの巨人だった・・・・なんてことは無く、ローズブロンドという赤みを帯びた金髪を豪奢なロングにしたアクアマリンの瞳の、30歳前後の白人女性だった。この星の人々は20代後半の容姿で寿命を迎えるため、30歳でも長老的な風格を醸し出せるそうなのである。俺に言わせれば長老とは程遠い、女神様にしか思えない神々しい長身美女だったのだがそれはさて置き、
「アトランティス人って、赤みを帯びた金髪だったのですね!」
と夕食終盤に口走ってしまったのは、この星で初の黒歴史となった。身体的特徴をいきなり話題にするのは、明らかなマナー違反だからね。
でもまあそれは、会話にまったく参加してなかったことを考慮され笑って許してもらえたけど、その後が大変だった。「ふ~ん翔って、ウエーブのある金髪が好きだったのね・・・」などと美雪が黒髪を人差し指でクルクルしつつ演技丸出しで落ち込んでみせたり、「私も髪を染めようかな・・・」などと冴子ちゃんが上目遣いで物憂げに呟いてみせたりという状況に、なってしまったのである。助けを求めて母さんに顔を向けるも口だけ動かし「翔がんばれ~」とニマニマするだけだし、美雪のロングストレートを褒めたら茶髪でショートボブの冴子ちゃんがイジケるし、冴子ちゃん似合ってて可愛いよと告げたらそれが本音とバレて黄色い声が爆発するし、負けん気を刺激されたのか美雪が突如ポニテにして、ポニテが超絶好きな俺は思わず見とれてしまい、すると冴子ちゃんにジタバタ拗ねられて・・・・というふうに、面倒なこと甚だしい時間が続いたのである。見かねた母さんが助けてくれなかったら、冗談抜きで泣いていたに違いない。亮介たち男友達と交わすバカ話が、俺は懐かしくてならなかった。
それはさて置き。
「アトランティスには青人、緑人、黒人、長頭人などの複数の人種が住んでいてね。私は黄金人の父と、アンティリア人の母のハーフなのよ」
との母さんの助け舟は、絶大な効果を発揮した。美雪と冴子ちゃんのみならずほぼ全ての量子AIにとって、それは初めて聞く話だったからだ。俺を茶化している暇など無いとばかりに質問しまくった美雪と冴子ちゃんのお陰で知ったところによると、アンティリア島とカリブ海のアンティル諸島は何の関係もないらしい。アンティリアはアトランティスと同時期に海底から隆起した南大西洋の島で、だいたいアルゼンチン沖にあったという。「アルゼンチン沖!」と叫びそうになった口を俺が慌てて塞いだのはどうでもいいとして、アトランティスの大学や研究施設が数多く建てられていたアンティリアは、アトランティスを凌ぐ叡智の中心だったそうだ。その叡智の集積地に留学してきたアトランティス生まれの若者と、アンティリア人の学者の両親を持つ娘が恋に落ち、結婚して生まれたのが母さんだったとの事だった。
「髪は、金髪の父と赤髪の母のハイブリッド。肌の色と瞳の色は母から受け継いだけど、母の瞳はサファイアのような濃い青をしていてね。ルビーの髪とサファイアの瞳を持つ母に、子供の頃はすっごく憧れたなあ」
いやいや母さんのローズブロンドの髪とアクアマリンの瞳も、たまらなく魅力的ですよ! と本音を漏らしたらまた面倒な状況になること必定だったので口を堅く閉じていたら、母さんに気を遣わせてしまった。
「翔はアルゼンチン沖の箇所で慌てて口を塞いでいたわね。日本の対蹠地が、言い換えると日本の真裏がアルゼンチン沖だから、関係あると思ったのかな?」
「はい、関係あると思いました。実際は、どうなのですか?」
無いかな~とおどける母さんに、ですよね~と頭を掻いていたら、アンタの番はもう終わったんだから早くどきなさいよとばかりに美雪と冴子ちゃんが質問の嵐を再び始めた。母さんは二人にとても慕われているんだなあとニコニコしていたが、次第にそれどころでは無くなっていった。母さんの話が、面白すぎたのである。
母さんによるとアンティリア島はゴビからの移住者が最も多かった地で、そのゴビというのは、アトランティスとムーの前の時代に文明の頂点に達した場所だったらしい。ちなみにアトランティスが文明の頂点に達したのは第五の時代、ゴビは第四の時代だそうだ。そのゴビ文明の所在地は現在のゴビ砂漠だけど漢民族との関係は無く、バイカル湖東部のシベリアの地に極々薄い血が残っているのみだという。また地表に残った元アトランティス人の血を最も濃く受け継いでいたのは、既に絶滅してしまったクロマニョン人とのこと。だからクロマニョン人は現代人より大きな脳を持っていたのかと、俺は膝をペシンと叩いたものだった。アンティリア人の直接の子孫ももういないが、薄まった血が先祖返りで出るユダヤ人が古代はそこそこいたらしく、
「そうそうイエスキリストも、青目赤髪白肌だったわ。坊主頭で髭も剃っていたから、赤い髪は目立ってなかったけどね」
にはぶったまげた。脳が許容量を超え「なっ、なっ、なっ」を繰り返すだけに、なってしまったのだ。そんな俺を不憫に思ったのだろう。母さんは先回りして「当時は先祖返りがまあまあいたから珍しがられず、記録に残らなかったんじゃないかしら」と、返答になる持論を教えてくれた。その優しさに復活しかけるも、
「思い出した。ソロモンとダビデも先祖返りだったわ」
に不意打ちされた俺の脳は、許容量を完全に超えてしまったのだった。
――――――
翌日の朝食中。
「翔、昨夜はありがとう。この星の全量子AIを代表し、感謝申し上げます」
ヒゲを綺麗に剃った坊主頭の青目赤髪白肌だなんて、今の時代はむしろ非難されそう・・・




