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そういえば、アトランティス人のトートを自称する存在が、朱鷺の頭で日本人と接触していたな。アメンティーのホールに座すトートの素顔を知らないから、頭部を朱鷺にするしかなかったとか? との思い付きは、一旦脇に置くことにした。
「では、対等意識者と相性が良いのは、どういう存在なのでしょうか。僕はそれも、この星で確信しました。対等意識者は、『誰が言ったかではなく何を言ったか』の重要性を理解し、その能力を伸ばすべく日々努力している人達です。よってその一助となる存在、つまり自分の見た目はこだわらないが伝える言葉にはこだわる存在が、対等意識者と相性が良いと言えます。また相性の良さに加えて、『対等意識者の努力が報われたことを知らせるべく現れた存在』を師と定義するなら、師の姿が僕の心に自ずと浮かんできました。その姿を、母さんへの返答として発表します」
正した姿勢を更に正し、浮かんで来た二種類の姿を発表した。
「師は対等意識者の前に、普通の姿で普通に現れます。しかしこの『普通の姿で普通に現れる』ことのみを判断基準にすると、それは『外見を判断基準にする』ことと同義になり、師を師と認識できない不都合が生じてしまうかもしれません。変な話ですが、突拍子もない登場の仕方をした大聖者の姿も、僕の心になぜか浮かんで来たんですよね」
自嘲気味に頭を掻く俺にクスクス笑い、母さんは驚くべきことを教えてくれた。
「突拍子もない登場の仕方をした大聖者の話を、聞いたことがあります。翔の心に浮かんだように、あの人達は度を越した無頓着が仇となって、変なことを稀にするんですよ。仕事を忙しくこなしていた最中に『大聖者に会いたい』という強い想いを受信した某大聖者が、その人と自分を繋ぐ次元窓を作りそれをガラッと開けて、『呼んだか』と語り掛けたことがあったそうですね」
「な、なっ、なんですと~~!!」「「「アハハハハ~~~!!!」」」
驚愕に押しつぶされた俺とは対照的に、女性陣は蝶が舞うかの如く軽やかにコロコロ笑っていた。この差の仕組みを探るため耳を澄ませていたところ、
「まさしくその人、母さんの知り合いだわ」「うんうん、似た者同士だよね」「ええ~、私はあそこまで変人じゃない・・・・と思いたい」「あっ、やっぱり!」「自覚あるんだ!」「「「アハハハ~~!!」」」
系の、なんとも気さくな会話が聞こえてきたのである。けどこれこそが、普通のことのようにも思えた。「呼んだか」の大聖者も気さくだし、イエスキリストを「周囲を笑わせるのが大好きで冗談をよく言っていた」と評した人もいたからだ。もちろん大聖者の全員が終始そうではないんだろうけど、大聖者と呼ばれるような人達は、柔和で楽しい人達なのかもしれないな・・・・
などと考えているうち身も心も軽くなった俺へ、母さんは追加情報を教えてくれた。
「同郷のトートは、時が来たらアトランティス時代の姿で民衆の前に姿を現すと言っていました。今の地球人にとってトートは身長3メートルの神々しい巨人ですからあまり疑われないでしょうが、『普通の姿で普通に現れる』や『大聖者は大聖者を自称しない』等を盲目的に信じている人は、機会を逃してしまうかもしれませんね」
やっぱり母さんはトートと親交があったんだ、七次元から来たと自称するトートの見極めも、母さんならお茶の子さいさいなんだろうな! と尻尾をプロペラ化する半歩手前になった俺をいとも容易く平常心に戻してくれるのが、母神様なのだろう。
「そうそう、翔は頭の回転の速さが仇となり、こう結論付けていませんか? 『大聖者が民衆の前に姿を現さないのは、民衆に準備ができていないからだ』と」
「はい、まさにそう結論付けていました」
「それは間違いではありませんが、その結論だけでは『準備のできていない者と大聖者が関わらない理由』を十全に理解するのは困難です。よって最も困難と予想されるものを、日常生活にからめて説明しましょう」
「ありがとうございます!!」
聴くことに全集中するあまり髪の毛一本分の身動きもしなくなった俺に、ほがらかな光を投げかけ、母さんは譬え話をした。
「成人男性のAさんが、体格も年齢も同じくらいの成人男性と、殴り合いの喧嘩をしているのを翔が見かけたとします。二人に格闘技の経験はなく、本格的な運動経験もないと判断した翔は、大事に至らない限り静観することにしました。翔の見立てどおり、二人は軽い打撲を負っただけで喧嘩を止めたとしましょう。この場合、翔の判断を私は支持します。いかに自分が愚かだったかを軽い打撲で学べたのですから、放置して正解と私も思いますね」
俺は首肯を盛んに繰り返した。軽傷で済むなら、大人げない事をしているオッサンなど放置で十分なのだ。が、
「ではAさんの相手が成人男性ではなく、小さな子供だったら、翔はどうしますか?」
「Aさんをぶん殴って拘束し、子供に応急処置を施して、救急車と警察を呼びます!!」
というふうに、小さな子供だったら対応がまったく異なって当然なのである。その場面を想像しただけで怒りが沸騰した俺を、母さんと美雪と冴子ちゃんは褒めそやした。「その時は子供を助けてあげてね」と口々に頼む三人に、任せてくださいと胸を勇ましく叩いてみせる。そんな俺に母さんは、日常的感覚を基に宇宙法則を説明するという、思いもよらぬことをした。
「宇宙を統べる原因と結果の法則も、Aさんの相手が成人男性だった場合と子供だった場合では、異なる悪果をもたらします。言及するまでもなくAさんの背負う悪果は、子供だった方が圧倒的に多い。これは法治国家における、刑法に準じると言えるでしょう」
法律と因果則の関係はとても興味深いが、長くなるのでまた今度という事になった。1分1秒でも早く知りたいのが本音でも、これほどためになる講義をまた受けられると約束してくれたのだから、異議などあろうはずない。かくして聴く姿勢を瞬時に整えた俺に、母さんは様々な質問をしていった。「Aさんの相手が同じ成人男性でも善良な人で、かつ無抵抗だったら?」や「しかも周囲に嘘をまき散らし、その善良な人に冤罪を着せたら?」のように、条件を変えた問いを母さんは次々していったのだ。それを続けているうち法律の素人の俺にも、大雑把な法則が見えてきた。加害者が悪人であればあるほど加害者の罪が重くなるだけでなく、被害者が善良無垢であることも、加害者の罪を重くすると考えて良いようなのである。そんな俺を、準備が整った者と判断したのだろう。『準備のできていない者と大聖者が関わらない理由』へ至る話を、母さんはついにした。
「大聖者の心の成長度は、菱形の頂点どころではありません。頂点から離れた場所にポツンと打った点のような、隔絶した存在が大聖者なのです。その隔絶者を、心の成長を定義づけていない人々が正確に理解できるなどと、決して考えないでください。大聖者を馬鹿にし糾弾し、人々を惑わせたという冤罪を着せ、若者や次の世代が大聖者の教えを学ばない社会を構築する。これが、心の成長を定義づけていない社会の慣習なのです。ではその場合、悪果はどうなるでしょうか? 大聖者を不当に陥れても、未熟で無知ゆえに無罪放免されるでしょうか? そんな都合の良いことは絶対にありません。精神的には未熟な子供でも、責任ある大人として行動したのですから、行動の報いを大人として受けねばならぬのが宇宙法則なのです。それを避けるべく、準備のできていない者に、大聖者は関わらないんですね」
大聖者が姿を隠している理由は凡人には到底理解できないと、数分前まで俺は信じ切っていた。だがそれは、間違いだった。日常的な感覚さえ持っていれば、容易く理解できる事でしかなかったのである。その衝撃は、自覚している以上に大きかったのかもしれない。
「少し休憩しましょうか」
母さんはそう、憂い声で提案したのだった。
今回のような話をテレパシーで伝えてくる自称高次の宇宙人を、私は知りません。もちろん、私が知らないだけなのでしょうが。




