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幸い無視は容易だった。ゴブリンの纏う闇力を百倍に感じる装置が座席に置かれていて、それを装備せねばならなかったのである。その装置を手に取り、指定どおり背中に近づける。すると装置から足が八本出て、肩甲骨の間の少し上に自動で張り付いた。眼前の2D表示に「装備完了」の文字が映し出される。俺は安堵し、座席に腰を下ろした。
背中の装置は、今は作動していない。それもそのはず、飛行車が着陸したらドローンに掴まって移動するのに、作動してたら危ないもんね。ただ、試験会場に降りた5秒後に作動することへは不安が募った。生きたゴブリンを生れて初めて見て恐怖し、装置が作動し恐怖が増し、そしてバリアが解除されたら恐怖が更に増すからである。「体重軽減スキルを使うか使わないか決めかねていたけど、使うしかないっぽいな」 心の中で、そう呟いた。
そうこうするうち飛行車が離陸した。時刻は0735。未搭乗による失格者は、無しということなのだろう。気持ちが軽くなった気がした。
4分経たず飛行車は着陸した。しかしそのまま10分ちょい、席に座り続けた。試験開始は0800なので、時間調整をせねばならなかったんだね。納得のいく理由だし輝力操作訓練は禁止されていないから、みんな黙って訓練していた。
10分ちょい経ち、降車のアナウンスが流れた。慣れた仕草で全員立ち上がり、後部出入り口へ向かう。だが、慣れた仕草はそこで終わった。後部出入り口が開口するや、
ビクッッ!!!
全員一斉に体を震わせたのだ。反射的に「輝力壁を展開するんだ」と叫びそうになるも、警告の2D表示が眼前に展開した。「試験中です、私語は慎んでください」と書かれた2D表示に、私語を制限する四日間を強いられた真の理由を悟った。反射的に正解を叫んでしまう者が出ぬよう、俺達は四日間かけて私語禁止を心身に叩き込まれていたのである。出入り口が開口するやネガティブが車内にドッと流れ込んだ仕組みは判らねど、人類軍もやってくれる。いや、この程度で膝が笑うようでは、戦争で仲間の足を引っ張るだけなのだろう。俺は輝力壁をあえて展開せず、降車した。
生きたゴブリンを隔離する壁の上に降りた。壁の幅は、たっぷり50メートルある。だが50メートルあっても、高さ100メートルなのに柵がないのは心もとなく感じる。しかし俺は輝力グライダーを展開できるから心もとない程度で済んでいるにすぎず、高所恐怖症の人は腰砕けになってもおかしくないはずだ。おそらくその場合は、たとえ壁の上にまだいようと試験開始とともに10分間のカウントダウンが始まるのだろう。人類軍もやってくれると、俺は二度目の呟きを胸中洩らした。
指示に従い、自分のドローンに移動する。といっても1千人の最後尾にいた俺のドローンは、飛行車のすぐ近くでホバリングしていた。自分のドローンの下部から下に突き出た棒に、自分を固定する。固定し終えるや「出発10秒前」のカウントダウンが始まった。というのも、1千人の先頭にいた生徒達は既に出発していたのだ。数百のドローンが、高度100メートルを保ったまま北方へ散ってゆく。そしてとうとう、俺の番になった。俺のドローンが二十センチほど浮き上がり、壁際へ飛んでいく。無意識に足元へ目をやりそうになるも、ほんの二十センチ下にあった壁上部が消えて100メートル下まで何もなくなる瞬間を目に収めたら、平常心を失ってしまうかもしれない。では、どこに視線をやればいいのか? ピンと来て振り返り、1千人がいた場所を見つめる。腰砕けになり飛び立てなかった生徒は、1人もいないようだ。安堵の息が口から洩れると同時に、二十センチ下にあった壁上部の気配が消える。瞑目し深呼吸を一つして、眼下へ目をやる。「ああやっぱり」との言葉が口を突いた。100メートル下の地面に、青色輝力の壁が升目状に張り巡らされていたからだ。升目の幅は50メートルなので、バリアは青色輝力と考えて間違いないだろう。白の3D映像を被せているから肉眼では、半透明の白色壁にしか見えないけどね。そうこうするうち、
「降下します」
のアナウンスが流れた。周囲のドローンも一斉に降下している。二次試験が間もなく始まるのだ。この星で俺は生れて初めて、アドレナリンの鉄っぽい味を歯茎に感じた。
ドローンが降下しているのは、50メートル四方の正方形の壁際。壁スレスレを目指し下りているが、それでもゴブリンと自分の距離は20メートルしかない。この20メートルは3D映像のゴブリン戦の距離とまったく同じなのに、「20メートルしかない」なんて感想が出てくるのは、正方形の中央に隔離されているのが実物のゴブリンだからだ。自分を殺せる実物のゴブリンが地面で自分を待ち構えていると、本能が叫んでいるのである。一つだけありがたいのは、ゴブリンの体臭がほぼしないこと。戦闘服からゴブリン専用消臭剤を散布し、臭気を分解してくれているんだね。あと人類軍は秘密にしているが俺の体が教えてくれたところによると、ゴブリンの闇力を百倍に感じる装置には、嗅覚を麻痺させる機能もあるらしい。この嗅覚麻痺は戦争において、人間の血と内臓の臭い対策にもなるはず。腹を両断されて内臓をぶちまけたら、胃酸やら糞尿やらもぶちまける事になるからさ。
そのぶちまけられた内臓と血と糞尿を思い描いていたら、不可解にも落ち着くことが出来た。不可解というのは嘘で多分これは、神話級の健康スキルの作用。現状理解が正確なほど生存率が上がり、そのうえで落ち着いたら生存率が更に上がるなら、そうなるのが神話級の健康スキルなのである。そのチート(ずる)っぷりを心の中で皆に詫びているうち、ドローンが地面に着陸した。降車の表示が出たので安全ベルトを外し、地面に降りる。ゴブリンの闇力を百倍に感じる装置は、地面に降りた5秒後に作動するはずだったのに、実際は10秒ちょいかかった。おそらく手が震えて安全ベルトを素早く外せなかった生徒が多数いて、それが遅れた理由なのではないだろうか。その10秒ちょいのお陰でゴブリンの闇力を視覚化し百倍への対応を整えられたから、俺としてはありがたさしかなかった。
闇力は、純粋なネガティブではなかった。俺は母さんに連れられ宇宙の境界に行き、境界外の純粋なネガティブを観察したことがある。あれは言うなれば、すべてを停滞させる力だった。人に譬えるなら一切のやる気を失い、生きる気力もなくし、死の恐怖もどうでもよくなり、人を餓死させる力。それが、純粋なネガティブだったのである。
それと比べたら、ゴブリンの闇力は非常に活発だった。人への爆発的な破壊衝動というやたら活発な感情を、ゴブリンは持っていたからだ。宇宙規模で考えるなら、活発さは歴としたポジティブ。そう闇族はある意味、とてもポジティブな種族だったのである。
ならば俺は、どう戦うべきなのか?
ポジティブ側の戦士として、戦闘という破壊をどう行使すべきなのか?
みたいな悠長な考察を、件の装置の作動が遅れたお陰で出来たのだから、ありがたさしかなかったってこと。そして遂に、装置が作動する。
作動するも、視覚化したゴブリンの闇力に変化は微塵もなかった。
変化があったのは、自分の体。
後頭部下部にある、盆の窪の防御機能が低下したのだ。
いわゆる悪霊は、この盆の窪から体内に侵入し人を支配しようとする。よって悪霊は盆の窪を目指し背後から人に忍び寄ることが多く、背中がゾクッとなる仕組はそれだね。もしくは盆の窪から侵入を試みられるも防御機能が働き跳ね返したさい、「防御機能が働いたということは悪霊がいるんだ」と体が知り、防御機能の一環として寒気を覚えさせるという事もある。心霊スポットの肝試しなんて馬鹿なことを止め、その場を離れるよう体が心に促すのだ。この防御機能については自称霊能力者達が真逆に説明しているせいで、真逆に広まっているんだけどさ。




