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突然だが、前世の俺は運動神経悪い芸〇というTV番組が好きだった。抱腹絶倒の連続だったのもさることながら、大切なことを二つ学ばせてもらったからだ。大切なことの一つは、力の緩急の重要性。運動神経に優れる人は、必要なとき必要な筋肉を必要なだけ力ませるという緩急が、とても巧い。対してあの番組に出演していた芸人さんに、緩急は微塵もなかった。平泳ぎを例として挙げよう。平泳ぎには体を真っすぐ伸ばす工程があり、その間は弛緩して良い。水中で体を真っすぐにする以外は、ボへ~~としていい。ボへ~を利用し体を休ませ、息を吐いて呼吸を整えれば、それで良いのだ。
が、出演芸人さん達にそれは無い。平泳ぎに不要な筋肉も総動員し、不要なほど体を力ませ、弛緩皆無で泳ぎ続けようとする。それ故たった数メートルで疲労困憊し、疲労困憊するから挙動が更におかしくなり、抱腹絶倒の嵐をお茶の間に届けてくれる。見て楽しいだけでなく「緩急って大切なんだなあ」と学ばせてくれる、貴重な番組だったのだ。
学びのもう一つは、「同種の心理状態になっている人達が大勢いる」と気づかせてくれたこと。過度に緊張し、失敗してしまう人を例に挙げよう。過度に緊張している人の心は、あの芸人さん達の運動に似ている。不要な意識も総動員し、不要な考察を無数にして、ほんの数秒で膨大な精神力を消費している。だから先生に名前を呼ばれて「はい」と応えるだけで心が疲れたり、「ひゃい」と噛んでしまったりするんだね。
あまり認識されていないが、自分の非をどうしても認められない人もまったく同じ。人は宇宙のすべてを知っている存在でもなければ、ありとあらゆる出来事を完璧にこなせる存在でもない。つまり人は失敗して当然なのだからあっさり認めて次に進めば良く、それは「緩」と「急」に酷似すると言える。心を弛緩させあっさり認めるのが緩、気持ちを切り替えて再挑戦するのが急だね。それがどうしてもできない非を認められない人は、不要な意識も総動員し不要な考察を無数にしてほんの数秒で膨大な精神力を消費するという、出演芸人さん達の心版を地でゆく人だったのである。
などと前置きが長~~くなったが何を言いたいかというと、心にも体にも緩急は極めて重要ということ。それは今の俺も例外ではなく、宙を漂うふわふわ中に力みを90%排除可能になったお陰で、歴代最高に疲れない音速走りを習得できた。その新技術を忘れぬよう随所に取り入れつつ、速度を落として第三山脈を登って行く。その間に呼吸を整え体を休ませるから今は緩、高原に入ったら音速走りを再度するから急、といった感じだ。そして南麓を登り切り峰を越え、ほんの少し斜面を下り、挑戦の場となる第三高原に足を踏み入れる。さあ、始めるぞ! 峡谷で習得した技術を基に、俺は速度をグイグイ上げていく。だがその途中、見落としに気づいた。それは、気圧。峡谷と高原は気圧が大きく異なるため、防風壁の形状も変えねばならなかったのである。ならばこの高原を、防風壁の最適形状を模索する場にするのみ。高原を二つ残す状況で見落としに気づけたのだから、俺は幸運なのだ。標高8千メートルにおける音速走り防風壁の最適形状を探しつつ、俺は第三高原を駆け抜けていった。
第三高原を走破する前に、確かな手ごたえを得られた。急を終えたのだから次は緩、と減速して北峰に足を踏み入れる。第三山脈北麓を疲労回復最優先で下りつつ、美雪との相談時間を設ける。それを基に計画を変更し、第二峡谷宿泊所で休憩する決定を俺はくだした。
現在時刻は午前九時。試験三日目のこの時間に第二峡谷宿泊所を利用している生徒がいたら、通常なら不合格を覚悟せねばならない。少々緊張し、コロニー飛行車の敷居をまたいだ。
「管理AⅠに確認したわ。利用者は、翔だけだって」「良かった~」
心底安堵し息を大きく吐いた。続いて気合いを入れ、すべきことを次々こなしていく。1時間後、疲労を可能な限り除去して車外に出た。美雪によると、人目がないので好きに走って良いとのこと。ふわふわ走りを堪能し、俺は第二高原を目指した。
休憩を1時間取ったのは大正解だった。今朝の走り始めと同等の快適さで走れたのだ。そして迎えた二度目の挑戦。標高8千メートルにおける最高の可変流線型を展開し、速度をグイグイ上げていく。その5秒後、
ドッカ―――ン!!
ソニックブームを轟かせることに成功した。だが喜びも束の間、防風壁の形状を素早く変えて空気抵抗で急制動を掛けた。今の技量では、正直ギリギリだったんだね。最も苦慮したのは、足場の雪の見定め。音速近辺で雪に滑って転んだら、冗談抜きに死んでしまう。俺は輝力グライダーを展開して空へ逃れられても、飛行機形状にできない人の死亡率は、90%を超えているように感じる。こりゃ時速715キロが歴代最速だった訳だと、冷や汗を大量に掻きつつ納得した俺だった。
けどやはり、挑戦は偉大。極めて有用な閃きを得られたのだ。その閃きは、
輝力壁で足場を作れないか
というもの。輝力工芸スキルが聖級になると、闇族の攻撃を逸らす輝力壁を構築可能になる。「ならば音速走りの脚力を受け止める足場も構築できたりして」という電気信号が、急制動中に脳を駆けたんだね。二分割した心の一方でそれを考察しつつ、雪に滑る恐怖を覚えない速度まで減速した。
その後は、疲れないことを優先して走った。ペースを上げずとも試験終了時刻より6時間以上早くゴールできるし、何より二次試験がまだ控えていたからだ。合宿を共にした野郎共は皆、二次試験合格を念頭に超山脈縦断計画を立てていた。計画は二つに大別され、一つは二日で走り切り三日目を休日にするもの、もう一つはなるべく疲れず走って最終日の正午にゴールするものだった。どちらが自分に合うかを7年生の三度の合宿で試し、みんな納得して決定していたから、よほどの不運に見舞われない限り一次試験不合格者はいないと思う。勘も「いないよ」と囁いているしね。だが、
彼は無理かもな
との囁きを聞く生徒を、第一高原序盤で初めて見かけた。4キロほど離れているから、宿泊所の正面の道を割り振られた生徒なのだろう。一次試験不合格でも、学校の卒業資格を得られる。しかし得られても、1時間早く今の場所を走っていれば制限時間内にゴールできた彼は、後悔に長期間苛まれると思う。その期間が、どうかなるべく短くなりますように。
そして正午、ゴールに張られた白線テープを俺は切った。7年間の努力が実ったのは、やはり嬉しいもの。お隣さん達は二日縦断一日休み組だったこともあり、周囲に人っ子一人いないゴールだったけどさ。でも、
「翔、おめでとう!」
「ありがとう、美雪のお陰だよ」
美雪がいてくれれば、それだけで満ち足りる俺なのだった。




