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本体には、翌日のアカシックレコードを詳細に見る力がある。見てもテスト内容等は絶対に教えてくれず、不可避の宿命もそれは同じだが、回避可能な運命は教えてもらえるよう人は最初から創られている。ただ、脳幹と新皮質の意思疎通を鍛えておかないと教えは囁きになり、最悪かき消されて心に届かなくなる。地球の科学者達はしばしば、現代人は生物としての本能を大量に失ってしまっていると嘆くが、その主理由は科学者達が、脳幹を爬虫類脳と蔑んでいることにある。脳は科学者の主張とは真逆の、脳幹に近いほど高い波長の意識を司る器官なのだ。その証拠に新皮質が担当する暗記と情報処理は、コンピューターに敗北して久しいからね。辺縁系の情緒、基底核の愛と良識、そして脳幹の「宇宙法則に基づく善悪判断能力」は、地球のコンピューターでは絶対不可能だしさ。
翌日のアカシックレコードを見るのは、大脳が眠りにつくノンレム睡眠中。大脳は社会常識の影響を受け、そして地球人の成長段階では社会常識に、宇宙法則に反する常識が大量に含まれている(科学者達が主張する新皮質の理性判断能力は、理性として記憶されている社会常識でしかないのが実情だ)。よって大脳が眠りにつくノンレム睡眠中に本体は翌日のアカシックレコードを見て、大脳に含まれない脳幹に必要な情報を伝えるのだけど、宇宙法則に反する社会常識がその妨害者となる。心の表層に浮かんで来ようとする脳幹の声を妨害して囁きにしたり、かき消したりしてしまうのだ。宇宙法則に基づく善悪判断能力を司る脳幹を爬虫類脳と蔑んでいるのだから、さもありなんだね。
瞑想や座禅等はそれを改善する有効な手段なのだけど、適切に説明している現代の宗教家やスピリチュアリストや霊能力者を俺は知らない。大多数の現代人は新皮質を最重視し、新皮質から離れるに従い軽視が増していく。そのせいで反宇宙法則的社会常識が蔓延し、それに危機感を覚えた人達が軽重を逆転させるべく瞑想等に興味を抱くのだが、十全な説明がされていないのだ。禅宗の「湯呑を空っぽにする話」が、最もましなくらいだろう。しかしたとえ空っぽにしても、大脳に反宇宙法則的社会常識がこびり付いている現状を理解し改善する日常を生きていなければ、空っぽになったとしても一瞬で元に戻ってしまうんだけどね。
子供達が睡眠中に雲の上に行って見た未来が外れまくっている理由も、「大脳に反宇宙法則的社会常識がこびり付いている現状を理解し改善する日常を生きていなければ、空っぽになったとしても一瞬で元に戻ってしまう」にある。周囲の環境を真似て覚える子供は反宇宙法則的社会常識を大人が考えている以上に吸収し、かつ子供ゆえに大人が考えているとおり、自分を制御できない。自己制御には脳の言語化能力も含まれるため見た未来を巧く描写できないのだがそれ以前に、「現状を理解し改善する日常を意図的に生きるという自己制御」が子供には極めて難しいのである。よって見る未来も子供用でしかなく、大人が頼ったら本当はダメなんだよね。現状を理解し改善する日常を意図的に生きる難しさを知っている大人ほど、ダメってことを実体験で学んでいるものなんだけどさ。
話を戻そう。
足場が悪く怪我を負い試験に落第する因果を俺が作っておらず、かつ新皮質と脳幹の意思疎通を日々鍛えていたなら、「その足場は怪我を招くよ」と直前に本体が教えてくれる。それを聞き逃す確率を下げるべく、母さんはあの伝言を美雪に頼んだんだね。
みたいなアレコレを、飛行車に戻り座席に身を預け考察していた俺の耳に、
「翔、0745になったわ」
美雪の声が届いた。謝意を述べ車外に出て、準備運動を始める。10月1日午前7時45分の超山脈北麓でする準備運動の、なんと爽快なことか。紺碧の空と美味しい空気を楽しみつつ、関節をほぐし靭帯と腱を伸ばしていった。と同時に、斜面を見上げてイメトレをする。理想のフォームで斜面を登って行く自分を、ありありと思い浮かべるのだ。高原に着くや体重軽減スキルを解除し、走破して下山に移ったら再度発動し、峡谷で再度解除する自分をイメージしていく。体重軽減スキルは、太ももを酷使する登山と下山のみに使い、平地では使わないことにしたんだね。美雪のシミュレーションだと登山と下山のみに絞っても、二往復を楽々こなせるらしいからさ。などと意識を二分割して考えているうち、
「出発10秒前、カウントダウン映像を映します」
雪の結晶で造った楽器が奏でたような、美雪の美声が鼓膜を震わせた。17年の努力が問われる試験を、この上なく清らかな声で始められる俺は、なんて幸せなのだろう。ってあれ? ひょっとすると担当AⅠの声でスタートを切れる生徒って、今年は俺だけですか?!
パ――ン
号砲が鳴った。
それをもう一方の意識で捉えた俺は、カウント3で発動した体重軽減スキルにものを言わせ、六割減の体重で斜面をふわりふわりと登って行ったのだった。
俺はその後、昇や奏と同年齢のように「ヒャッハ―!」を連発して斜面を登って行った。正直、ヤバかったのだ。六割減の体重でふわりふわりと登ってゆく、面白さが。
地球の体験で最も近いのは、電動アシスト自転車の初乗車時だろうか。漕ぐ力を三倍して坂道を上る電動アシスト自転車に初めて乗ったさい、40歳近かったにも拘わらず俺は「ウオオ――ッ!」と雄叫びを上げてしまった。その時の感動に、とても近いのである。三倍には届かずとも踏みしめた力の二倍半の高さへふわふわ~~と舞い上がる、体重軽減スキルの感覚が。よって、
「ヒャッハ―――ッッ!!」
我慢できなくなった俺は騒音レベルで叫びつつ、ふわふわ登山を楽しみまくっていた。
第一山脈北峰を越え、第一高原に降りる。平地では体重軽減スキルを切る予定だったが、変更してそのまま突っ走った。現行最大圧縮率の150倍を発動し、高原を一気に駆け抜けていく。150圧に届かせてくれた圧縮スキルの急成長に、俺は心底感謝した。
第一高原を走破し南峰を越えたところで圧縮を切り、通常時間で斜面を降りていく。以前は急激な気圧上昇による体調不良を避けるべく圧縮を維持し、走る速度を落として下山したものだが、防風率100%の輝力壁がそれを変えた。輝力壁で周囲を密閉し、密閉容器内への空気の進入を緩やかに出来るようになったんだね。お陰で通常時間の下山が可能になり、そして前回の合宿で知ったのだけど、通常時間の方が体重軽減下山は断然楽しくなる。不自然な時間伸長がないぶん、非現実的なふわふわ感が際立つのだ。この下山方法は人目のない状況でのみ可能なこともあり、俺は再び騒音級の「ヒャッハ―!」をして第一山脈南麓を下って行った。




