三十五章 20歳の戦士試験、1
というのが、約二カ月前の話。
今日の日付は4月1日。
そう、20歳の試験の開始日だね。
時刻は午前5時45分、場所は俺の訓練場の体育館。
3歳から始めた17年間の努力が実るか否かを決定する日だからこそ、いつもと同じ早朝ノルマをいつもと変わらず終えた俺はしかし、今日が初となる言葉を美雪に掛けた。
「美雪、17年間ありがとう」
美雪は泣き笑いの表情になって頷いた。軍事機密の美雪は原則として、俺以外の人に姿を見せられない。屋外訓練場にいるときも、俺だけに見える指向性3Dになっている。もし戦士試験に落ちたら、その瞬間俺もあちら側に組み込まれる。美雪と、永遠に別れることになるのだ。が、それに関する不安を一切感じていない自分に思わず笑ってしまった。
「うん、翔は大丈夫。いつもどおりにね」「了解、いつもどおりにするよ」
などと口ではほざきつつ、いつもはしない一歩を美雪に踏み出した。しかし俺達にとって、それ如きは不意打ちにならない。寸時も遅れず美雪も一歩を踏み出し、残り一歩で互いに両腕を差し出し、距離ゼロで抱き締め合った。いつの間にか常に感じるようになった、涼しげな香りに俺の全てを開放する。すると美雪の温かさと柔らかさをほのかに感じるようになれたのは、どういう仕組なのだろう。微かに感じるのは美雪も同じらしく、一切の演算をしていないのも関わらず、触覚プログラムがほんの僅か作動するのだそうだ。以前心をかすめた、俺と美雪の出会いに隠された宇宙的意味が、手を伸ばせば触れられる場所に今日もある気がする。普段はそれに心の手を伸ばし、しかし指をすり抜けられてしまうという結末をそのつど迎えるのだけど、今日はそれをしなかった。心の手を伸ばすのも惜しいとばかりに、俺はただただ美雪を抱きしめる。そして身を離し、
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
踵を返し、試験に挑む俺に俺はなった。
午前6時、いつもの奴らといつもの時刻にいつもの食堂で朝食が始まった。しかし「いつも」が付くのはここで終わり。今俺たちが胃に流し込んでいるのは、排便を促さない特殊野戦食だからだ。試験に挑む者は三日後の二次試験後にならないと、通常の食事を摂ることは無い。試験を途中退場したり、二次試験に選出されなかった場合は、通常の食事に戻るけどさ。
食事開始の1分後、食事時間が終わる。と同時に、川口副教官が声を張り上げた。
「試験を辞退する者は、挙手!」
7年間の寮生活は伊達ではない。静寂が食堂を支配しただけで、挙手した者は誰もいないと確信できた。言うまでもなくそれは的中し、川口副教官が再度声を張り上げる。
「霧島教官殿、試験辞退者なしです」
「了解した。これより、戦士最終試験を開始する」
一次試験は超山脈縦断でも、試験を開始する場所は超山脈ではない。
開始場所は、寮の食堂なのだ。
17年の総決算となる最終試験が今、始まったのだった。
仮に試験辞退者がいた場合、その人は即座に食堂を離れ部屋で待機せねばならない。その人としたのは辞退を決めた瞬間、その人は生徒ではなくなるからだ。食堂を去らねばならぬ理由は、試験に挑む生徒のみに重大な秘密が明かされる事にある。それを明かされる一員たる俺は霧島教官の一言一句を聞き逃さぬよう、全身を耳にした。その十数秒後、胸の中で「ああやはり」と呟やいていた。霧島教官は、こう述べたのである。
「秘匿されていた、戦士の平均生還率を発表する。小隊長未満の戦士の生還率は、10%。小隊長以上大隊長以下の戦士の生還率は、0.1%。少団長伍以上の生還者は、過去1900年で一人もいない。30秒後、辞退者の有無を再度問う。各自、考察始め」
天風一族の本拠地を訪ねて二年間は、親族で生き残ったのは長老のみという五家の直系は、翼さんだけと思っていた。だが、それは違った。茜さんと颯と蒼も翼さんと同じだったし、鷹さん夫婦も、戦争に従軍した自分達以外の家族を全員亡くしていたのだ。また鷹さん夫婦は、どちらも小隊長未満だった。そして二人以外の五家の人達は全員、小隊長以上だった。然るにこう推測していたのである。「小隊長以上は生還率が極端に低いのではないか」と。
しかしそれは、絶対的な秘密ではないと思われる。俺が戦争を生還する目標を立てていると知るや、驚愕したヤツらが大勢いたからだ。ひょっとするとここにいる野郎共200人の中でこの秘匿情報を知らなかったのは、俺だけなのかもしれない。
それは置き、30秒後も辞退者は一人もいなかった。霧島教官が話を進める。
「試験の説明は一度しかしない。不明な点は各々が教育担当AⅠに訊け。ただし試験中なため、訊けるのは教育担当AⅠのみとする。違反者は一回目は警告、二回目で失格だ」
そう前置きし説明されたのは、一聴しただけで理解し迷いなく行動するには少々複雑な内容だった。要約すると、こんな感じになるだろう。
1、超山脈合宿では、幅11メートルの直線道が各自に用意されていた。しかし260万人が挑む一次試験では、初対面の5名もしくは6名で同じ道を使用することになる。
2、一次試験合格の可能性が高い生徒は、宿泊所から離れた直線道を割り振られる。合格の可能性が低い生徒は、宿泊所に正対するか宿泊所に近い道を割り振られる。共に戦う仲間なため、この区別を甘受されたし。
3、超山脈行きの飛行車は2の理由により、異なる箇所に複数回停車する。自分の道の最寄り箇所に着いたら、各々自発的に降車すべし。超山脈行き飛行車の出発時刻は、0700とする。
4、同じ道の5名もしくは6名は、事故を防ぐため走破速度の速い順に10分間隔で出発する。
5、自分の直線道、及び自分の走る順番は各自が担当AⅠに訊き、各自で移動し順番どおり一列縦隊を形成しておくこと。制限時刻は0800、遅れた者は失格とする。
6、峡谷宿泊所だけでは、収容人数が足りない。1万人乗りの緊急脱出用飛行車を峡谷宿泊所と同数出動させ、収容人数不足を補っている。担当AⅠの指示に従い、どちらかに宿泊すべし。
7、超山脈を三日以内に片道縦断すれば一次試験合格だが、希望者は一往復以上しても良い。申請した距離の完走義務はなく、片道縦断した時点で合格とみなす。長く走っても加点にはならないが、入隊時に箔が付くのが人類軍の伝統である。
8、一往復以上を望む者は、0625までに教官の下に赴き申請すること。人類軍が手配した飛行車に搭乗し、自分の直線道の出発地点に各々向かうこと。




