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口をポカンと開けて硬直する哀れなイモムシの俺に、数千キロを飛翔する麗しい丹頂鶴の美雪が語ったところによると、心の成長度と知性の高さは必ずしも比例しないらしい。だが輝力が絡むと、比例するどころではなくなる。特に輝力量を増加させ、輝力操作を巧みにし、剣術訓練を介して運動神経も鍛えるアトランティス人は、単純な正比例とは言いがたい状況になるという。記憶力が増し集中力が深まり、頭の回転速度が上がるだけなら陸上生物同士の比較で足りるが、閃きという理解力の跳躍がアトランティス人には加わるため、陸上生物と鳥類の比較にならざるを得ないそうなのである。「そう言われましても実感ないのですが」と真情を吐露する俺に「変ねえ」と呟いた美雪は、母さんに助力を請うたのだろう。虚空を見つめていた顔をパッと輝かせて母さんに謝意を述べたのち、美雪はこんな話をしてくれた。
「原則として直前の前世は、記憶を強固に封印するんだって。原則だから例外は複数あり、この星に転生した翔にも例外の一つが適用されたけど、前世の脳の性能に限っては慢心を防ぐべく、記憶が封印されたって母さんは言ってた。でも例えば前世の運動神経の記憶は封印せず、今生の運動神経の良さと比較可能にして、運動を楽しめるようにしたんだって。翔、軽業の訓練を毎朝楽しくできて、良かったね」
運動神経が前世より良いのは、毎朝の軽業を介して心底実感できても、前世と今生の区別なく己の愚かさを頻繁に嘆いている身としては、脳の性能向上へ懐疑心を拭えずにいた。でも美雪が「母さんから伝言、その懐疑心を生涯大切にしてね、だそうよ」と言っていたから、このままで良いんだろうな。
この件に関しては、明日の朝食後の座学で数学を学んでから改めて考えることにし、美雪はその後、4月以降の座学について話した。
それによると、将来の仕事に備えた座学を受ける子供が、7歳から一気に増えるという。するとそれに釣られたり危機感を覚えたりする子供達が現れるようになり、夏を迎える頃には孤児院の全員が、自分に合った講義を個室で受けるようになるのだそうだ。「だから心配しないでね」「わかったよ姉ちゃん」 という会話を最後にこの話題は終わったと思っていたのだけど、それは違った。美雪が思い出したように、
「ねえ翔、空いてしまった明日以降の9日間の希望はないの?」
そう訊いてきたのである。ゴメンまるっきり忘れてた、いいのよ気にしないで、なんてやり取りを経て、ダメもとで言ってみた。
「中二病的講義を母さんにしてもらうのが、僕の一番の希望だよ」
それからの数十秒以上に恥ずかしい思いを、この星でしたことは無い。常におしとやかかつ上品な美雪が、お腹を抱えて笑い転げたからだ。いつまでも笑い転げるため俺は涙目になり、それでも笑い続ける美雪に涙の最初の一滴がとうとう流れ落ちたのを、不憫に思ったのだろう。
「ちょっと美雪、あんまり笑うと翔が可哀そうよ」
冴子ちゃんが急遽やって来て、美雪を諫めてくれた。が、
「冴子だっていつも必死になって笑いを堪えていたじゃない。母さんの中二病的講義に瞳を輝かせる、翔の様子に!」
「そ、そりゃ・・・・ブハッ、アハハハ!」「「アハハハハ~~!!」」
てな具合に冴子ちゃんも、お腹を抱えて笑いだしてしまったのである。かくして俺のダメージは倍増し、テーブルに突っ伏して泣く寸前になっていたところ、母さんがテレパシーで二人の大笑いの理由をこっそり教えてくれた。そのテレパシーを文字にすると、こんな感じになるだろう。
『量子AIは自分の知力向上を喜ぶと共に、他者の知力向上も喜ぶ。よって母さんの講義に子供が瞳を輝かせる様子は、量子AIを幸せにする。講師の見本でもある母さんの講義に自分の知力が向上する喜びと、母さんの素晴らしい講義に子供の知力が向上する喜びの両方が、量子AIにもたらされるからだ。
また輝力を持たない量子AIは、輝力が知性として具現化した閃きを非常に尊ぶ。したがって閃きを連発し開示期間をたった2日で終わらせた俺が、明日以降の9日間で母さんの講義を受けることを、量子AI達は切に願っていた。俺が母さんの講義を受ければ仮想世界で自分も講義に出席し、閃きが連発する様子を幸せな心で観覧できるからだ。
しかし中二病的講義に限っては、不可解な現象が起きていた。母さんの語る中二病的事柄は量子AIにとって未知の知識なため、通常なら喜びと幸せを感じるだけなのに、面白いという感情もこみ上げてくるという。しかもそれに、瞳を爛々と輝かせ尻尾をブンブン振りまくる俺の様相が加わると、面白さを超えた「笑い」がせり上がってきて、堪えるのに苦労するらしい。堪えきれず笑ってしまい講義を妨害したら後悔してもしきれないので、量子AI達は笑うのを必死で我慢するそうなのである。
ただその、笑いを堪えるべく苦労するという経験は量子AIにとってまこと珍しく、たいそうな好評を博しているという。母さんが地球の文化に譬えた「笑ってはいけないという制約のもとで観る、すこぶる面白いお笑い芸人のコントの感覚ね」には、苦笑したけどさ』
などと長~くなってしまったが、母さんがテレパシーで教えてくれたのはこんな内容だった。俺は二人の大笑いの理由を知り、涙の駆逐にめでたく成功する事となる。いやそれどころか二人に釣られて、いつの間にか俺も笑ってたんだけどね。
それが良い方へ転んだのだろう、笑いの収まったテーブルは親密な気配に包まれていた。俺と美雪と冴子ちゃんは食後のデザートを楽しみつつ大いに語り合い、気づくと午後8時を過ぎていた。こりゃイカンと慌てた俺達は明日の予定を話し合い、とりあえず午前の座学で数学の講義を受けることになった。前世は得意でも不得意でもなかった数学へ、今生の俺はどのような感想を抱くかな?
という明日への期待に胸を膨らませつつ、眠りの世界へ俺は旅立っていった。
――――――
翌日の、午前6時50分。
数学の講義が始まるや、俺は驚愕した。高校3年で習った微分積分の説明がスルスル頭に入って来て、たちどころに理解できたのである。しかも応用問題を出されたとたん凄まじい集中力が発現し、頭が超高速で回転して、正解へ至る数式をよどみなく書き連ねていったのだ。そんな30分を経て、美雪が嬉々として言った。「翔が高校で習った微積の復習をすべて終えたよ。さあ次は、習っていない微積に移ろう!」と。
習っていない微積は理系大学の入試範囲だったため、さすがに30分では終わらなかった。ただ美雪によるとあと30分で制覇するらしく、そして俺もそれを、まったく疑ってなかったのだった。
昼食後は普段どおり昼寝し、午後2時から午後5時までの3時間で物理学と化学と機械工学をそれぞれ1時間ずつ習った。それらにも午前と同様の理解力と集中力と高速思考が訪れ、今日1日の進捗を図で視覚化してもらったところ、俺も信じられるようになった。ああ本当にあの目安を、週6時間の勉強で達成できるんだな、と。
その後、美雪とほんの数十秒だけ話し合い、明日以降の8日間も今日と同じ4時間学習を続け、毎日1時間にするのは4月になってからということに決まった。すると丸々11日間、体を動かす訓練が8時間から4時間に減るが、不安は一切なかった。午前の4時間の訓練強度を、あり得ないほど高めていたからである。ただ美雪に「こんな高強度訓練を4時間続ける7歳児は、この1900年でも初めてだわ」と呆れ声で言われたのは、表情には出さなかったけど少し凹んだな・・・・
しかしそれも、母さんの講義が始まるなり吹き飛んだ。中二病講義を今日を含む9日間、午後5時から1時間することを母さんが了承してくれたのである。俺と並んで講義を受けるのは美雪と冴子ちゃんだけでも、仮想世界での参加者はいったいどれくらいになるのか? 精神衛生上の理由により、それは考えない事にしている。
これまでの突発的な中二病講義とは異なり、事前に予定を組んで始めた初の中二病講義は、趣がいつもと多少違った。「地球で行われている中二病的コレの、ココは間違い」という話を、母さんは三つしたのだ。
一つ目は「本物の霊能力者を見分ける基準に、超能力の有無を用いるのは間違い」だった。これは一つ目だったからだろう、この星に転生した俺にとっては非常に理解しやすい事だった。とはいえ最初からそれを口にしたりせず、会話の流れから自然とそれを思い付けるように母さんはしてくれた。
「闇族との戦争に勝つべく、翔は輝力を日々鍛えていますね」
「はい、鍛えています!」
「闇族が体表に展開する闇の覆いを突破できるのは、輝力を注入し続けている手持ち武器だけ。闇族は尾骶骨を使うことで、科学技術を超える超能力を発揮するのです」
「はい、理解しています・・・・・あれ?」
「どうかしましたか?」
「あの、人にも尾骶骨はありますよね? ならば人も、尾骶骨を使って超能力を得ることが可能なのですか?」
ザワッ・・・・
本物の霊能力者を見分ける基準に超能力の有無を用いるのは、間違いですからね~




