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すべて更地にして、初めから造り直さねばならない。それが、日本の社会の現状。
地球でもオリンピックのメダリスト等は尊敬されたが、この星における戦闘力上位者とは比べものにならないのが実情らしい。その最大の理由は、精神性の高さにあるという。ただ俺に詳細を教えるのは法的にまだ早く、ゴメンねとの事だった。その代わり質問があったら返答可能範囲を少し広げて答えると言ってもらえたので、ダメもとで訊いてみた。
「前世の僕が暮らしていた日本の政府は、歴史の教科書に登場する悪逆政府さながらになっていました。大勢の国民が貧困にあえいでいるのに新たな税金を次々作り、一握りの上級国民以外の生活を益々苦しくさせていったのに、自分達の給料だけは増やすなんて悪行を、大っぴらにしていたんです。僕の前世だった日本人は、なぜこうもダメな国民になってしまったのでしょうか?」
隣の冴子ちゃんとその隣の美雪は今、口をポカンと開けた間抜け面の見本の如くなっている。きっと二人にとって俺の前世の社会は小説や映画等のフィクションに登場するだけの、現実とはとても思えない酷い社会なのだろう。その証拠に「あれ? 翔は前世で封建社会にいたの?」や「悪逆無道な専制君主の独裁国家だったとか?」に類する問いを、意味不明でございます系の表情で二人は俺にし続けていた。が、
「犯罪者を除く成人した国民全員に選挙権のある、民主国家だったよ」
と答えた途端、二人の表情は一変。さっきとは真逆の「腑に落ちたわ」「うん、私も~」系の納得顔に、二人はなったのである。それが意味不明すぎて、今度は俺が口をポカンと開けた間抜け面になっていたところ、二人は美雪、冴子ちゃんの順でこんな話をしてくれた。
「たとえば翔の目の前に、お菓子を一心不乱に食べている、小さな子がいるとします。お菓子ばかりを食べているからブクブク太っていて、栄養も偏っているため肌荒れが酷く顔色も悪い、見るからに不健康な子がいるとしましょう」
「翔は優しいからそんな子が目の前にいたら、お菓子を取り上げて食べさせなくするわよね。そしてバランスの良い食事を用意し、ダイエットにも付き合って、その子が健康を取り戻すよう努力する。翔は心が成長していて優しいから、その子の幸せを願って行動することが出来るのよ」
「でもその子はまだ小さすぎて、翔の優しさが解らない。自分が不健康なことも理解できないし、この食生活を続けたら不幸が待っていることも、その子には理解できない。すると、大好きなお菓子を食べさせてくれない翔へ、こんな感情をその子は抱くの」
「この人は、なんてイジワルな人なのだろう。優しさの欠片もない、なんて酷い人なのだろうってその子は思うのよ。その子にとっては、お菓子をいつでも好きなだけ食べさせてくれる人が、優しくて素晴らしい人なのね」
前世を孤児院で過ごし、年下の大勢の子供達を世話してきた俺は、二人の話が痛いほど解った。高校生の俺なら理解できることも、小さな子供には解らない。後片付けなんて面倒なことはしたくない、なぜ整理整頓を強要されなければならないのか、お前は酷いヤツだと嫌われた経験が、俺には数えきれない程あったのである。またそれは、子供達の面倒を見てきた美雪と冴子ちゃんも同じだった。俺たち三人は過去のつらい記憶を明かし合い、慰め合った。そして俺が元気になったのを見届けてから、美雪、冴子ちゃんの順で再び話し始めた。
「国民を心の成長度で人数別に分けると、菱形になる。菱形の上の頂点は、心の成長した少数の人達。下の頂点は、心の未熟な少数の人達。そして中央の最大幅の箇所は、成長度が平均値の最大人数の人達ね」
「これは、地球もこの星も変わらないわ。心の成長を定義できていても、できていなくても、菱形になるのは同じなのよ」
「でも一人一票の選挙をすると、異なる選挙結果が出る。アトランティス星は心の成長を定義できているから、心の成長した人を尊敬する。よって一人一票の選挙をこの星ですれば、菱形の上の頂点から立候補した人が当選するのね」
「対して地球は、心の成長をまだ定義できていない。だから、どの立候補者が成長しているのかを、地球人は判断できない。どの立候補者の政策が人々を幸せにするのかも、地球人には判らない。でも、共感ならできる。自分と同じことを考えている候補者の演説に、共感することなら可能なのよ。すると、最も多くの共感を集めるのは、どの候補者になると思う?」
「そう、最も多くの共感を集めるのは、菱形中央の最大幅の箇所から立候補した人なの。それに対して菱形上部の三角形から立候補した人は、三角形内にいる人の数がそもそも少ないから、共感した人数も少なくなる。そして共感は、投票と同義として良い。よって上部三角形の立候補者は投票数が少なく、中央の最大幅の立候補者は投票数が多くなる」
「つまり一人一票の選挙を地球ですると、心の成長が平均値の人が、当選するってことね」
本来の意味とは異なるが、俺は開いた口が塞がらなかった。濁点付きの「あ~~」を声にせず叫びながら、頭を抱えていたのだ。思い当たる地球の記憶が、俺には山ほどあったのである。
例えば、孤児院出身というだけで俺を差別しイジメていた人達は、菱形下部の少数の三角形内にいると考えて良いはず。孤児院出身だろうと差別せず、対等な人間として気持ちよく付き合ってくれていた人達は、菱形上部の少数の三角形内にいるのだろう。そう、美雪と冴子ちゃんが説いたとおり、成長した人達は少数派でしかないのだ。
この「成長した人達は少数派でしかない」に基づいて社会を見渡すと、沢山の出来事をすんなり説明できた。たとえば20世紀の日本では、産地偽装や賞味期限改竄が横行していた。あまりに横行していたため感覚が麻痺し、それが当然になっていた会社も数多くあった。しかしそれらの会社にも心の成長した人が少数いて、「そんな事はそろそろ止めませんか?」と呼びかける事があった。だがそれは、多数派によって踏みつぶされた。いやつぶされるどころか、「早く大人になれよ」「いつまでも子供じみたことを言ってんじゃねえよ」「輪を乱すな」と、上から目線で諭される始末だった。心の未熟な人達が、残念な者達を見る眼差しを、成長している人達へ向けていたのである。
これと同種のことは、それこそ枚挙にいとまがない。工場から汚染物質を垂れ流していた時代もあったし、未成年の子供を戦闘機に乗せて敵の船に特攻させた時代もあったし、セクハラも「触られるうちが花」と公言されていた時代もあった。大多数の人達がそれに同意し、それが当然になっている時代が日本にもあったのだ。もちろんその時代にも心の成長した人達がいて「それは間違っている」と主張したが、少数派でしかないその人達は悲惨な目に遭った。戦時中に主張しようものなら特高警察に逮捕され、裁判無しに殺されることも多々あったのである。
それらを、今の俺は明瞭に理解できるようになった。しかし前世の日本国政府が悪逆政府さながらの状態になった理由は、いまいち解らないというのが実情だった。よってそれを打ち明けたところ、
「翔は昨日、いじめっ子でも勉強さえできれば高学歴になるって、ちらっと話したよね。それについて詳しく教えて」
と美雪に頼まれた。俺は前世の記憶を掘り返し、日本の暗記教育と学歴至上主義と受験戦争について話していった。すると話し始めてすぐ美雪と冴子ちゃんの眉間に皺が形成され、かつそれがみるみる深くなっていったため俺は途中で口をつぐんだ。女性の顔に皺を生じさせる行いなど、俺には無理だからさ。
だがたとえ口をつぐもうと、二人の眉間は元に戻らなかった。アタフタする俺へ二人は眉間に深い皺を刻んだまま、再度あの順番で話し始めた。
「コンピューターの無かった時代なら、大量の情報を暗記してそれを高速処理できる人を役職の高い行政官にするのは、理に適っていたわ」
「でもコンピューターが出現したら、異なる才能の人達を高級官僚にすべきだったの。だってその人達がどんなに優秀でも、記憶した情報量の多さと情報処理速度でコンピューターに勝つのは、無理だものね」
「はっきり言うと暗記と情報処理は、最も低級な知性なの。最も低級だからこそ、コンピューターというただの機械にすら可能なのね。量子コンピューター以前の古典コンピューターの、しかも人工知能ですらないただの機械にもこなせてしまうのが、暗記と情報処理なのよ」
「その二つを基準に人の知性を計っていたら、社会はどうなると思う? 無から有を生み出す創造力や、学問の未開領域に踏み込み真理を解き明かす探求力や洞察力等の、より高級な知性の持ち主たちのいない、停滞し衰退していく社会に遠からずなるわ。停滞した社会は、変化に対応できない社会と言い換えても良いわね」
「しかもその社会は心の成長も解明していないから、人の善性を軽んじる社会になってゆく。社会と行政官のトップを暗記と情報処理のエリートが占め、議員にも心の成長した人が選ばれ難いとなれば、善性のない悪逆政府が誕生して当然なのよ。そうそう翔、その政府が誕生した頃、冴子の言った大きな社会変化が訪れていたんじゃない?」
「うんうん私も気になる、翔どうなの?!」




