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 美雪はジャンプするように立ち上がり、「翔すごい大正解!」と俺の頭を両手で盛んに撫でた。とりあえず三度目は回避できたが、油断大敵。俺は慎重さに拍車をかけた。


「この星で定義されている心の成長の詳細を、僕は知らない。でも姉ちゃんや亮介や冴子ちゃん達のお陰で、大筋(おおすじ)の感覚的な理解ならできていると思う。それを基に3歳以降の孤児院の生活を想像すると、興味深い光景が脳裏に浮かんでくる。それは、心の成長を重視しつつもそれを子供に強制しない、という光景だ。元日本人の僕にとって、それは夢物語でね。例えば日本人なら定義を暗記させ、盲目的に従わせ、違反したら処罰する生活を子供に強いると思う。それが子供のためなんだという大義名分を掲げて、暗記度と服従度と処罰回数で子供を格付けし、それが子供達の心を歪ませ、イジメや差別が学校に蔓延していく。そんな生活を、日本人は子供に強いるはず。僕の学校生活が、実際そうだったからさ」


 やばい油断した、と焦った。美雪が昨日同様、泣きだしてしまったのである。美雪の隣に飛んでいき、今は真逆の幸せな日々を過ごしているよ、と俺は懸命に伝えた。幸い美雪はすぐ泣き止み、笑顔に戻ってくれた。


「もう姉ちゃん焦ったよ」

「ごめんごめん。ふふふ、翔ありがとう」


 隣に座る俺の肩を美雪は抱き寄せ、俺の頭に自分の右頬を添える。以前なら胸ギュウギュウは不可避だったはずだが、美雪にもいろいろあるのだろう。ギュウギュウできないことが美雪のストレスにならぬよう、俺が配慮してあげないとな。自分にそう言い聞かせて、話を再開した。


「えっととにかく孤児院では、心の成長の定義を一般常識として教えつつも、盲目的な服従等は強いていないと思う。そこに昨日知った、僕が来月から暮らす孤児院の子供達の精神年齢は地球人の小学5年生という情報を加えると、ある推測が立つ。それは、僕が孤児院で経験する苦労は二種類あるんじゃないかな、ということ。二種類の一つは、僕の言動が定義に沿っていることを誰も理解できず、1人ぼっちになる苦労。そしてもう一つは、定義に沿っていると過半数に理解されたことが裏目に出て、リーダーを押し付けられてしまう苦労だ。姉ちゃんをまた泣かせるかもしれないけど、一つ目の苦労は前世の経験を活かして受け流せると思う。また二つ目の苦労も、亮介と冴子ちゃんという卓越したリーダーを手本にできるお陰で、ストレス以外の苦労を味わうことはさほど無いんじゃないかな。ただの勘だけど、僕は孤児院で最初は1人ぼっちになっても、次第に溶け込んでいき、最後はリーダーで苦労するような、そんな気がするんだよね」


 やっちまった、と俺は激しく後悔した。後悔したのは途中の「姉ちゃんをまた泣かせるかも」の箇所で、美雪に大丈夫と胸を叩かせてしまったことだ。なぜならそのせいで美雪は涙を我慢せねばならず、すると涙の圧力は増すばかりとなり、そして遂に圧力は限界を超えて、涙腺の大決壊を招いてしまったからだ。この時点で既に後悔していたのに、事態は更に悪化した。最も恐れていた胸ギュウギュウが、始まってしまったのである。いかなる働きかけももはや無意味と悟った俺は「うえ~ん、びえ~ん、翔ゴメ~ン」という、意味不明の極致なのか意味明瞭の極みなのか定かでない美雪の声を、ただ黙って聴き続けるしかなかったのだった。


 思ったとおり、母さんと冴子ちゃんは現れなかった。美雪を泣かせた俺に事態収拾の責任があるのは当然だし、またそれ以上に、二人が現れたら話の脱線が相次いで今日も講義を終えられなくなる気がしたのである。俺は美雪の背中をポンポン叩きつつ今後の展開を予想し、講義をスムーズに進めるための計画を立てていた。

 そうこうするうち美雪は泣き止み、講義を再開した。と言ってもそれは、泣いてしまった理由を美雪が説明するという、一見無関係な話から始まった。でもおそらくこれこそが、今日の講義の(きも)なんだろうな。


「母さんと私も、翔が二種類の苦労を背負うと予想している。最初は疎外感を由来とする苦労で、次は責任感を由来とする苦労なのも、翔の予想とピッタリ同じね。ここまで同じだと、私は覚悟を決めて翔にある依頼をしなければならなくなるのだけど、それは私に多大な心労を強いることなの。すると翔は私の心労の軽減を最優先し、依頼を先回りして受けようとするんだろうなって思ったら、健気すぎて申し訳ないやら可愛くて堪らないやらで、感極まっちゃったんだ」


 実をいうと美雪が泣き止むより早く、今後の展開の予想を俺はすべて終えていた。その予想は現時点において、おおむね当たっていると言える。美雪の心労の軽減を最優先するという箇所については、的中したとして良いだろう。覚悟と依頼については推測の域を出ないが、大きく外れてはいないはず。これなら計画どおり行動して良いと判断した俺は、胸中を晒したうえで依頼を先回りして引き受けた。


「4月1日からの6年間を、心の成長の定義に沿って僕が行動すれば、皆も僕も心をより成長させられるんだよね。だったら、引き受ける以外の選択肢はないよ。姉ちゃん見てて、僕は絶対それを成し遂げるからさ」


 おそらくアトランティス星の法律では、7歳児の俺が「孤児院で苦労したくない」と主張すれば、それを叶えるしかないのだと思う。だが俺は、それを主張しない。俺が苦労すれば皆も俺も心をより成長させられることを、理解しているからだ。そんな俺を、母さんと美雪は十全に理解している。その十全には俺が背負う苦労も入っているので、二人は胸をさぞ痛めたに違いない。しかし6年後の、飛躍的な成長を遂げた俺達を明瞭に予測できる二人は、覚悟を決めて俺に頼むしかなかったのだ。「翔、苦労をあえて背負って」と。

 みたいな感じの展開を予想していた俺は、美雪の心労を僅かなりとも軽減すべく計画どおり行動した。つまり先回りして、依頼を引き受けたってこと。推測の域を出ない箇所が幾つかあったけど、たぶんこれで正解だったんだろうな。

 また俺は、この依頼を引き受けることは、情報開示の主要目的の一つに違いないとも考えていた。母さんと美雪は、4月以降の俺の立場を俺が無理なく理解できるよう、情報を適切な順番で一つずつ開示する計画を立てていたと思われる。それに便乗しても良かったのだけど、その計画は俺に無理がないことを主軸にしているため、俺が依頼を引き受けるまで美雪は心労を感じ続けてしまう。それを避けられるなら、たとえ二人の計画を台無しにしようと、美雪の心労を1分1秒でも短縮する行動を俺は選ぶ。それ以外の選択肢なんて、俺には無かったんだね。

 ただ選択肢がないのは事実でも、先回りして引き受けた理由は、美雪の心労を短縮する以外にもあった。それは、引き受けたことで時間に余裕が生まれれば、母さんが神秘中の神秘をまた教えてくれるかもしれないという事だった。五十歳を過ぎても中二病を引きずっていた俺にとって昨日の母さんの話は、値千金どころではなかったからな。

 といった次第で俺は依頼を引き受け、そしてその後の展開も一応予想していた。一応としたのは不確定要素が多く自信を持てなかったからだが、さっきの美雪の「感極まっちゃった」のお陰で一応を外すことができた。今回の感極まりは、さっきより遥かに大きいはずだからね。

 今回の感極まりは、さっきより遥かに大きいため、ギュウギュウの時間も遥かに長いと覚悟せねばならない。あれは複数の理由で俺を疲れさせるが、孤児院で暮らすようになったらギュウギュウの機会は減ると思われるので、美雪を悲しませないためにもここは疲労を受け入れるべきだろう。かくなる理由により、長時間かつ疲労甚大なギュウギュウを俺はかなりの確度で予想していたのだけど、それは見事に外れた。なんと俺と美雪の間に冴子ちゃんが急遽現れ、


「美雪、ストップ!!」


 美雪を押しとどめたのだ。


「え、冴子? 講義の時間が無くならないよう今日は来ないって、言ってなかったっけ?」


 との問いから窺えるように、美雪は感極まりすぎて阿呆になったらしい。講義を邪魔しないため来ないと言っていた冴子ちゃんが来たということは、今日の講義は終了したということなのに、そんな簡単な理論思考もできなくなっていたのである。冴子ちゃんもきっとそれに気づいたのだろう、


「あ~はいはい、母さんも来るからとりあえず下座に移ろうね」


 のように、小さな子をあやす口調で美雪に語り掛けていた。それへ、


「え? 母さんも来ないって言ってたのに来るの?」


 そう返した美雪は、想像を超えたド阿呆になっていたようだ。ひょっとして母さんが、俺に抱き着くのを控えるよう美雪に命じたのは、愛娘がこうもポンコツになるのを見るに忍びなかったのかもな・・・・

 と頭の隅で考えた俺に、母さんがテレパシーで答えてくれた。


『実を言うと、それも理由の一つでね。普段の美雪は私の子供達の中で最も賢いのに、翔への姉弟愛が爆発すると、最もポンコツな子になってしまうのよ』

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