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その日も輝力主導の実感を得られず、そのまま訓練場に泊まった。翌日もその翌日もそれは変わらず、ふと気づくと1カ月が経過していた。変化のまったくない1か月を、俺は過ごしたのだ。輝力主導の実感を得る兆候は微塵もなく、引き続き何も変わらない数カ月を送るのだろうと考えていたが、それは半分当たり、半分外れた。当たった半分は、数カ月たっても兆候が現れなかったこと。そして外れた半分は、同居人が増えたことだ。その同居人は、猫。そう俺は生後1か月の雄猫と、一緒に暮らすことになったのである。
猫が同居人になったのは、偶然ではない。訓練場に泊まり続け孤児院に一切帰らない俺を、国家が問題視したそうなのだ。美雪はそれを、こう説明した。
「人類は闇人との戦争に、単独で挑むのではありません。五人一組の『伍』を作り、闇人と戦うのです。伍は連携を重視し、翔君のような孤児院育ちは連携に秀でているとされています。同年齢の仲間達との集団生活が、連携技術を自ずと磨いてくれるんですね。けれども翔君は、孤児院へ一切帰らない。このままではコミュニケーション力が育たず、将来の禍根になると国家は判断しました。という訳で、この子が同居人に選ばれたのです」
美雪はそう言って、カートに乗せられた生後1か月の雄の茶トラ猫に微笑んだ。前世の記憶に基づくなら、ここは顔を輝かせた美雪が子猫を抱き上げ頬ずりする場面なのだろうが、美雪にそれは叶わない。3Dの虚像ゆえ、そうしたくてもできないのが美雪なのである。本人もそれを、痛いほど知っているのだろう。美雪の微笑みの奥深くに、虚像の自分への哀しみをはっきり見て取った俺は、カートに一歩踏み出した。そして子猫を両手で優しく包み、胸に抱き寄せる。温かく柔らかい、大切に大切に接しないとすぐ壊れてしまう小さな命を心で直接感じた俺の口から、言葉が自然と出てきた。
「俺達は家族だ。これからヨロシクな」
子猫が俺を見上げ、みゃあと鳴く。猫は賢いので、俺の今の言葉をしっかり理解していると考えるべきだろう。胸に抱き寄せたまま撫でると、子猫は気持ちよさそうに目を細めた。しかしそれは5秒と続かず、首を掻く俺の指にじゃれついてきた。子猫をカートに下ろし、しばし遊んであげる。瞳を爛々と輝かせて十指と格闘する子猫を見ていたら、名前がふと浮かんできた。遊ぶのを止め身をかがめ、目線をなるべく一緒にしてから子猫に語り掛ける。
「お前の名前は、虎鉄。虎に鋼鉄の鉄で、虎鉄だ」
元日本人としては「コテツ」という響きに、新撰組局長近藤勇が愛用した虎徹を連想してしまうが正直なところだ。しかしそれでも、俺はこの子の名前に虎鉄以外をどうしても思い付けなかったのである。虎鉄も、
「にゃ!」
と嬉しげに鳴いたから、きっと気に入ってくれたに違いない。美雪も満足げに幾度も頷いていたので、この子の名前はめでたく虎鉄となったのだった。
虎鉄との暮らしは順調だった。日に8時間も訓練するせいで虎鉄とコミュニケーションを取れず、問題になるかもしれないと最初は少し危惧したが、それは杞憂だった。虎鉄は虎鉄で、とても忙しい日々を過ごしていたのだ。それは、狩り。訓練場にいる豊富な小動物の狩りに、虎鉄は大忙しだったのである。
闇人との戦争は、草木の生えない広大な荒れ地で行われる。よってこの訓練場も面積の九割が荒れ地なのだが、森の中でゴブリンと戦闘することも皆無ではないため、荒れ地以外の場所も一割設けられていた。横に細長い人工林が、それだ。たった一割でも、訓練場の面積が1万平米あるとくれば、広さ1千平米の林になる。加えて、訓練場を取り囲む壁の内側にも草が密生していたため、それらを合計すると狩りをするに十分な小動物が訓練場内にいたのだ。虎鉄にとって林の効能は他にもあり、たとえば風通しの良い涼しい木陰で昼寝すれば、プライベートを満喫することも出来た。かくして俺の訓練中、虎鉄は虎鉄で充実した時を過ごし、それゆえに行動を共にする限られた時間を互いが大切にするという、まこと良好な関係を俺達は築くことが出来たのである。
独立心の旺盛な猫ではなく、上下関係と依存心の強い犬だったら、これほど上手くはいかなかったかもな。
という次第で虎鉄が加わった暮らしは、順調の見本の如く推移した。輝力主導の身体操作の方は感覚を相変わらず得られずとも、春から夏へ移行する季節にも助けられ気落ちとは無縁でいられた。美雪も量子AIの特性を遺憾なく発揮し、進捗の微塵も見られない俺に嫌な顔ひとつせず付き合ってくれた。飯は美味いし、輝力を除けば体も自由自在に動くし、美雪と虎鉄の3人家族の暮らしも楽しかったので、俺は幸せいっぱいの日々を過ごしていた。そしてそういう日々は、矢のように過ぎていくもの。気温が下がって涼しくなり、更に下がって寒くなり、けど寒さも永遠ではなく、降り注ぐ日差しが日ごと強くなり寒さを次第に感じなくなってきた、3月某日の午後。
「・・・・あれ?」
俺は思わず、そう呟いた。輝力に引っ張られて体が動いた感覚を、ほんの僅かではあったが明瞭に感じることが出来たのである。正直、めちゃくちゃ嬉しかった。何もかも放り出して跳び上がり、嬉しさをかみしめたいのが本音だった。だがこういう時こそ慎重になるのが、五十余歳の知恵。俺は心を静めて白薙を振りかぶり、それをいつもどおり振り下ろした。
「キタッッ!!」
俺は叫んだ。輝力が体を引っ張る感覚を、1回目より更にくっきり感じたのである。今回はもう我慢できそうも無かったが、それを我慢してこそ半世紀以上の歳月を生きてきた者と言えよう。俺は心を鬼にして冷静さを維持し、輝力主導の振りかぶりと振り下ろしを数時間続けた。そして遂に、午後6時の鐘が鳴る。訓練をしめくくる中段の構えを最後に取り、それを解いて訓練場に一礼。折った腰をまっすぐ伸ばして回れ右をすると、いつもと同じく美雪の姿が目に入った。俺はおそるおそる聞いてみる。
「輝力主導で体を動かせたんだけど、センサーではどうなってたかな?」
輝力の科学的解明が進んでいるこの国にとって、輝力をセンサーで感知するのは容易いこと。と知りつつも、おそるおそる問わずにはいられなかった俺をおもんばかってくれたのだろう。美雪は普段の会話で見せる、至極普通の笑顔で答えた。
「センサーでも輝力主導を確認したよ、おめでとう翔」
「ありがとう姉ちゃん!」
家族として暮らした月日は、互いの呼び方を変えた。美雪は俺を呼び捨てにするようになり、俺は美雪に姉ちゃんと語り掛けるようになっていたのだ。そんな俺へ、
「にゃあ~~!!」
虎鉄が嬉しげに鳴いて跳びかかってきた。国民のほぼ全員が輝力をまとうお国柄が影響したのか、ペットも輝力を知覚できることが科学的に証明されている。虎鉄がペットなのかは脇に置き、かけがえのない家族の一員の虎鉄がこうも嬉しげにしているのだから、俺の輝力を虎鉄も知覚したと考えて間違いないはず。跳びかかって来た虎鉄をしっかり抱きしめ、首元を掻いてあげる。虎鉄は心地よさげに目を細めた。が、数秒と経たず猫パンチを繰り出すようになり、その5秒後には俺達は取っ組み合いを始めていた。高速で突っ込んで来る虎鉄をいなし、しかし運動神経の塊の虎鉄は目にもとまらぬ速度で方向転換して再度突っ込んできて、それを俺がすんでのところで回避する。といった具合の、遊び半分本気半分の取っ組み合いに俺らはここ数カ月ハマっていたのだ。したがって今日も今日とてそれを始めたのだけど、今の俺は昨日までの俺ではない。輝力主導の身体操作が、昨日までとは一線を画すキレを体にもたらしていたのである。虎鉄の凄まじい速度の方向転換に余裕を持って対応した俺は、いつもと違って危なげなく虎鉄を回避した。と同時に、震えが走った。たった一人で素振りをしていた時の実感を遥かにしのぐ、「俺は輝力主導の身体操作を習得したんだ!」という揺るぎない実感が、津波のように押し寄せてきたのだ。虎鉄もそれを、しっかり感じたのだろう。ニヤリ、と肉食獣の笑みを浮かべて、虎鉄が再び突っ込んできた。ニヤリ、と俺も笑い返してそれを回避する。「フハハハッ、来い虎鉄!」「ニャー!!」 てな具合に中二病を疑われても仕方ない高笑いをしつつ、俺は虎鉄と取っ組み合いを続けた。いやはやホント、男同士って良いものだなあ・・・・
そうこうするうち美雪がやってきて、晩御飯の準備が整ったことを告げた。ピンときて、虎鉄と先を争いテーブルへ駆けてゆく。予感は的中しテーブルの上には、縦だか横だか判らないほど分厚いステーキが乗せられていた。テーブル横のいつもの場所に置かれた虎鉄のお皿の上には、豪華お刺身セットが並べられている。雄たけびを上げた俺らは美雪に礼を言い、豪華料理に舌鼓を打ったのだった。