12
口を尖らせることを止めてくれた翼さんに内心ホッとしつつ、先を続ける。
「歩道の直前で立ち止まり、歩道に足を踏み入れる際のコツは、意識し過ぎないことです。意識し過ぎる例を挙げると、俺の前世の国では卒業式で卒業証書を校長先生から・・・」
小学校の卒業式で卒業証書を校長先生から直接もらうとき「右手右脚、左手左脚を一緒に出しちゃダメだぞ!」と強く意識するあまり、右手右脚、左手左脚を一緒に出してしまう事がある。このように人は「これはしない!」と意識し過ぎたせいで、かえってそれをする事のある生き物なのだ。そうはいっても日本人以外にはピンとこないかもしれないので右手右脚、左手左脚を実演したところ大いに受けた。俺は満足し、翼さんへの返答に戻った。
「意識し過ぎないことがコツですが『ではそのコツは?』と問われたら、脳筋の私は『練習すればいいじゃん』と答えます。例えば自宅で別の部屋に足を踏み入れるさい一度立ち止まり、右側歩きと左側歩きを実際にしてみる。自宅ですから緊張し難いでしょうし、笑われることも他者に迷惑をかけることも無いですからね。しかし老人の中にはそれでも緊張し、よろけて転倒する人もいるかもしれません。仮にそうなったら、それはもうその人の因果。歩道で大勢の人達に迷惑を散々かけてきたツケが回って来たと、諦めてください。『行動を変えれば状況も変わる』の法則が、転倒として自分に働いたのですから」
「なるほど、その老人にも前回の法則が働いているのですね。行動を変えず今までどおり迷惑行為をしているうちは、迷惑者という状況が変わらず続く。行動を変えれば状況も変わりますが、変わり方は人それぞれ。迷惑者を脱する人もいれば、自宅練習中に転倒する人もいる。しかし人それぞれだからと言って、今回の『人は選んだ未来の自分になる』が前回の『行動を変えれば状況も変わる』より弱いということは無い。転倒した人は転倒するほど緊張したから転倒したのであり、それは選んだ未来の自分になっただけだからです。そういう事なのですね!」
肯定したところ、燦々と輝く笑顔を翼さんは浮かべた。その光が講堂中を照らし、皆を笑顔にしていく。それは手放しで嬉しくとも古参の一人が「こりゃ翔級だ」とニマニマし、それを受け最古参の上山さんがしきりと頷いていたのは解せなかった。むむう・・・・
ともあれ、講堂を見渡しつつ質問の有無を訊いてみる。どうやら無いようだ。かくして俺の第二回講義は、終了したのだった。
――――――
それから9日経った、3月10日。
雄哉さんの講義を受ける日の夜、ふと気づくと菜の花畑を望むベンチに母さんと横並びになって座っていた。母さんはいつもと違いモジモジしているけどこうして会えただけで嬉しいし、母さんが俺を不幸にするなどあり得ないので本心を素直に晒した。
「俺は母さんにならどんなことを言われても平気です、ぶちまけちゃって下さい」
「ふえ~ん、翔~~!!」
どんなことを言われても平気なのであって、どんなことをされても平気なのではないけど、俺の右肩に額を乗せて嘘泣きする程度ならいいか。嘘泣きは、ストレス解消になっているみたいだしな。と大らかに対応したのがツボだったのか母さんはなかなか泣き止まなかったが、並行して話し始めたお陰で講義に遅刻することは無かった。まあこの大聖者様なら時間加速なんて、お茶の子さいさいだろうけどさ。
それはさて置き話を要約すると、こんな感じになるだろう。
『戦士の心構えで講義した講師は俺を含めて計二人しかおらず、二百年近く前のもう一人の講義を覚えている組織のメンバーは、直弟子以上しかいない。その直弟子達が、俺の講義について熱心に話し合っていた。直弟子以上は過去に意識を飛ばせるから、俺の講義を見たそうなのである。それを耳にした大勢の孫弟子が自分も見たいと申し出て、直弟子が母さんに是非を問うた。俺の講義が役に立つと知っていた母さんは是とし、今度は孫弟子が熱心に話し合っていたところ、ひ孫弟子とひ孫弟子候補も視聴したいと言い出した。本体の色が異なる生徒達もそれに含まれ、色が異なることに由来する講義の目新しさもあって、俺の講義は今たいそうな評判を呼んでいるそうだ』
ということを、俺に内緒で進めたため母さんはモジモジしていたらしい。ショックかつ恥ずかしくはあっても、人を教える立場になることを受諾した際、講義の公開はあるていど覚悟していた。よってそれを正直に話し「ショックや恥ずかしさはありますが平気です」と胸を叩いたところ、やり過ぎた。嘘泣きではなく、本泣きされてしまったのである。そっちの方が何倍も心の負担になるのが本音でも、息子なのだから仕方ない。仲の良い親子を数百年間経験していないが本能で判る。俺と母さんは仲の良い親子なのだから、こういう事もあるのだと。
その後、普段どおりになった母さんが語ったところによると、上山さんのお孫さんの蓮花さんは講義の受講を希望したらしい。また俺の二回の講義も視聴し、来月1日を楽しみにしているという。まこと嬉しい限りだ。ただ、若林さんと蓮花さんの相性については尋ねなかった。母さんの隣にいたら、来月1日に分かるとなぜか確信したのである。
そして迎えた4月1日、蓮花さんが講堂にやって来た。正直、驚いた。この星で初めて出会った、儚げな美少女だったからだ。この星の女性は押しの強さを、もとい精神力の強さを持つのが普通なのに、それがまったく伝わってこなかったのである。しかしそれはパッと見の印象に過ぎないことを、聖音を唱えたとき知った。蓮花さんの聖音には安定感と、勁く真っすぐな芯があった。あたかも、巨大なピラミッドが心に浮かび上がって来るような音だったのだ。その音に耳を傾けたのち今一度目をやると、腑に落ちた。なるほどこの少女は、水面に咲く睡蓮なのだと。
水面は、傾きも凹凸もない完璧な平面になっている。そのまったき水面に円形の葉を浮かべる蓮は、水平と垂直を地球上で最も体感している生物なのかもしれない。その蓮が、水面に左右対称の花を咲かせたのが睡蓮。睡蓮に傾きはなく、また左右対称ゆえ中心に軸を持ち、軸も傾きゼロの真っすぐな垂直を成している。よって心に思い描いた睡蓮は抜群の安定感を誇り、かつ水平と垂直は不動のピラミッドの如くなのだけど、瞼を開けるとそこにいたのは儚げな美少女。その儚げな気配は可憐な花を想起させ、そこに不動の水平と垂直が加わった結果、腑に落ちたのである。ああこの少女は、まさしく睡蓮なのだと。
というイメージを、皆で聖音を唱えたさい俺は抱いたんだね。
うろ覚えだけど、淡く清々しい色調をシャーベットカラーと呼んだ気がする。シャーベットカラーを好む女性は多く、髪染めの色にしばしば用いられていた。その淡く清々しい明るいシルバーのセミロングと薄緑の瞳、スラリと伸びた長い手足、そして華奢な印象の蓮花さんはよくよく見ると、アニメや漫画から降臨した美少女にしか思えなかった。俺から見て蓮花さんの右隣に座っているのが同じく二次元美少女級の翼さんな事もそれを後押しし、すると蓮花さんの左隣に座っている若林さんの様子が気になるところだ。けどその前に、左から若林さん、蓮花さん、翼さんの順に座っている訳を振り返るべきだろう。
前々回の講義で初めて顔を合わせた勇と舞ちゃんと翼さんは、縦一列の時は勇を先頭にこの順になり、横一列の時は勇を左端にこの順に自ずとなるようだ。よって講堂入室時この順の縦一列になっていた三人は、この順で横一列になって座った。そのさい翼さんの隣が若林さんになったのは、勇の気遣い。勇が若林さんの隣に座ると、翼さんの隣は面識のない人になるかもしれない。社交的ではない翼さんにそれは酷なため、翼さんの隣が若林さんになるよう勇は座ったんだね。その並び順で四人は講義を二回受け、今日もその順番だったけど、母さんがテレパシーで四人に話しかけた。「新受講生の18歳の女の子を連れて行くわ。年齢の近い護と翼の間に座らせてあげて。勇と舞の間に座らせて二人を引き裂くのは、可哀そうだからね」 赤くなり押し黙った勇と舞ちゃんの代わりに、若林さんと翼さんが快諾した。そして母さんに連れられやって来た蓮花さんが自己紹介を終え、さあどこに座ろうかという空気になったさい、勇と舞ちゃんと翼さんが挙手し一緒に座るよう誘った。この三人が前々回に加わった新受講者と知っていた蓮花さんはそれを喜んで受け、すると絶妙なタイミングで若林さんが席を立ち、蓮花さんと翼さんを横並びにした。かくして若林さん、蓮花さん、翼さんの並び順になったという訳だったのである。
さてそれでは、若林さんの描写に移ろう。と行きたいところだけど時間もないので結論を言うと、若林さんと蓮花さんは非常にお似合いだった。元刀鍛冶の若林さんは日本刀に似た強固で真っすぐな芯を心に秘めていて、それと蓮花さんの不動の水平と垂直は、相性ピッタリに思えたのだ。実際二人が隣り合って聖音を唱えたさい、互いの中心軸が共鳴していたしね。とはいえ俺が、そう感じたにすぎないんだけどさ。ともあれ、
「講義を始めます」
俺は三回目の講義を、始めたのだった。




