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最後の「アハハ~~」がサラウンド音楽のように広範囲から聞こえてきたので周囲へ目をやったところ、若手の執事さんと四人のメイドさんもいつの間にか部屋にいて、一緒になって笑っていた。何にせよ、大勢と笑いを共有できるのは楽しいことだ。よって俺も釣られて笑っていたら副メイド長さんが音頭を取り、執事さんとメイドさんの参加する食事会を提案したことへお礼を言ってもらえた。「とんでもない。俺の方こそいつも大変お世話になっています」「ふふふ、そう返されると思いました」 副メイド長さんに嫣然と微笑まれた俺はタジタジになり、再度の笑いが立ち上る。こっちも再度釣られて笑っていたら、不可解なことが起きた。哲治さんと響子さんが席を立ち、同僚達に加わったのだ。それだけなら一個のハテナマークで済んだが、それでは到底足らなくなった。視界の端に、俺に手を合わせてゴメンナサイの仕草をする翼さんが映ったである。その時点のハテナマークは二個に増えており、けど二個程度なら心の手綱をしっかり握っていられたのだけど、一列横隊を成した執事さんとメイドさんの七人が俺に向かって行進してきたのはギリギリだった。しかしハテナマーク三個のギリギリでも手綱は俺の手にあったが、とたんに怪しくなった。中央のメイドさんが捧げ持っている布は何だろう? と数秒前から抱いていた疑問が、解けたのだ。俺の手前2メートルで止まった一列横隊の中央のメイドさんが広げた布は、紋付き袴だった。日本人だった前世ですら数度しか見たことのない最上格の、五つ紋の黒紋付羽織袴だった。しかも染め抜かれた紋が、
白銀の翼
とくれば、手をすり抜けようとする意識の手綱を必死になって握り続けるしかない。と同時に必死になって、五つ紋の黒紋付羽織袴が俺の背丈とピッタリなことから目を背けていたのだけど、名前のとおり部屋に響き渡った響子さんの声が、すべての現実逃避を粉々にした。
「翔さん、どうかこの服を、明日の元旦の挨拶で着用してください」
白状しよう。
視界の端に再度映った翼さんが真っ赤な顔で懸命に謝っていなかったら、俺は間違いなく気絶していたのだと。
どうにかこうにか「時間を30秒ください」との言葉を絞り出した俺は両肘を両膝につき頭を抱えて、25秒間沈黙したのだった。
明潜在意識に25秒経ったら教えてねと頼み、四圧を発動。最近は四圧で勉強しているから、熟考も可能なはずだ。とはいえ確保できたのはたった50秒なので頭を最高速度で回転させたところ、推測交じりとはいえ5秒かからず今回の件の全貌を把握することが出来た。自分を納得させるべく、30秒かけてそれを噛み砕いてゆく。
去年の1月中旬、手書きされた翼さんの手紙を受け取った。それを読み、極悪領主だった頃の自分が心にまだ残っている事実に気づいた俺は、今後は翼さんへの責任を果たすことを誓った。それに基づき考察した結果、今回の原因の半分は俺にあることが判明した。筆頭当主の翼さんへ、四人の長老衆は上位者の礼でもって年始の挨拶をするはず。その翼さんの隣に俺がいても、色々と知り色々と約束している長老衆は、マイナスの感情を持たないと思われる。しかし母さんの組織を知らず夢で授業する約束も知らない次期当主達はそうもいかなかったが、政治色のある会食で状況が変わった。たとえば鷹さん軍団の幹部達はあの会食が代替わりの準備の第一歩だったと理解していたに違いなく、その成功に俺が一役買ったと鷹さん自身に聞いたら、翼さんの隣にいる俺にマイナス感情を持っても暴走しない程度に収められると思われる。非常に硬い絆で結ばれている幹部達がそうなら鷹さんも気持ちを落ち着かせることができ、そして鷹さんが落ち着いているなら茜さんと颯も類似する心境になるだろう。政治色の強い会食と知りつつそれに出席した時点で、響子さん達にアレを頼ませた原因の半分を俺は創っていたのだ。
では、残り半分は何なのか? おそらくそれは執事さんとメイドさんの計七人が翼さんに抱いている、家族愛なのだろう。響子さんの年齢は分からないけど哲治さんと同じなら、響子さんはこの家で90年以上働いていることになる。翼さんの父親の武さんすら、響子さんがメイド歴7年のとき生まれているのだ。響子さんにとって武さんは我が子と大差なく、だから武さんの忘れ形見の翼さんへ、ことさら強い家族の情を響子さんは抱いていた。それは夫の哲治さんにも当てはまり、他のメイドさんや執事さんも、娘や妹のように翼さんを思っていた。血の繋がりこそ無いものの、翼さんに家族の愛情をそそぎ大切にしてきた人が、翼さんの周囲には大勢いたのである。
その人達の胸を、痛ませることが今年の5月に起きた。戦士養成学校の女子寮で、恋人のいない唯一の生徒に翼さんがなったのだ。翼さんの転生時の選択を知っていようと、学校生活を案じずにいられないのが家族というもの。皆は自分にできる事がないか探し、そして見つけたのがさっきのお願い。天風一族の年始の行事で翼さんの配偶者の席に座る男性がいたら、学校生活に良好な影響が必ず出る。恋人のいない唯一の女子生徒へ向ける眼差しが、弱まらないワケないのだ。道徳的に問題あろうとそれが人間であり、ならばその男性に年始の行事の件を頼んでみよう。幸いその男性は、つまり俺は自分たち使用人を大晦日の食事会に誘う提案をする人だから、可能性はゼロではないに違いない。さあ皆で知恵を出し合い、計画を考えようではないか!
とまあこんな感じで計画され、かつ決行されたのが「翔さん、どうかこの服を、明日の元旦の挨拶で着用してください」だったのだろうな・・・
『・・・25秒経ったよ』
明潜在意識に25秒経過を告げられ、瞼を開ける。
そういえば四圧で時間速度が二倍になっていたのに明潜在意識が自動調整してくれたんだな、さすがだな。などと考えているうちに、約束の30秒になった。翼さんに正対し、視線を合わせる。すると翼さんの体が、痙攣したようにビクンと震えた。不躾だったと反省すると同時に「してやったり」系の気持ちも胸に生じ、我ながら驚いた。でもそれが、俺と翼さんの関係なのだろうな。と納得した俺の心に、母さんの言葉が蘇った。
『肩を抱いて支えるのではなく、手を取り互いに支え合う。母のこの言葉を、胸の中に生涯留めなさい』
いやはやまったく、母さんには敵わない。責任を果たすとか原因の半分は俺にあるとかを必死で考えたのは、有用だったと思う。けどそれを遥かに超えて有用なのが、母さんのこの言葉だ。不躾だったと俺が反省するのは、肩を抱いて支える女性。対して「してやったり」とほくそ笑むのは、手を取り互いに支え合う女性だからね。俺は胸に手を当て、母さんの言葉を今一度心に刻む。そして頼まれたことへの返答を、日本語で翼さんにした。
「よし明日は、お内裏様とお雛様になって、二人並んですまし顔になりますか」
翼さんは目が零れるほど瞼を開け、次いで思案顔になり、思案顔を苦悩顔に替えて更に脂汗を幾筋も流してから、恐る恐る口を動かした。
「翔さん」「どうした?」「私の日本語、変?」




