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夏休みといえば、戦士養成学校は学年ごとに夏休みの日付が異なる。理由は強制休日が異なるからであり、二年生の俺の夏休みは7月26日から8月4日まで、一年生の翼さんの夏休みは8月5日から8月14日までだ。一見すると重なる日は無くとも、俺の強制休日が8月5日なため、その日だけは重なっていると言えた。よってその日に天風一族の本拠地に行くのはやぶさかでないのだけど、4日の夕方にリムジン飛行車が学校にやって来たのはその限りではない。とはいえ拒否なんて、俺には不可能なんだけどさ。
功さんが亡くなった四日後に届いた直筆の手紙を読んでから、俺と翼さんの関係は変わった。今と比べたら以前の翼さんには、依存心があったと確かに思う。だが「では今の関係は?」と問われたら、返答に窮するのが実情。今の翼さんとの関係を言葉で説明することが、俺にはどうしてもできなかったのである。
ただこの「どうしてもできない」に、認めたくないという要素が含まれるのは否めない。一般的には普通でも俺にとっては衝撃的なため、意識しないでいたいと思ってしまうのだ。しかし、永遠に逃げ続けられないのがこの宇宙の真実。今生で出会った女性達と対比するという卑怯な方法ではあるが、この件に少しだけ踏み込んでみよう。
美雪は姉を意識させる女性として出会い、最愛の姉を経て最も好きな異性になった人。冴子ちゃんは友人として出会い、かけがえのない幼馴染になった人。母さんはここ数回の生まれ変わりで、初めて母と思えた人。鈴姉さんも母さんに似ていて、ここ数回の生まれ変わりで初めて実姉と思えた人。舞ちゃんは本人には言えないけど、俺の心の中では大切な妹。本人に言えないのは小鳥姉さんも同じで、姉の親友の素敵なお姉さんという立ち位置。小鳥姉さんはこの六人の中で少し特殊な立場にいて、ほぼ実姉の時もあれば、可愛さと頼もしさを同居させた魅力的な年上女性の時もあるという感じだ。そして小鳥姉さんのこの特殊性だけが、翼さんと俺の関係を説明し得ると俺は考えている。
今生で出会った美雪から小鳥姉さんまでの六人には、家族という共通要素がある。美雪を最愛の姉と慕って過ごした3歳からの記憶を、俺は生涯捨てない。美雪への想いの一部は、最愛の姉であり続けるのだ。家族なのは、冴子ちゃんも同じ。恥ずかしいので本人には秘密にしているけど、冴子ちゃんは幼馴染より、二卵性双生児の姉の方がしっくりくる。訳あって6歳まで引き離されていたため通常の双子とは異なれど、6歳以降の交流が双子としての姉弟愛を呼び覚ましてくれた。というのが、偽らざる本音なんだね。小鳥姉さんは鈴姉さんと付き合いの長い親友だからだろう、二人が横並びになって俺と会話しているとき、どちらも実姉と認識している自分に気づくことがある。そんな俺を小鳥姉さんは正確に察知しとても喜ぶから、姉に益々なるといった感じだ。それでいて非常に魅力的な年上女性でもあるのが、小鳥姉さんの特殊性と言える。そう小鳥姉さんだけは「家族」の面と、「家族ではない女性」の面の、二つの面を持っているのだ。
普通なら、この「二つの面」を具体化できた時点で翼さんへの考察は終了すると思う。翼さんは今生で唯一の、家族ではない女性。きっとこれが、最終結論になるのだろう。だが、俺の場合はそうならない。なぜなら俺には、血の繋がった家族がいないからだ。しかも今生のみならず、少なくとも三回の人生で血の繋がった家族が俺にはいないのである。回りくどいのではっきり言うと、本当は六人の女性も俺の家族ではないんだね。
にもかかわらず、俺は六人を家族と感じている。その上で特定の女性を、家族ではない唯一の女性と認識しているのなら、その女性は俺にとってどういう人なのか? 悪逆領主だった頃まで遡っても、同種の女性はいない。そして今の俺は、悪逆領主以前を思い出すことができない。ならば社会へ目を向け、特に文学へ目を向けて、俺と翼さんの関係に該当するものを探すと、衝撃的な語彙が浮かび上がってくる。それを・・・・
「俺はどうしても、意識したくないんだろうな」
翼さん専用のリムジン飛行車の中で、俺は一人そう呟いたのだった。
戦士養成学校二年生の、夏休み最終日。
時刻は、午後6時29分。
翼さん専用のリムジン飛行車に、俺は一人で乗っていた。なぜ一人かと言うと、この飛行車は翼さんを迎えに行く最中だからだ。一年時の冬休み前日に翼さんが俺を迎えに来た状況に、俺はいるんだね。着陸するのは女性の訓練場なので俺を疑似光学迷彩で隠すと共に、車外を見えなくするのだと思う。なんてったって車外は男子禁制の、年頃娘専用の敷地だからさ。
この「男子禁制の女子専用敷地」をどのように回避しているのかを、俺と翼さんは前回の定期メールで考察した。あくまで仮説だが、こんな結論に至った。
『飛行車の着陸脚が地面に触れていないなら、飛行車は法的に「飛んでいる」とみなされるため、男子禁制の女子専用敷地に降りたことにはならないのではないか』
翼さんが俺の訓練場に迎えに来た時も、リムジン飛行車は着陸脚を収納したままだった。そう飛行車はエンジンを切らず、空中に浮いていたのである。その上で翼さんの姿を隠し、翼さん自身の視界も閉ざした場合に限り、飛行車に乗って俺を迎えに来る許可を人類軍は出した。その男子バージョンに、俺は今いる。とまあ、こんな感じなのだろうな。
そう納得した俺に、天風一族のメインAⅠのお姉さんが語りかけた。
「翔さん、当飛行車は間もなく降下します。車外の景色を隠すことを、お許しください」
「了解です。俺も、目をつぶりますね」
ご協力感謝します、との声を俺は目を閉じて聞いた。続いて降下の感覚が生じ、それが消え、ドアの開く音が聞こえてくる。視覚は強制遮断の対象でも聴覚は含まれないんだな、と判断した俺は己の安直さを後悔することになった。嗅覚も含まれないことを認識し心の準備をしていればこうも動揺しなかったはず、と後悔したのである。7ヶ月振りに鼻腔をくすぐった、涼やかさと甘やかさを併せ持つこの香りを、本当は好きでたまらないという動揺を。
「翔さん、お姿を拝見できませんがそこにいらっしゃるのですよね。私の我がままを許し迎えに来てくださったことを、感謝します」
「翼さん久しぶり。姿が見えないのは俺も変わらない。こうして車内で話していると閉じた瞼に、翼さんの振袖姿が映るようだよ」
まあお上手ですこと、と翼さんはコロコロ笑う。会話が中断している今を逃すなとばかりに、飛行車が上昇を始めた。俺の姿が隠されている内に、動揺を鎮めねば。そう決意し渾身の努力をしたのが、実ったのだろう。疑似光学迷彩が解除され俺も瞑目を止め、いつもどおりの会話が始まっても、俺の動揺に関する話題を翼さんが口にすることはなかった。
そしてそれは翌日の午後7時半まで続き、天風一族の皆さんとの交流をそつなくこなして、俺はかの地を去ったのだった。




