三章 母さんの講義、1
執筆動機の一つに、やっとたどり着きました。
翌、3月19日。
午後に予定されていた既成の分隊に俺1人が加わる訓練は、行われなかった。四日前に受けた、戦場で臨時分隊を組む訓練の成績がすこぶる良かったらしく、その好成績をもって「翔の本日の訓練も、合格にします!」との運びになったのである。跳び上がって喜ぶ俺に美雪がこっそり教えてくれたところによると、その提案をしたのは美雪の上司だったらしい。それも嬉しかったが、
「じゃあ今日も前倒し開示会を開きましょうよ!」
と、冴子ちゃんが突如現れたのはもっと嬉しかった。だが今の俺と冴子ちゃんは、昨夕までの俺達とは違う。夕飯で盛り上がりまくり、冴子ちゃんと肩を組み歌を歌いつつそこら中を練り歩いた経験が、二人の仲を段違いに縮めてくれていたのだ。「今日も私と一緒にいられて嬉しいでしょ、ほら素直に喜びなさい」とグイグイくる冴子ちゃんに、俺は演技たっぷり溜息をついてやった。
「そりゃ嬉しいけどさ。暫く会えないからこそ昨日は、ああも盛り上がったんだよね」
「なっ、なによその言い分。翔のくせに生意気よ!」
「あ~ハイハイ。確かに俺は冴子ちゃんを、未だ呼び捨てできないヘタレですよ。いやはや残念ですねえ、冴子ちゃん!」
「ちゃんを不自然に強調するその言い方、なんか腹立つムキ~~!!」
ムッキッキ~と猿になって俺を引っ搔く冴子ちゃんを、俺はあくまで鷹揚にいなしていく。こんなじゃれ合いをしたのは今日が初めてだから、やはり俺達は仲が断然良くなったのだ。それは手放しで嬉しいことだったが今は脇に置いて、
「姉ちゃん、午後の訓練はどうしようか?」
俺はそう尋ねた。美雪がそれに「闇族にお猿さんのモンスターがいたら、じゃれ合いをこのまま続けさせてあげられたのだけど・・・」と、演技たっぷりの困り顔で答えたのはファインプレーと言えよう。「酷いわ美雪あんまりよ」「あ~ハイハイ、嘘泣きはまた後でね~」 なんて具合に、じゃれ合いが美雪VS冴子ちゃんに代わっただけな気もするが、再度それは脇に置いて。
「翔、情報開示と戦闘訓練のどちらを選んでも良いって母さんが言ってるわ。どうする?」
「じゃあお言葉に甘えて、情報開示をお願いするよ。ありがとうございますって、お母さんに伝えておいて」
了解と応えた美雪は、なぜかとても嬉しそうにしていた。嘘泣きを止めた冴子ちゃんも機嫌よさげにしているから、俺はきっと正解を引いたのだろう。何にどう正解したかは、てんで分らないけどさ。
その後、屋外テーブルに移動してお茶を飲みながら、講義の復習を俺は受けた。重要なことなので繰り返すが、テーブルで俺を待っていたのは情報開示の時間ではなく、講義を復習する時間だったのである。しかし美雪が、俺のためにならない事をするはずがない。斜向かいに座る冴子ちゃんも納得顔をしているから、これは必要なことと考えるべきなのだろう。俺は美雪の語る、アトランティスの文字の特殊性を傾聴した。
「たとえば目に、青色が映ったとします。それを脳が青色と認識したさい、特定の意識の振動が脳に生まれます。その振動に等しい振動を、直線と曲線の配列だけで脳に生じさせるのがアトランティスの文字、振字です。翔は朧げに覚えているだけでしょうが、3歳未満のアトランティス人は振字の波長を感じ取る能力を、遊びを介して鍛えます。赤ちゃんが寝返りを打つ努力や二本足で立つ努力を本能的にするのと同様、3歳未満ならその努力を、本能で行えるからです」
美雪の言うとおり、俺はそれを朧げにしか覚えていない。それが「この星ではなぜ日本語を使っているのかな?」という勘違いに繋がったんだよなあ・・・・
と思ったのが、顔に出ていたのだろう。
「翔、それは恥ずかしいことでも失敗でもありません。その説明を、覚えていますか?」
「もちろん覚えています」
胸を張ってそう即答した。勘違いを恥ずかしがる俺にその必要はないと、優しく説明してくれた美雪の言葉を忘れるなど、決して無いのである。俺は淀みなくそれを述べた。
「振字学習の基礎を履修した3歳未満の子供は、脳に生じる意識の振動を重視するあまり、振字の形を暗記しようとしない強い傾向があります。この『文字の形を暗記しようとしない』は『文字の形を気にかけない』へ容易く変化し、それに該当する子供が前世の記憶を思い出すと、興味深い現象を引き起こすことが知られています。前世の母国語とアトランティス語の違いを気にかけないため、この星の人々は前世の母国語を使っていると、無意識に考えてしまうんですね」
俺が、まさにそれだった。前世の記憶を満3歳の1か月前に思い出した俺は振字を目にしても、それを漢字や平仮名として無意識に処理していたのである。
ちなみにアトランティスが5万年前に海中へ没したことも、元地球人の俺を混乱させた。最初は「俺って転生に3万8千年もかかったの?!」と、混乱してしまったのだ。しかしそれも日本語の件と同じく、俺の思い過ごしだった。なぜなら地球で語られている、アトランティスは1万2千年前に沈んだということが、間違っていたからである。
アトランティスとムーが海に沈んだのは、俺が暮らしていた西暦2023年の、5万年前らしい。植民地だったころから現在までの記録が正確に残っているこの星の人達がそういうのだから、それが正しいんだろうな。
なんて感じに話が逸れたけど、
「はい、よく覚えていましたね」
この星の言語を日本語と勘違いしていた俺の説明に、美雪は合格点を出した。そして、
「ではこれ以降は、母さんがついさっき教えてくれた地球の情報も加えて、話していきましょう」
美雪はそう続ける。すると冴子ちゃんがワ~イと拍手し、俺の隣の席に移動してきた。推察するに、地球の情報を教えてもらったのは美雪だけで、そしておそらくその理由は、その方が楽しい講義になるからなのだろう。実際、瞳を輝かせて講義を待つ冴子ちゃんが隣にいるだけで、俺の学習意欲は爆上げしたからさ。
またそれは、美雪にも当てはまったらしい。学習意欲爆上げの俺と瞳を輝かせる冴子ちゃんに、美雪は頬をほころばせて講義を再開したからだ。その美雪が、指で空中に不思議な文字を書いていく。それは振字ではないにもかかわらず、意識の揺れによって読むことが可能という、とても不思議な文字だった。きっと上手く書けたのだろう「二人とも、この文字を読めるわよね」と、美雪は満足げに微笑んだ。驚きのあまり無言で頷くしかない俺と冴子ちゃんに、美雪は微笑みを大輪の花に変えて種明かしした。
「二枚の羽根の付いた帽子をかぶってスキップしているかのようなこれは、振字の波長を損なわぬよう簡略化した、簡略振字とも呼べる文字なの。母さんによると、アトランティス沈没後に地球人が発明した文字なんだって。地球人もやるねえ」
「ちょっ、ちょっと待った~~!!!」
俺は堪らず挙手した。そして、元地球人だがその字を見たことは一度もないと断言した。俺はこれでも文章を書いていたし、また白状すると重度の中二病患者でもあったから、一度も見たことないと自信をもって主張できたのでる。美雪は「そうなの? 変ねえ」と首を傾げ、虚空を見つめて通信しているような素振りをした。続いて「なるほどそうだったのね、母さんありがとう」と顔をパッとほころばせ、簡略振字の隣に新たな字を綴った。冴子ちゃんはその字を読めずポカンとしていたけど、俺は大変だった。知的興奮の大爆発に見舞われてしまったのである。だって、だってその字は・・・・
「翔、この字なら記憶にあるんじゃないって母さんが言ってたけど、どう?」
「うん、ある。それは梵語で聖なる音とされる、オームだね」
オカルト好きの健康オタクだった俺は、一時期ヨガにハマっていた。その流れで梵語にも興味を持ち、オームの字を彫った石のアクセサリーを身に着けたりもしていた。けどまあそこは伏せ、地球における一般知識としてのオームを俺は説明した。
「文明発祥の正確な時期が判明していないほど古いインドという国に、バラモン教という宗教があります。その聖典を声に出し節をつけて読むとき、聖音のオームを最初と最後に唱えます。そのオームを表す文字が、その字なんです」




