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けどそれは、後で思う存分ニマニマするとして。
「母さんには幾ら感謝しても感謝しきれません。昨夜の海中散歩も俺と翼さんが視界を共有できるよう、助けてくれたのではないですか? たとえば、母さんが太陽になるとか」
今日は、暇を見つけてはソレばかり考えていた。意識投射に慣れた俺なら夜の海を昼の海にできても、翼さんにもできるのだろうか? できたにせよ各々が個別に海中を見ているにすぎず、昨夜のように同じ視界を共有できるだろうか? また小魚は夜の活動を控えるはずなのに昼と変らず群れを成し、海老や蟹などが沢山いたのも不自然ではないか? これらを総合した結果、母さんが創造した海中を散歩したのではないにせよ、母さんが太陽として俺達を照らし魚等を見せてくれたのは確実と俺は結論したんだね。
「うん、太陽になった。唯一の肉親を亡くそうとしている翼に、少しでも気分転換をさせてあげたかったの。怒った?」「怒るわけないでしょ。母さんが白光として4歳の翼さんの前に現れたとき、翼さんは『初めまして母上』と挨拶したそうですね。母親も母親代わりもいない4歳の子に初対面で母と呼ばれて、心を動かさない母さんじゃないって俺は解っています」「翔、いろいろ解ってくれてありがとう」「それはお互い様、言いっこなしだよ」
そらから暫く、泣く母親を宥める時間が続いた。まあ母さんのことだから、遅刻はしなかったけどさ。
それに、4歳の翼さんを思い出して泣いたことが、良い方に働いたのだと思う。翼さんの夢を訪問した際、母さんはいつにも増して母親になっていたのだ。それが翼さんの緊張をほぐし、いつの間にか翼さんは母さんを「母上様」と呼ぶようになっていた。それに気づき大慌てになった翼さんを、母さんは母親として抱きしめた。その光景は俺の胸をポカポカにすると共に、俺を心底安堵させもした。少なくとも今生で「手を離しなさいよ!」「やなこったい」の攻防を繰り広げることは、もう無い。思春期の息子として当然の反応ではあっても、母さんに申し訳ないやら悲しませちゃってゴメンナサイやらで、実を言うとあの攻防は心臓にとても悪かったんだよね。ハハハ・・・・
その後、三人で連れ立って功さんの夢を訪ねた。功さんは反射的に土下座するも、あることに気づくや上体を起こし、ニコニコの極致の顔になっていた。言うまでもなく気づいたのは翼さんの、母上様という呼びかけだね。よほど嬉しかったのだろう母さんも「功がニコニコの極致の顔になっている」と笑いを堪えつつ言い、翼さんが耐えきれずププッと噴き出したのを機に爆笑の渦が巻き起こった。そしてそれが収まった時、功さんは威厳あふれるも孫娘に甘々の、祖父の顔になっていた。
「翼、悲しかったら泣きなさい。その代わり生まれ変わった儂に会ったら、嬉し涙を流すのだよ」「はい、お爺様。その言葉を、生涯胸に留めます」
気持ちが周囲に伝わりやすい準四次元だったこともあり、二人が互いをどれほど思いやっているかが手に取るようにわかり、俺は涙を必死になって堪えねばならなかった。
そんな俺を助けてくれたのか、それとも他に理由があったのかは定かでないが、母さんがとんでもないことをした。なんと、
「ふむふむ。では前世の記憶をまだ取り戻していない、2歳5カ月の来世の功を翼に見せてあげましょう」
と言ったのである。翼さんは眩しいくらいに顔を輝かせ、それに負けぬほど功さんも喜んでいたけど、俺は痛む胸に手を添えずにはいられなかった。生まれ変わりの法則を知らないから無理もないが、来世の自分を本人に見せるのはハードルが高すぎるんだぞ、功。
との胸中の呟きはもちろん当たり、功さんの姿が急に揺らいだと思いきや、2歳半ばでございます的な男の子が同じ場所にちょこんと立っていた。可愛すぎて悲鳴を上げる翼さんに、母さんが語りかける。「記憶は蘇らなくても、翼を認識するかもしれないわ。翼、その子の手を取ってあげて」 そのとおりにした翼さんに、
「ちゅばしゃ~~」
男の子が「にぱっ」と笑いかけたものだから、大変どころの事態ではなくなった。男の子を掻き抱いた翼さんはギュウギュウを決して止めようとせず、大聖者の母さんに困り顔をさせたほどだったのである。まあ困り顔は半分演技だったし、翼さんも最後は抱きしめるのを泣く泣く止めていたから、丸く収まったんだけどね。翼さんが離れてから元の姿に戻った功さんだけは訳がわからず、途方に暮れていたけどさ。
そうこうするうち、お暇する時間になった。途方に暮れる誰かさんが一人いたけど、「来世のお爺様」に会った事をさも嬉しげに話す孫娘を見るにつれ、どうでも良くなったらしい。
「またな、翼」「はい、お爺様」
夢を去る翼さんも見送る功さんも、笑顔で挨拶していた。
そしてそれが俺の見た、今生の最後の功さんだった。
翌、1月7日の正午。
午前の訓練を終え体育館の生活スペースに向かっている俺の耳に「またな翔!」という、功の声が届いた。肉声となんら変わらない声を掛けるなら姿くらい見せろやボケ、と文句を垂れる演技をしていた俺のメディカルバンドが、電話の着信を告げる。
「お爺様が今、旅立ちました」
「うん、俺に声を掛けてくれたよ。『またな翔!』だって」
「ふふふ、お爺様らしいですね」
はきはき会話しているけど、これは一時的なこと。功さんがなくなり、自動的に天風五家の筆頭当主になった責任もあって、無理をせずとも気丈に振る舞えているだけ。巨大な反動に遠からず襲われるのが、人という生き物なのである。
「承知しています。どうしても無理になったら、連絡しますので夢に来てください」
「了解。連絡を待ってるね」
その言葉に嘘はなく、俺はまこと連絡を待っていた。だがその日も翌日も翌々日も連絡はなく、おまけに定期メールもなく、心配で居ても立ってもいられなくなった俺は三日後に出席したひ孫弟子講義の帰宅中、本体に尋ねた。「翼さんの部屋を今訪れたら、翼さんに恥ずかしい想いや嫌な思いをさせてしまうかな?」 これは、母さんが教えてくれた方法。翼さんの今の寝相等々を俺の本体は知っていて、また翼さんの本心を翼さんの本体は知っている。よって「この方法で訪問可と返答されたら、翼の部屋を訪ねていいって本人も承諾済よ」と母さんが教えてくれたんだね。




