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功の願いが叶うと知り「ヨッシャ―!」とガッツポーズした俺の頭を、母さんがニコニコ撫でた。これは母さんのお年玉なのだと、俺は都合よく考えることにした。
のだけど、都合のいい考えは十秒続かなかった。俺の頭を撫でるだけで、母さんが口をつぐんでしまったのだ。仮に補足説明と頭撫での両方を止めたなら授業終了なので母さんの「質問ある?」を待っていればいいが、止めたのは説明だけ。さてこれは、どういう状況なのでしょうか? と考えたところ、思い出した。俺が功さんの授業をすると決まったとき母さんは数年ぶりに俺を抱き寄せたけど、正確には「功さんの夢に母さんの訪問も叶うかもしれない」から、俺は抱き寄せられたのだった。そうつまり俺は母さんに訪問の有無を尋ね、訪問する場合は予定日を訊いておかねばならなかったのである。
「功さんが来世で組織の一員になるなら、亡くなる前に母さんも功さんの夢を訪ねますか? 訪ねるなら今日も含めて正味三日もありません。日時はいつにしますか?」
「功の夢を訪ねるのは、6日の晩にします。そこで翔に、頼みが二つあります。一つ、功の生まれ変わり先が天風一族内から天風一族外に替わる可能性を、翼に決して洩らさないこと。二つ、翔は5日の晩に翼の夢を訪れ、体外離脱を試みること。成功した場合のみ、私と翔と翼の三人で6日の晩に功の夢を訪問しましょう」
翼さんの胸中を想うと、心臓に痛みが走った。しかし唯一の肉親を失う翼さんの痛みは、こんなものではないはず。ならば俺が、痛みに負けてなどいられにない。頭の中にある漠然とした想いを明瞭にすべく、俺は確認作業に移った。
「綾乃さんか茜さんの子供に功さんが生まれ変わったら、学校の長期休暇で帰って来る翼さんを、出迎えてあげられます。親族が誰も待っていない家に帰省する翼さんにとって、それは救いの時間にすらなるでしょう。よって翼さんの胸中には、綾乃さんか茜さんの子供に功さんが生まれ変わって欲しいという想いも、きっとあるはずです。しかしそれを表に出したら、功さんの未来を捻じ曲げてしまうかもしれません。組織の一員になる未来を捨て、孫娘のすぐそばに生まれ変わる選択を、功さんにさせてしまうかもしれないのです。『ならば表に出さず、寂しさをこの胸の中に留めよう。お爺様の未来のために、自分を犠牲にしよう』 翼さんはこう決意し、それを実行する人だと俺は考えます」
鋭い痛みが走り、俺は胸を押さえた。だが、翼さんの痛みはこんなものではないのだ。俺は自分を叱りつけ、声帯を動かした。
「けれどもそれを、ほんの僅かではありますが軽減する方法があります。さっき母さんに頼まれた一つ目が、それです。『功さんの生まれ変わり先が天風一族内から天風一族外に替わる可能性を、翼さんに決して洩らさないこと』ですね。それを知らなければ、功さんの夢を訪れる6日の晩に想いを押し殺さなくていい。いつかは自力で気づくとしても、少なくとも6日の晩は寂しさを封じ込める必要はなくなる。だから母さんは俺に、一つ目を頼んだ。これで、合っていますか?」
「合っているわ。他者の胸中を思いやれる優しい息子を持てて、母は幸せです」
「母さんにそう言ってもらえて嬉しいですが、功さんの胸中も話していいですか?」
いいに決まってるじゃないまったくこの子は、と怒る演技をしてくれる母さんの優しさが胸の痛みを溶かしてゆく。心の中で手を合わせてから、功さんの胸中に移った。
出生前記憶のある子が、前世の日本には大勢いた。幼稚園や保育園のようになっている雲の上でタブレットを使い地上の様子を眺めつつ、母親を選んだ記憶がその子たちにはあるのだそうだ。功さんにとっての同種の状況がどうなるかは、俺には分からない。だが仮に6日の晩、夢に現れた翼さんが寂しさを押し殺していたら、たとえそれを忘れていようと翼さんのそばに生まれる選択を功さんは高確率でするはず。なぜならそのとき功さんは、子供の心に戻っているからだ。131歳の今なら、真に翼さんを大切に想うなら鈴姉さんの子に生まれるべきと理解できても、子供の心では無理なんだね。したがって翼さんに寂しさを押し殺させてはならず、そしてその最も容易な方法を母さんは俺に頼んだのである。「翼に決して洩らさないでね」と。
いや、見落としがあった。翼さんのそばに生まれる選択をする可能性は、131歳の功さんにもあったのだ。翼さんの転生時の後悔を、功さんは知っている。よって「翼が後悔したのだから儂も後悔しよう」と決意する可能性も、ゼロでは決してなかったのだ。
という長~いアレコレを明確にせず、悶々としたまま心の中に留めていたら、翼さんにほぼ間違いなく察知されるはず。普通の状態ですらそうなのだから、翼さんの夢では100%バレてしまうだろう。かくなる理由により、こうして明確にし正しい行動をしていると確信できるよう、母さんは俺の夢にやって来てくれた。
「そういう訳ですよね、母さん!」
と胸を張って結んだ俺は、どうやらやり過ぎたらしい。
「ふえ~ん、翔~~」「ちょっと待った! どさくさに紛れて抱き着こうとしないでください!!」「だって翔は14歳になったんだもん、これを逃したら翔の次の転生まで待たないといけないかもしれないんだもん」「むむ、それは確かに待たせすぎな気がしますね」「でしょ。さあほら手を離して」「だが断る!」「な!」「ふふん」「離しなさいよ!」「やなこったい」「ええい離せ、離さぬか!」「それ、出会った時の蒼のセリフだよね。母さん、いつも俺を見守ってくれてありがとう」「・・・わ、分かればいいのよ分かれば」「そうだ、母さんに折り入って相談があるんだった。いいかな?」「もちろんよ、何でも母さんに任せなさい!」
てな具合に最後は俺の希望を叶えてくれる、ありがたい母なのだった。
――――――
翌朝、大変な目に遭った。日の出前のまだ薄暗い時間にもかかわらず四人の長老が功さんの部屋に押し掛け、続いて庭で自主練している俺のところに五人そろってやって来て、「「「「ナンマイダ~ナンマイダ~」」」」を始めやがったのである。やばい、思い出しただけで頭痛がしてきたぞ・・・・
だが俺は甘かった。朝食時の大変さは、その遥か上をいったのだ。それは四人の長老の夢を俺と功さんが訪れたことを知り、翼さんが激怒したことから始まった。本来ならそれだけでも肝を冷やさずにはいられなかったのに、翼さんは激怒を顔の皮一枚で覆った。その上で顔の皮一枚のみで微笑み、俺の朝食の世話をし続けたのである。やばい思い出しただけで、体の震えが止まらないんですけど!
冗談抜きで寿命が縮まりそうだ。話を先に進めることとする。




