15
お借りした深森家の飛行車が翠玉市に着いた。降車したのは、俺と勇の二人。舞ちゃんは合宿を明日の晩まで延長し、小鳥姉さんに料理を教えてもらうことに急遽なったのである。小鳥姉さんの喜びようといったら無く、すると達也さんも非常に喜び、勇を羽交い絞めにして「お前も明日の晩までいろ」と脅したのだけど、勇は予定どおり帰寮を選んだ。冬休み最後の二日間を輝力工芸スキル習得の集中訓練に充てるよう、勇は前々から計画していたんだね。教官の脅しに屈さず、舞ちゃんの手料理を五回食べる誘惑にも負けなかった理由は、言うまでもなく舞ちゃんにある。前回の超山脈合宿で舞ちゃんは1千キロ走に楽々合格し、その楽々振りから次回の第五山脈登頂も成功確実と太鼓判を押されている。持久力と回復力が極めて優秀なのもさることながら、輝力工芸スキルの等級が上がり続けていることも太鼓判を押される要因だそうだ。登頂経験のある俺も、異論は微塵もない。造形スキルによる板状の輝力壁でも山頂付近の横殴りの風を防げるが、風によって奪われる体力に雲泥の差が出るのを俺は知っているからだ。実際舞ちゃんは見事な流線形の防御壁を前後に展開でき、それも1千キロ走を楽々こなした理由の一つになっている。対して勇が絶命寸前まで疲労した主理由は、七枚の板で船の形にするのが精一杯だから。二枚の板をΛの形にして前方に展開し、三枚で左右と天井を作り、後方は二枚をV字型にして計七枚だね。七年生になれば七枚船型でも超山脈を縦断する体力が付くけど、一年生では難しい。1千キロ走とは似ても似つかないマイナス30度の風が体力を容赦なく奪うことも考慮すると、今の勇が第五山脈登頂を試みるのは、自殺行為では辛うじてないというのが偽らざる評価。よってそれを少しでも上方修正すべく、今勇は相当な情熱でもって輝力工芸スキルの習得に励んでいた。
寮行きの無料送迎バスの方角へ歩いて行く勇と別れ、飛行車の駐車場を目指す。幾度見ても見慣れない長大かつ超豪華なリムジン飛行車へ歩を進める俺に集まる数多の視線を意識外へ必死に追いやり、車内にやっと身を隠せた俺を待っていたのは、前回より精度の増した疑似光学迷彩だった。おそらく軍用の疑似光学迷彩をマイカーに搭載できるなんてさすが天風家と感心する半面、申し訳ない気持ちも胸に溢れてくる。一族のお姫様が身を隠していることを看破するのは嗅覚なため、迷彩の高度化は的外れなんだよね。そうは言っても変態と軽蔑されたくないから、お姫様の芳しさが看破の秘密ですよなんてホントのことは口が裂けても言えないけどさ。
と思っていたのだけど、
「ん?」
俺は視覚を全力稼働して疑似光学迷彩を見つめた。翼さんがシートの反対側にいるのは確かでも、違和感を覚えたのだ。しかも違和感の多寡が場所によって異なり、頭部のある場所は違和感微小、胴体は違和感中、そして脚の場所は違和感特大といった具合だったのである。だが年頃の女の子をジロジロ見るのは厳禁なので瞳のある場所に焦点を合わせ、感じた事をそのまま述べた。
「翼さん、凝視しちゃってゴメン。頭部は違和感微小、胴体は違和感中、脚は違和感特大というふうに違和感の多寡が場所によって異なったから、見つめてしまいました」「私にとって翔さんは、ほぼ超能力者です。特別な視力を、今使っていますか?」「ううん使ってない、通常視力だよ」「前回見破られたので軍用の疑似光学迷彩を展開していますが、通常視力なのに通用しないなんて、一族の開発者は落胆するでしょうね」「どわっ、ゴメン」「構いませんよ」
なんてやり取りをしている内に、飛行車はいつの間にか空へ舞い上がっていた。第二惑星の軌道へ航行可能なこの飛行車の開発にも一族が関わっているのかなと、反重力エンジンを学ぶ者として質問したかったが苦労して呑み込み、功さんの容体を尋ねようとした。功さんと毎晩会っているのは、秘密にしているからさ。
と思っていたのだけど、
「翔さんの違和感の正体をお見せします」
その言葉と共に迷彩が解除されるや、目に映る光景以外の何物も考えられなくなってしまった。金髪をアップに結った森のエルフが、振袖を着ていたからである。金髪エルフには緑色が似合うという法則に則り、振袖は黄緑地。明るい黄緑に白と水色と桃色の花々をあしらい、金と銀の豪華な帯を締めた翼さんは、フィクションの中の存在としか思えなかった。現実とは到底思えないため時間を忘れて見つめてしまい、翼さんの頬に朱が差してようやく己の無礼に気づいた俺は、床に額をこすりつけた。それはこのリムジン飛行車の法外な車内の広さに俺が初めて感謝した、瞬間でもあったのだった。
その後、振袖の秘密を翼さんが教えてくれた。きっかけはお父上の武さんが、翼さんのお姉さんに振袖を着せたがった事だったらしい。前世の武さんの生家は、元名主の豪農。よって冠婚葬祭は和服が当たり前で、晴れの日は妹さんや親戚の娘さんの振袖姿が人々の目を大いに楽しませたという。けどこの星に、振袖はない。前世の武さんはシャツにボタンを付けることにも苦労したほどだったので、振袖の再現を断念するしかなかったそうだ。
という武さんの無念を、功さんは本人から直接聞いていた。だが功さんはアトランティス星に連続して生まれて、前の星の記憶を完全に失った人だった。よって前世と今生の文化の違いによる寂寥を実感できず、振袖の話も息子さんの思い出の一つとして記憶に留めていただけだったが、翼さんは違った。日本留学を経験した翼さんは父親の無念と寂寥を、明瞭に理解できたのである。そう伝えたところ功さんは大層喜び、その喜びように「親孝行と祖父孝行を同時にできるかもしれない」と閃いた翼さんは、ダメ元で冴子ちゃんに相談してみた。すると思いがけず「再現可能よ」と返答された。俺が胸の中で母さんに手を合わせたのは置いて、冴子ちゃんは振袖の等身大3Dを翼さんの眼前に映した。浴衣なら夏祭りで毎年着ていた翼さんは、振袖を一目で気に入ったという。翼さんと冴子ちゃんは色や柄を時間を忘れて決め、かつこの星の縫製技術を駆使し何倍も着やすくして、天風家所有の衣服工場で振袖を完成させた。それをお正月の挨拶で着て披露したところ、功さんは涙を流して喜んだそうだ。
その時のことを思い出したのだろう、翼さんの双眸から大粒の涙が零れた。それを予期していた俺は、手に持つハンカチで頬を伝う雫を掬い取る。「すみません」と詫びるも、翼さんはハンカチを受け取ろうとしない。だがこれでも俺は、前世で大勢の弟や妹たちの面倒を見てきた身。慣れた手つきで顔を拭いてあげていたら、前世の妹達に似ているような似ていないような笑みを翼さんは浮かべた。似ていない要素に命の危機を感じたためそれは後回しにして、似ている要素のみを汲み取り翼さんの頭をポンポンする。と言っても結った髪を乱さぬようほんのり触れただけなのだが、それがかえって優しいポンポンになり、翼さんの笑みを懐かしい笑み一色に変えた。翼さんが男の子だったら毛根を心配するレベルで髪をワシャワシャできたのにと後ろ髪を引かれつつ、手を離す。翼さんは頬を膨らませて不満を示すも、示しただけで満足したのか笑顔を取り戻し、中断していた振袖話を再開した。




