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てな具合に心の中ではなく実際に高笑いしている最中、飛行車が降下を始めた。念のため輝力圧縮64倍を発動し、飛行車が着陸するのを待つ。8倍速の時間になれば子猿共がキーキー鳴いても、意味のない雑音として脳は処理するはず。降下中の飛行車に近づくことは法律で禁止されているから、いずれにせよ俺の勝ちは覆らないな。
第二惑星のラグランジュポイントへ単独飛行できるという、一段も二段も飛び抜けた性能を遺憾なく発揮し、他車の半分以下の時間でリムジンは訓練場に着地した。正確には着陸脚を下ろしていないけどそれは置き、彼我の距離30メートルを64圧の早歩きで詰めていく。残り3メートルで止まると同時に扉が開き、圧縮率を4倍に落として俺はリムジンに乗り込んだ。ほぼ時を同じくして訓練場の外周に先頭の子猿が到着するも、時すでに遅し。そいつが躊躇している隙に扉は閉まり、リムジンは空へ飛び立った。眼下の数十匹の子猿共へ窓越しに手を振りながら、俺は空を駆け上って行ったのだった。
いや駆け上るのは、いわゆる文学的表現だけどさ。それはそうと、
「翼さん、久しぶり」
俺は顔を左へ向けて挨拶した。蜃気楼壁ではない3D映像の疑似光学迷彩が解け、空席だったはずの隣席に翼さんが現れる。「お久しぶりです翔さん」 翼さんは淑やかに挨拶したのち、微笑みを可愛らしい苦笑に替えた。
「この飛行車の疑似光学迷彩は最高品質なのに、翔さんの目は誤魔化せないのですね」
う~むホントは視覚ではなく、嗅覚なんだよね。清浄かつ甘やかな香りが瑞々しさを保って車内を満たしているから、特殊視力を使わずとも翼さんがいるって判ったんだよ。との真相を明かせない俺は、己の変態さを胸中詫びて会話を進めて行く。
「まあたまたまね。それより翼さん、迎えに来てくれてありがとう。車内に留まるとはいえ女子禁制の訓練場に駐車するには、疑似光学迷彩の使用を義務付けられたのかな?」「ご明察です。着陸脚は用いず、迷彩は用いる。これが、人類軍の出した条件でした」「手数をかけちゃったね。では、本命を。功さんの容体は、どうかな?」「お陰様で小康を保っています。祖父を気に掛けて下さり、またこうして足を運んでくださり、感謝します」
翼さんは恭しく腰を折る。俺は礼儀作法を総動員してそれに応じた。次いで「もし可能なら」と断りを入れ、前回お会いした以降の功さんについて尋ねてみる。謝意を笑顔に変え、翼さんは話し出した。
「翔さんが車上の人となった約二週間後の、8月末の晩。冴子さんに、祖父がもう長くないことを告げられました。正確な日付はまだ分からないけど残されているのは4カ月前後と思って、と冴子さんは言ったのです。自分では覚悟が出来ていたつもりだったのに、目の前が真っ暗になりました」
この星の人々が寿命を迎える様子を地球人的に表現するなら、二十代後半の容姿を保ったまま安らかに老衰死する、になるだろう。病魔に苦しむことなく、生命力がただただ減少していき、命を維持できなくなる境界を越えたら眠るように亡くなる。これが一般的な、アトランティス人の末期なのだ。
功さんも例外ではなく、痛みや不快に悩まされてはいないという。したがって容体悪化から持ち直し今は安定しているという意味の「小康を保つ」は誤用なのだけど、この星では慣用句として普及していた。小康は「以前より目減りした健康」を、保つは「少なくなり続ける生命力への鼓舞」を表しているのではないかと個人的に考えている。
「祖父自身、生命力が日ごと少なくなっているのを実感していたと思います。それでも輝力圧縮900倍を楽々こなす人ですから、無音軽業の訓練を先月半ばまで続けていました。訓練成果を祖父は毎晩私に知らせてくれて、縦回転によって空間認知能力が向上していく面白さを二人で競い合って話したりもしました。あれは祖父との、かけがえのない思い出になっています。翔さん、誠にありがとうございました」
生命力が少なくなっている印象は拭えずとも、瞳は子供のようにキラキラ輝いている。そんな功さんと3D電話で毎晩会話したことを、翼さんはハンカチを時々使いつつも笑顔で話してくれた。俺も我慢できず、ハンカチを時々使ってしまったけどね。
自分には時間が僅かしか残されていないことを自覚し、己が全てを賭けて一つの訓練だけを続けた人には、奇跡が訪れるのかもしれない。功さんは輝力工芸スキルを、たった3カ月後の11月半ばに習得した。その偉業は天風一族全員に伝えられ、功さんは数千の称賛を浴びることとなる。特に子供達の「「「い~ない~な!」」」と長老衆の「悔しい」「今に見ておれ」「次は抜き去ってくれるわ!」は功さんを喜ばせ、極上のニコニコ顔を終始浮かべていたという。
スキル習得後は軽業の訓練を控え、防風壁の流線型に磨きをかけることと子供達を教えることに尽力しているらしい。冬休みが始まる前は2歳以下の乳幼児しか本拠地におらず、その子たちに筆頭長老などという役職が解るはずもなく、みんな「おじーちゃん」「おじーちゃん」と甘えてきて功さんは目尻が下がりっぱなしだったそうだ。
という功さんに関する主要な出来事を、翼さんとのメールのやり取りで本当はすべて知っていたのだけど、良い話は心を快活にするもの。それは唯一の肉親を失おうとしている孫娘にも働き、翼さんは功さんの近況をまこと活き活き語っていた。もちろんメールに書かなかった小ネタも沢山あり、それは俺も同じだったから二人でそれらを面白おかしく話しているうちに天風一族の本拠地に着いた。俺は自分で思っていた以上に、この地が好きらしい。降車時に足が地面を踏みしめたさい、体の細胞一つ一つが「帰って来た」と歓喜しているのをはっきり感じたのである。それは親や故郷に縁遠い俺にとって甘美な歓喜であり、願わくば体の声にしばし耳を傾けていたかったのだけど、
「「「「お帰りなさいませ翔様」」」」
そう声を揃えてくれた執事さん達とメイドさん達に挨拶するのが人の務め。お帰りなさい、との言葉を使って頂けたなら尚更なのだ。「みなさんお久しぶりです。数日間よろしくお願いします」 俺は皆さんへ、心からそう請うたのだった。
夜の闇に隠されていても、三方を囲む山々の威容と南側の海の広大さが手に取るように感じられる。山の妖精と海の妖精の意識が、心に届いているのかもしれないな。
などと考察しつつ、天風本家の敷居をまたいだ。塵一つない廊下を進んでいくうち、家族の私室が集まっているとおぼしき区域に入る。通されるのが功さんの私室だったら、床を離れるのを控えているという事になる。予想以上にやつれていても、決して顔に出すんじゃないぞ俺。と自分に厳命していたのだけど、家族用の台所へ何気なく足を踏み入れた翼さんに続いて俺も何気なく台所に入ったところ、
「お爺様、翔さんをお連れしました」
思いがけずの対面となった。テーブルの家長席に座る功さんは、4カ月前と何ら変わらぬように見える。しかし生命力に厚みがほぼ感じられず、破れる寸前の薄い膜のような印象を俺は抱いた。不意に「残り二週間」との本体の声が聞こえてきて、感謝すればいいのか世間知らずを責めればいいのか内心頭を抱えるも、今はそれどころではない。
「功さん、お久しぶりです。数日間お世話になります。お元気そうで何よりです」
「翔殿、よくぞお越しになられた。自分の家と思い寛いでください」




