4
かくして実家もしくは実家に準じる冬休みの帰省は事実上すべて許可されるのだけど、俺にとって天風家は実家ではなく、準ずるとも言えない。功さんが危篤だったらダメもとで申請したけどそうでもないし、翼さんのメールにあった『人類軍が許可してくれました』は俺にとって不可解この上ないものだったのだ。いや、厳密には違う。不可解なのは事実でも、この件を美雪に相談してはならないというなぜかそれだけは、明瞭に感じていたのである。幸い相談相手は他にも複数いたので最も不自然ではない勇を選び、お昼ご飯の終盤にメールしてみた。俺達は明日の始発の無料バスに乗り、翠玉市へ一緒に向かう予定だった。よって無理になった理由の説明付きでなるべく早く連絡することに、不自然さは無かったんだね。また話のネタとして『なぜ人類軍なのかな?』との一文を入れ、それについて面白おかしく会話できたらいいな的に軽く考えていたのだけど、俺は馬鹿だった。
『そんなの、翔と翼さんの繋がりを人類軍が重視しているに決まってるじゃないか』『繋がり? 仲の良い友達ではあるけど、それってそんなに重要なの?』『お前今、飯を食ってるんだよな。口の中の飯を呑み込んだら教えろ』『呑み込んだよ。お弁当を食べ終わったから何でもどうぞ』『・・・ずいぶん余裕だが、必ず落ち着いて読めよ。人類軍は、お前と翼さんの子供を望んでいるんだよ』
断言しよう。もし口の中に食べ物があったらそれを全てぶちまけるか喉に詰まらせるかの、どちらかに必ずなっていたと。
勇はその後、俺と翼さんの子供が秘める可能性の巨大さについて綴り、そして冷静に考えたら勇の主張は正しいとしか思えなかった。仮に俺の神話級の健康スキルと、翼さんの超絶優秀な戦闘遺伝子を併せ持つ子が誕生したら、どうなるのか? 俺の健康スキルが遺伝子として子に発現しなかったとしても、天風一族の直系にその遺伝子が取り込まれることだけでも、人類軍が動く価値は十分あると俺も納得できたのである。また俺には無関係と思い忘れていたけど、人類軍トップ10には精子もしくは卵子の提供義務がある。勇に『はっきり言うぞ直視しろ』と厳しい語調で綴られたところによると、俺が人類軍トップ10に入らないと人類軍敗北の確率が跳ね上がるらしい。勇はそれについて、こう説明した。
『俺らが戦う闇軍の筆頭闇将は、第十次戦争の闇王と同等の強さだ。剣持家のコネを使い調べたところ、第十次戦争の太団長の役を担えるのは翼さんしかいない。だから翔、俺らが戦う闇軍の闇王には、お前が当たれ。お前の無限の体力で闇王を疲れさせ、闇王の戦闘力を下げる以外に人類軍に勝機はないと、俺は考えている』
困った、と俺は思った。それ以外ないと、本体が俺に意識を届けたからだ。
その困り果てた心に、美雪の言葉が蘇った。「戦闘に直接関係ないことをこんなに一生懸命するのは、翔が初めてなの」 そうか、そうだよな美雪。俺は美雪の言うとおりそれをこれまでしてきて、そしてこれからもずっとそれを続けていくんだよな。
そう自覚したところ、未来を視る能力と一時的に繋がれたらしい。闇王と対峙する未来の俺が、脳裏に一瞬映ったのだ。俺はヘタレ者のはずなのに闇王と対峙する未来の俺は、自分でも惚れ惚れするほど度胸が据わっていた。あの度胸を、俺はどのように体得したのだろう。ありがたいことに、俺はそれを確信できた。心に蘇った美雪の言葉が、その答だったのである。
とまあこんな感じで、本来なら気絶必至の「俺が人類軍トップ10に入らないと云々」をやり過ごすことが出来たのだけど、返す返すも俺は馬鹿だった。人類軍の勝機云々は腹に収められたのに、勇の次の一文で俺はあっけなく気絶してしまったのだ。
『というワケで、お前のあずかり知らぬところでお前と翼さんの子供が多数生まれるのは、必然っつうことだな』
それ以降の1時間の記憶が俺には無い。それもそのはず、美雪によると俺は1時間、気絶していたのだ。気絶しても健康に害は無くまた食事も終えていたので「午後2時までは昼寝と解釈してそのままにしておきなさい」との母さんの指示に、美雪は従ったという。確かに母さんの言うとおり、1時間の昼寝と同等の回復を体は得ている。仕組みは判らないが昼寝は心にも作用したらしく、俺を気絶に追い込んだ一文を思い出しても、頭を抱えてテーブルに激突するだけで済んだ。この程度は日常茶飯事だから、きっと平気なのだろうな。
とはいえ、そんなふうに割り切ることと、いつもの自分に戻ることは話が別。全然平気と自分に言い聞かせても、テーブルから身を起こすことが俺にはどうしてもできなかった。そんな俺の後頭部に、雪の結晶で作った楽器を奏でるような美雪の声が降り注いだ。
「えっとね、翔が衝撃を受けることに理解も同情もできるけど、心が弾むのも事実なの」「心が弾むって、美雪が?」「うん、そう。気を悪くしたらごめんなさい。でもそれが、私の正直な想いなの」「気を悪くしたりしないよ、どうか信じて。でも可能なら、訳を教えてくれるかな?」「訳を教えてって、そんなの考えるまでもないじゃない。それとも、翔の血を受け継いだ子を私が可愛がらないなんて、思うの?」「思いません思いません、だからどうか怒りをお納めください~!」「ふふふ、冗談よ。3歳までの翔もデータとしてなら知っているけど、直接お世話してあげたかったというのが本音。それが叶うなら、嬉しさしか胸の中にないよ」「それってつまり、俺の子がどこにいるかを俺は知らなくても、美雪には分かるってこと?」「うん、わかる。母さんが約束してくれたから、絶対わかる!」「そっか、美雪がお世話して可愛がってくれるのか。よし、腹に収められた。子供の件でもう悩まないって誓うよ」「良かった、ありがとう翔!」
戦争から生きて帰って来るという約束を、破るつもりはない。しかし万が一破ることになっても俺の子がいれば、美雪は活動停止しないかもしれない。
これに気づいたことが、十七の人生ぶりに子供を持つことになった衝撃を受け入れられた、本当の理由なのだった。
午後6時、訓練を普段どおり終えた。しかしここからは普段と異なり、まずはカロリージュースとカロリーバーを1本ずつ胃に収めた。次いでシャワーをしっかり浴び、明日着て行くことにしていた服を手に取った。あい変らず金欠なので、先輩方が残してくれた服を今でも使わせてもらっている。心の中で謝意を述べ、それを素早く身に着けた。
二泊用の旅行鞄を肩に掛け、外に出る。屋外ベンチに腰掛け、寮の友人達へ詫びのメールを書いていく。ただし送信するのは、リムジン飛行車が飛び立った後だけどね。
そうこうするうち約束の1分前になり、空を見上げた。自家用車の帰省が認められているのは、原則午後6時半以降。こちらの原則で例外が認められるのは病気関連のみなため、訓練場に着陸し飛び立って行った飛行車はまだ一機もいない。数十機の飛行車が、地上100メートルほどの場所に待機していた。6時半になったら垂直降下するだけでいいようそれぞれが訓練場の真上にいるせいで、ヤバいくらい豪華なリムジン飛行車が俺を迎えに来ていることが一目瞭然になってしまっている。6時半から始まる夕飯に助けられ居残り組にはバレていないようだけど、帰省組には気づいている奴らが複数いるのだろう、空を見上げて驚いている気配がそこかしこにしていた。今はまだ驚いているだけでも、「居残り組に知らせないと!」と誰かが閃いたら面倒なことになる。6時半まで残り10秒、どうか誰も閃きませんように。と空を見つめつつ祈ったことが、フラグになったらしい。微かに聞こえて来ていた食堂の喧騒が、ピタリと止んだのだ。続いて椅子が勢いよく倒れるガタンガタンという音が嫌になるほど響くと同時に、食堂から玄関へ人が殺到する足音がこれまた嫌というほど聞こえてきた。冗談ではなく俺は今以上に、上履きと外履きの規則に感謝したことは無い。ネタに飢えた子猿共が外履きに履き替えて訓練場に着くより早く、俺は飛行車の中に消えることが出来るだろう。輝力を圧縮すれば消える前に着けても、訓練場外における移動中の輝力圧縮は緊急時以外禁止だから、勝負は俺の勝ちなのだよフハハハハ!




