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冴子ちゃんが俺の手を引き、屋外テーブルの椅子に座らせた。その最中も今も、衝撃のあまり言葉を失っている俺の向かい席で、美雪と冴子ちゃんが話し合っている。冴子ちゃんが何らかの提案をして美雪がそれに難色を示している、いや、冴子ちゃんの提案の諾否を美雪が決めかねている、といったところだろうか。ふと、脳裏にある光景が映った。それは、美雪の上司が冴子ちゃんに承諾の首肯をしている光景だった。それが確定した未来であることを俺はなぜか知っていて、その衝撃が加わったせいで言葉を失っている状態がより強化されたはずなのに、実際は違った。
「翔」
「なあに姉ちゃん!」
美雪に名を呼ばれた途端、俺は元気よく返事をしたのだ。美雪と冴子ちゃんが、向かい席でクスクス笑っている。笑われても仕方ないと思えたし、花の笑みを零す2人に嬉しさが溢れたこともあって俺も負けじとニコニコしていたら、そこはかとなく予想していた未来を2人は口にした。
「今日の訓練は終了。シャワーを軽く浴びて、着替えていらっしゃい」
「外で話すかもしれないから温かい服装にするのよ、髪もきちんと乾かしてね」
了解と応え、急ぎ足でテーブルを離れた。急ぎ足にしたのは、もっと一緒にいたかったという本音を2人に悟られないためだ。3月中旬にしては温かな今日、春の日差しを浴びて咲く花のような女性たちと一緒にいたいと願うのは、男なら当然のことだからさ。
石鹸を使わず汗だけ流し、シャワーを終える。冬用のズボンと下着を身に着け、髪を乾かす。髪をセットする必要のない幼児用の五分刈りだが、あの2人と時間を共にするからか、髪を整えたかったという心残りを微かに覚えた。髪を切ってくれる家事ロボットに、可能な髪型の種類を今度聞いてみようかな。などと、鏡を見つめつつ考えていた自分に、思わず笑ってしまった。
クローゼットから冬用と春用の上着を出し、それぞれ着てみる。シャワー直後の室内なので冬用を暑いと感じても、屋外で過ごすのだから丁度いいかもしれない。しかし丁度よくなるまでに汗を掻きそれが冷えたら、風邪も最悪ありうる。よって今は春用上着を着るが、機を見て着替えるべく、冬用上着も持っていくことにした。軽く畳み脇に挟んでいけば、まあいいかな。
玄関を出て、屋外テーブルに向かう。冴子ちゃんの提案の件は片付いたのだろう、2人はお茶を飲みながら楽しげにキャイキャイやっていた。それは姉妹の仲の良さとは異なる、俺と亮介を想起させる友人同士の仲の良さであり、美雪と姉弟でしかない俺は冴子ちゃんが羨ましくてならなかった。う~んでも姉弟かつ友人というのは、高望みなのかもしれないな・・・・
などと考えつつ俺は自分の椅子を引いた。と同時に2人は会話を止め、居住まいを正す。そして俺が椅子に腰をしっかり据えるのを待ってから、今回の件の説明を美雪は始めた。
「3月下旬にならないと開示できない複数の事柄を、冴子は翔に話したいって言ってね。それは規則違反でも、前世を明瞭に覚えていて精神年齢の高い翔なら害はないって、冴子は主張し続けたの。害のないことに異論はなかったから私も冴子に同意して、二人で上司に頼んでみたら、特例として認めてもらえたわ。良かったね、翔」
上司は2人に「4月以降の翔の苦労を思うと、情報開示を3日前倒しするくらいの事はしてあげないと可哀そう」と言ったそうだ。苦労の確定のどこが良いことなのかは疑問でも、冴子ちゃんの主張が通ったのは俺も嬉しい。よって嬉しさだけを前面に出し、俺は冴子ちゃんの話に耳を傾けた。それによると冴子ちゃんは、戦争に二度参加したたった数百名の戦士の1人らしいのである。素直に「スゲ―!」と叫んだ俺に、冴子ちゃんはホクホク顔で情報を開示していった。
「闇族との戦争が100年毎に起こるのは、闇族が南極を経由して100年毎に攻め込んで来るからなの。でも1900年間で一度だけ、一年長い101年になったことがあってね。一年長かったお陰で志願兵の下限の18歳になれた私は戦争に参加し、そしてその百年後も118歳で参加したのよ」
アトランティス星の新生児数は、毎年約1千万人。その中で戦闘順位1000位以内にのみ資格のある志願兵に、冴子ちゃんはなったという。ちなみにアトランティス人は110歳以降、2年に1歳の割合で老化していくから、118歳は地球人の24歳でしかない。にもかかわらず冴子ちゃんと同年齢で二度目の志願兵になったのは、5名のみだったそうだ。しかしその理由は「まだ開示不可なのゴメンね」との事だったので、全然いいよと俺は返しておいた。
「一度目の戦争を生還した私は、孤児院で働きつつ戦闘力を磨いていた。するとマザーコンピューターに、新しい試みの被験者にならないかって誘われてね。とても興味深い内容だったし、それを引き受けたの」
マザーコンピューターは美雪の上司の、アトランティス星のマザーコンピューター。新しい試みは、人格の複製。冴子ちゃんの人格を模した量子AIを作り、冴子ちゃんと行動を共にさせることで本人との差を埋めていき、限りなく差の少ない複製人格を誕生させる。という試みの被験者に、冴子ちゃんはなったのだそうだ。話に割って入った美雪によると、冴子ちゃんは保育士と戦士の両方に凄まじい適性があったため、人類初の被験者に選ばれたという。完全同意した俺の呟いた「冴子ちゃんは子供達にさぞ好かれたんだろうね」に美雪が跳びつき、面白話を次々暴露したので場は非常に盛り上がった。とはいえ、時間は無限ではない。後ろ髪を大層引かれつつ、冴子ちゃんは話を再開した。
「私の人格を模したAIの澄子と私は、一卵性双生児の仲良し姉妹のようになってね。保育士の仕事や戦闘訓練や、結婚してからは家事や育児も一緒にして、夜になったら本音トークに花を咲かせるという日々を私達は過ごしたの。美雪も同じ孤児院にいたから就寝前の本音トークにしばしば加わって、寝不足ギリギリになるまで3人で語り合っていた。ホント、楽しかったなあ」
話に再び割って入った美雪によると、量子AIがどれほど正確に冴子ちゃんの人格を模しても、夜の本音トークでは明らかな違いが出たという。違いがあったからこそ本音トークは活気づき、そのお陰で差は埋まっていくも、恋愛や結婚や夫婦喧嘩等々が起こるたびに新たな違いが生まれ、100年経ってもピッタリ同じ人格にはならなかった。しかし冴子ちゃんにとっては、その方がありがたかったらしい。最も大切にしている価値観や考え方はピッタリ同じなので心底信頼して本音を明かせると同時に、ほんの少し視点の異なる意見も聴かせてもらえたからだ。「それ、めちゃくちゃ羨ましいよ!」と咄嗟に出た俺の本音に、冴子ちゃんは極上の笑みで「そうでしょうそうでしょう」と頷いていた。
「118歳の私が第一太団長になれたのも、澄子のお陰でね。私とほぼピッタリ同じ心を持っていた透子は、50年後や100年後を見据えた最適な訓練を正確にシミュレーションできたの。心を正確に模せば模すほど長期シミュレーションも正確になることを発見して証明したのは、透子なんだ」
「えっ! 冴子ちゃんって戦闘順位6位の、超エリートだったの?!」
「ふふん、そうよ。いわゆる、人類軍トップ10ね!」
「ヒエエ、マジパネ―――ッッ!!」




