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少しずつ覚醒する意識が最初に捉えたのは、耳に楽しい鳥のさえずりだった。続いて清々しい空気を鼻腔に感じ、深呼吸を自ずとする。歴代最高の美味しい空気が、肺の隅々に行き渡ってゆく。そのあまりの美味しさに、「霞を食べるだけで生きていける仙人って、こんな感じだったりして」と半ば真剣に考えたのを機に、俺は目覚めた。
目覚めるも瞑目したまま、細胞の一つ一つへ意識を向ける。驚くべきことに、太もも以外の疲労がスッキリ取れていた。その太ももにしても、筋繊維断裂の七割以上が修復を既に終えていたのだ。昼寝で得られる回復としては、間違いなく奇跡レベルと言えよう。体の意識に理由を尋ねたところ、特別支給されたアミノ酸飲料もさることながら、通常を100倍する大地のエネルギーがこの奇跡級回復をもたらしたことが判明した。背中に感じる地面に、100倍エネルギーのお礼を述べる。「「「「ぜんぜんいいよ~」」」」という、地の妖精達の大合唱を心の耳がはっきり捉えた。
引き続き瞑目したまま、寝袋の中でストレッチと関節ほぐしを始める。そのとたん「100倍エネルギーはエクストラヒールか!」などと、剣と魔法の世界的なセリフを吐いた自分に笑ってしまった。
瞼を開け、上体を起こす。「翔、体調はどう?」「回復魔法をかけてもらったレベルで回復しているよ」とのやり取りに、美雪は大輪の花の笑みを浮かべた。ヤバイ、寝袋に入っていなかったら、絶対抱きしめてイチャイチャしてたな!
そんな自分を誤魔化すべく両腕を掲げて伸びをし、メール確認に移った。ゴールと同時に友人知人へ自動送信した『無事ゴールしました。連絡に応じられなかったらごめんなさい』とのメールに、1千キロを走っている最中の勇を除き全員が返信してくれている。手を合わせ感謝したのち美雪に手伝ってもらい、3時間半の昼寝でほぼ回復したことと合宿所に戻ることをメールにしたため、一斉送信した。軍事裁判を回避できた安堵を胸に、ゆっくり起き上がる。そして10メートルほど離れて停車している飛行車へ、慎重に歩いて行った。
四人乗りの飛行車が空へ飛び立った。大穀倉地帯の方角ばかりを見ていた俺を気遣ってくれたのだろう、すぐ横の車窓から大穀倉地帯を一望できるよう飛行車は上昇していく。標高2500メートル未満1000メートル以上は森、1000メートルより下は幅300メートルほどの牧草地が東西にどこまでも続き、牛や豚や鶏等々が放し飼いされている。それ以降は畑と雑木林と小さな池が見渡す限り続いていて、そのあまりの規模に前世の俺ならSF映画のCGと信じて疑わなかったはずだ。所々に広大な駐車場を有する建物があるけど、あれが春雄さんの言っていた地域密着型のレストランかな? 戦士になったら是非お伺いしようと、俺は胸を躍らせていた。
車内に電子音が響き、飛行車の向きが変わる。大穀倉地帯が後方へ去り、超山脈上空を飛行車は超速度で飛ぶ。飛行車の向きが変わってから2分と経たず第五山脈上空を越えたので、マッハ100くらいかな?
午後3時ちょい、合宿所に着いた。1千人超えの人達に出迎えられ嬉しいやら申し訳ないやらで大変だったが、そんな自分を無理やり封じ込め霧島教官に帰着報告する。霧島教官は、非常に苦労して厳格顔を維持していることを隠すつもりがないらしく、俺は吹き出しそうで死にそうな思いをした。でも霧島教官の音頭で、
「空翔の偉業に万歳三唱!」「「「「バンザ~~イ!!」」」」
が始まるや、今度は嬉しくて死にそうになってしまった。もちろんみんな気のいい奴らだから俺を揉みくちゃにすることで、滂沱の涙を見なかったことにしてくれたけどさ。
生徒達が解散し、各々の訓練場に戻っていく。だがその足取りは決して軽いと言えず、心配になり霧島教官に皆の疲労を尋ねたところ、「前回の合宿の二日目同時刻に等しい」と返された。胸を撫でおろしていいのかダメなのかが判らず逡巡する俺に、「一人を除いて心配無用だ」と教官が厳しい顔を向ける。全身に衝撃が走った。その一人は1千キロ走に挑戦している、勇に違いないからだ。勇がいるであろう方角に矢も楯もたまらず走り出そうとした俺を霧島教官が抱きとめる。そして歴代一の有無を言わさぬ声で「落ち着いて聴け」と命じ、勇の現在の状況を教えてくれた。
それによると勇は現時点で、太ももの筋肉痛による一週間の強制休養が確定しているという。学校のメインAⅠの試算によると太ももの疲労は今後一時間で加速度的に増え、ゴール時の強制休養は倍の二週間になるらしい。また最初の3日間は上体を起こすことすら不可能なため、軍病院への搬送と入院が既に決定しているそうだ。そんな状況でも1千キロ走を中断させない理由は三つ。一つ目は、アトランティス星の医学なら後遺症をゼロに出来るから。二つ目は、ここまで自分を追い込める生徒は優れた戦士に必ずなるから。そして三つ目を霧島教官は、南の地平線を睨みつつ言った。
「最後まで走ることを、勇が強く望んでいるからだ」
教官の握りしめた拳が小刻みに震えている。俺もそれは変わらず、また顎の筋肉が攣るほど奥歯を噛み締めていたが、
「教官殿、考察の時間をいただけますか?」
そう請うた。首肯する教官に敬礼、返礼を待ち回れ右して、合宿所へ駆けて行った。
101号室に入り椅子に腰かける。と同時に美雪が3Dで現れ、俺達は議論を始めた。しかし戦争経験がないため議論はすぐ行き詰まり、ダメもとで冴子ちゃんに助力を請うたところ、「答えられる範囲内なら」との条件付きで参加してもらえた。早速、問うてみる。
「この星の刀術は、基本的に腰を落とさないよね。でも本物の戦闘では、無意識に腰を落とす人がいたりする?」
重く長い日本刀を高速で操るためには、足を大きく開き腰を深く落とすことが必須になる。そこまで行かずとも、本物の闇族との生きるか死ぬかの戦闘の最中、無意識に腰を落とす人がいるかを俺は問うたのだ。回答は、「アンタが想像している以上にいる」だった。謝意を述べ続いて、「闇族の武器を避けるとき訓練より間合いを広く取る人や、訓練より素早く避ける人はいるかな?」と尋ねたところ、「虚像ではない本物の武器なのだから、その二つをペアでするのが普通ね」と返された。
「ペアでするってことは訓練より間合いを広く取り、かつ訓練より素早く避けるって事?」
「ええそうね。だって武器が当たったら内臓を巻き散らして死ぬのよ、当然だわ」
言われてみれば、まさにそれで当然だった。3Dの虚像なら紙一重で躱せても実戦でそれをするには、場数を相当踏まねばならぬはず。人工島の西側に本物のゴブリンがいるので、戦士になれば場数を踏めるかもしれない。だが、生まれて初めての実戦ではどうだろうか? しかもその生まれて初めての実戦を、超山脈を縦断する一次試験の翌日にするとしたら、肉体にどんな影響が出るだろうか? さらに加えて無意識に腰を落とし、普段以上に間合いを広く取り素早く避けるとしたら・・・・




