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「み、水着なら3Dになってもいいかな・・・・」
との言葉が返ってきた。想像しただけで鼻血が出そうだけど、ここでヘタレ者になってはならない事だけは確信できる。俺は湯の中で胡坐をかき、普段と変わらぬ声になるよう注意して言った。
「ん、じゃあハイタッチしよう」
左右の掌を顔の高さに持ち上げたところ、同じ仕草をした美雪が前方50センチに現れた。正直、鼻血が出る寸前だった。淡いピンクの水着もさることながら、初めて見た美雪の素肌が美し過ぎたのである。高めに結いお団子にした髪型が美雪の清らかさを引き立てていなかったら、冗談抜きで鼻血を避けられなかったはずだ。しかしすんでの所で阻止に成功した俺は美雪と目で合図し、
パン♪
小気味いい音を浴室に響かせることに成功した。自然と笑みが零れ、美雪も笑み崩れたところで爽やかに提案する。
「美雪、隣に座っておしゃべりしない?」
それから暫く二人並んで湯船に浸かり、会話を楽しむ時間をすごした。美雪の声がいつも以上に艶めき、会話の端々で一瞬見つめ合う瞳もいつも以上に輝いている。それだけで俺は幸せに満たされ、永遠にこうしていたかったけど、それは叶わぬ夢。幸い今夜も同じ時間を楽しめるはずなのでその話題を最後に取りあげ、「じゃあまた夜に」と声を掛けて湯船を出ようとした。
のだけど、ひょっとすると今生を含む十七回の人生で俺は初めて、肉体意識の興味が理性を上回ったのかもしれない。挨拶のつもりで向けた笑顔を真顔に代え、俺は無意識に問うていた。
「ねえ美雪、気になっていたんだけど」
「うん、どうかした?」
「なぜ胸を、わざと小さくしたの?」
小さいころ胸ギュウギュウを数十回された俺には判る。いつもの美雪はつつましくもしっかり膨らんだ女の子の胸をしているのに、水着姿で現れた美雪は第二次成長期前の、性別のない印象の胸をしていたのだ。思春期男子にとって、これは由々しき事態と断言できる。したがって本当はすぐそれを訴え、小振りでも形のすこぶる良い双丘に戻して欲しかったのだけどさすがに理性が咎め・・・・とここまで説明して、やっと気づいた。
「あれ? どうして俺はこんな無神経なことを、美雪に力説しているんだっけ?」
「か」
「か?」
「かけ」
「うん、かけ何かな?」
「翔のエッチ!」
「ッ! ごめんなさい~~!!」
両手で胸を隠し身をすぼめる美雪は心の内側では怒っておらず、怒った演技をしているだけだった。10年以上一緒にいる俺はそれを明瞭に感じたけど、ここは真摯に謝るしかない。俺は休憩の時間超過を覚悟し、謝罪を誠心誠意続けた。
時間超過を覚悟したことが良かったのかもしれない。美雪は、比較的早く俺を許してくれた。それだけでも嬉しくてならなかったのに、次はサイズを変えたりしないことを頬を赤らめて約束してくれた時はヤバかった。嬉し過ぎ、万歳跳躍をしそうになってしまったのだ。仮にしていたらスッポンポン故に、股間のブランブランが上下にビッタンビッタンする様子を美雪の眼前にさらしただろうが、まさに危機一髪。跳躍を途中で思いとどまり、臍をさらしただけで済んだのである。湯船に浸かっているにも拘わらず、本物の冷や汗が背中を伝ってゆく。そんな俺を憐れんだのだろう、美雪は「先に上がるね」と小さく手を振り消えていった。俺は、無限に落ち込んだ。あんなふうに消えたら、美雪は自分が3Dの虚像なことを意識せざるを得ない。それはやはり悲しいことだろうから美雪より先にあのセリフを言うつもりだったのに、俺はどうしようもない馬鹿だ。後頭部が床と平行になるほど項垂れ、俺は湯船を後にした。
水風呂に浸かり、強制的に汗を止めて浴室を出る。洗い立ての下着と戦闘服を身に着け、予備の野戦食をポケットに入れ、メディカルバンドを左手首に装備する。関節をグルグル回しつつ玄関に向かい、靴を履いて玄関を出たのが、11時20分。予定より10分短い40分の休憩になったけど、疲労皆無なので構わないだろう。第四峡谷以北の不思議現象として名高い「日中の睡眠欲求の消滅」も、絶賛稼働中だ。美雪に11時21分のカウントダウンを出してもらい、カウント0で俺は走り出した。
不測の事態皆無に疲労皆無と眠気皆無を重ねた状態で、時間がすぎてゆく。俺は順調に第四渓谷を走破し、第四山脈の南麓を登り、第四高原を走破した。ここでようやく疲労を微かに覚え、高原北端の休憩所を利用した。耐寒シートを床に敷き身を横たえ、疲労除去に努める。松果体を輝かせて体中を生命力で満たし、16-32-16呼吸を続けること約9分。疲労の完全除去に成功した俺は休憩所を後にし、再び走り始めた。
第四山脈北麓を下り、第三渓谷に足を踏み入れる。あい変らず風はなく、気温も2度と高い。通常なら2度は寒くとも山頂のマイナス25度と比べたら、春のぽかぽか陽気にしか思えなかった。
ジグザグ跳躍時の着地地点の確認に慣れたのだろう、目がさほど疲れなくなった。コツは、安全を一瞬で見極めて見つめないこと。見つめると彼我の距離が変化し、それに応じてピント調整をせねばならなくなる。ピント調整は眼球の厚みを変えて成されるため眼球は跳躍ごとに、厚くされたり薄くされたりを強いられていたのだ。俺は目に「ごめんね」と、謝らずにいられなかった。
その後も順調に距離を稼ぎ、痛みや違和感を一切覚えぬまま第三渓谷宿泊所に着いた。時刻は当初の予定より20分早い、午後4時10分。第四高原走破時に初めて疲労を微かに覚えたのだから、今日は調子が良かったのだろう。などと安心していたら、また美雪に油断を指摘されてしまう。俺は素早く宿泊所に入り床に座り野戦食を摂り、すべきことを全て終わらせて、
「ふは~~~~」
本日二度目となる盛大な感嘆を、浴室に響かせたのだった。
疲労はほぼ無くとも、肉体を酷使したことに変わりはない。その酷使した肉体に、温泉の温もりと成分が染みわたってゆく。俺は極楽気分で温泉を楽しんだ。
極楽気分を十分味わってから、ぬるめの湯へ移動。数十分浸かり続けられそうな湯の中で、ストレッチを始める。体の各部を入念に伸ばしているうち、次第にのぼせてきた。しかし我慢してストレッチを続け、我慢ギリギリまで耐えたところで水風呂へ移動。そして、
「ふは~~~~」
本日三度目の感嘆を浴室に響かせた。いやはやホント、のぼせる寸前まで我慢した直後の水風呂は、やはり格別ですな!
水風呂を堪能し、堪能し過ぎて寒さを感じ始めたところで低温湯に入り直した。浴槽の端に移動し、縁に後頭部を預けて目を閉じる。それを待っていたかのように、
ちゃぽん




