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大急ぎで体中を見まわし、傷や怪我を示す3D映像の有無を確認していく。背中も一応、仲間に確認してもらう。9人の中では怪我が最も軽かった彼によると、俺の背にはかすり傷ひとつ付いていないらしい。自分で見た範囲にも、軽度の切り傷があっただけだった。仮に動けないほどの怪我に苦しんでいたら、美雪が何らかの方法でそれを教えてくれたと思うから、仲間の応急手当を真っ先にしたことは正しかったはず。俺は安堵の息を吐き、切り傷の消毒を手早く済ませていった。そしてその最中、患部を治療すべく前かがみになった姿勢を利用し、「こりゃ腹をくくらなきゃダメかもな・・・」と、溜息を密かについたのだった。
前世の俺は、能力的にも性格的にもリーダーから遠く離れた人間だった。周囲の人達もそう考えていたのだろう、五十余年の人生でリーダーを務めたのはほんの数度しかなく、またその全てが封印しておきたい記憶になっていた。そんな前世の自分を、今生も多分に引きずっているというのが俺の正直な気持ち。亮介君や冴子ちゃんという優れたリーダーのもとで力を発揮し、分隊に貢献できた時が、俺は一番嬉しかったのだ。
けどここに、亮介君と冴子ちゃんはいない。それどころか、訓練を共にした仲間がここには誰一人いない。それは俺以外の9人も同じらしく、親しげな会話や再会の挨拶を耳にしたことは一度もなかった。誰もかれもが、初対面だったのである。通常の訓練ならその状況を利用して皆の陰に隠れ、リーダー気質のある人が場を仕切るのを待ったに違いないが、これは通常の訓練ではない。1年近く行ってきた、ゴブリンに勝ちさえすれば良い訓練ではない。分隊長選出だけで合格点に届くことから窺えるように、分隊長に相応しい人を適切に選ぶことを目的とした訓練なのだ。
いや、おそらくそれは違う。今俺が受けているのは、その程度の訓練ではない。その根拠は、客観的に見れば分隊長選出が容易なことにあった。怪我らしい怪我をしておらず、麻薬系の薬剤を用いずとも戦闘可能な隊員が1人いるという、みえみえの状況設定にこの訓練はなっていたからだ。そう、最も適切な分隊長は俺だった。つまりこれは、リーダーに向いておらずリーダーになりたくもない俺が、自分を押し殺して分隊のために立候補することを目的とした、訓練だったのである。いや・・・・・
「もっと大きな目的があるって考えないと、合格できないだろうな」
最後の傷を消毒液で洗いつつ、俺はそう呟いた。リーダーなんてしたくないと、俺は思っている。9人の仲間が怪我の苦痛に顔をゆがめていようと、薬剤で無理やり躁状態になったら適切な指揮が難しくなると座学で教わっていようと、責任のある立場から逃げたいと願っている。それが紛れもない、今現在の俺だ。しかし、未来もそれで良いのか? 17年後の24歳の俺も、怪我に苦しむ仲間に責任をなすり付けて、果たして良いのだろうか? 不意に、亮介君たちの笑顔が心に浮かんだ。続いて、俺の成長を我がことのように喜んでくれる、美雪の笑顔が心に浮かんだ。俺は自分に問いかける。「このまま成長せず24歳になっても、皆は俺に笑顔で接してくれるのだろうか?」 そんなの、わかりきっている。ああそうだ、そんなの分かり切っているんだ! 消毒を終えた俺は身繕いし、居住まいを正した。そして挙手し、
「みんな、ちょっといいかな」
穏やかな声で語り掛けた。顔を向けてくれた皆に謝意を述べ、本題に入る。
「軍規で定めているように、自分の戦闘継続力の有無を判断する権利が、皆にはある。継戦力ありと判断した人だけ、聞いてほしい」
地球の軍隊では夢物語でも、この星の戦士にはその権利がある。パッと見たところ、継戦力ありと即断した隊員と判断を躊躇っている隊員が、半々のようだ。それをあえて意識せず、俺は続ける。
「俺の名前は空翔、戦闘順位は3千万台。怪我は軽微、薬剤注射の必要なし。情報共有の賛同者は、協力を要請する」
人類軍の定員は、1億1555万5555人。分隊長以下は1億人いるから、3千万台というのはまあまあの順位といえる。もっともそれは設定に過ぎず、現実の俺は落ちこぼれなんだけどさ。
情報共有については全員が即座に応じてくれた。戦闘を生き残っただけあって皆の順位は高く、水野という女性戦士が分隊長級の2千万台だった。よって仕切り役の交代を頼んだが、薬剤注射を理由に断られてしまった。水野さんの怪我は比較的重く、薬剤が必須だったのだ。応急手当を介してそれを知っていた俺は頷き、仕切り役の立候補がいないか皆へ問うた。すると俺と同じ3千万台の渡辺という男性戦士が挙手し、これ幸いと喜んで彼に頼むも、それは早とちりだった。渡辺が立候補したのは仕切り役ではなく、俺の退路を断つ役だったのである。
「薬剤不要なのはお前しかいないんだから腹をくくれ、臨時分隊長」
反射的に情けない顔をしてしまった俺に笑いが沸き起こったのち、渡辺に乗っかる奴らが続出した。俺イジリの場が、出来上がったのである。とはいえ皆「応急手当、あんがとな」「自分の手当てより私達の手当てを優先した、あなたを信じる」系のことを最後に添えてくれたので、悪い気はしない。俺は腹をくくり、臨時分隊長を拝命する宣言をした。やんやの歓声にどーもどーもと応えて笑いを取ってから、指示を出していった。
最初の指示は、100メートル前方の最前線を全員で注視することだった。正面左側が劣勢だったので突撃場所をそこにし、突撃参加者のみ薬剤が効くまでの時間と効果発揮時間を述べるよう指示していく。劣勢でも命がけで戦う戦士達を見て奮い立ったのだろう、全員がテキパキそれを述べてくれた。俺は一礼し、最後の二つ前の指示を出した。
「各自、戦闘態勢を整え薬剤を用意。60秒で行え!」
「「「「イエッサ――ッッ!!」」」」
本来なら60秒の半分以下で可能なことも、怪我をしていたら不可能。また怪我で行動が遅延する以外にも、死装束になるかもしれない戦闘服を整えたいと思う戦士もいるだろうし、泥だらけの死に顔をさらしたくないと願う戦士もいるはずだ。よって余裕のある60秒にしたのは、正解だったらしい。服と髪を整え顔の汚れを拭った皆に、傷病戦士の気配はなかった。俺は頷き腕時計へ視線をやり、最後の一つ前の指示を出した。
「マイナス10からカウントする。各自が自分のタイミングで薬剤を使用すること。では始める。-10、-9・・・・」
薬剤が効くまでの最長時間は69秒、最短時間は51秒だった。よって9までカウントしたら、次は副長の任命だ。時間に余裕がありそうなので、俺が戦闘不能になった場合の隊長と副長も任命しておく。
「副長は水野。俺が戦闘不能になった際は水野が隊長、副長を渡辺とする。薬剤が効いた隊員から、準備運動開始」
個人差に沿って注射したのが活き、全員ほぼ一斉に準備運動を始めた。傷病戦士の気配がないどころか、元気がありあまっている戦士になった皆へ、最後の指示を出す。
「総員、抜刀!」
ザッッ
刀身の白い白薙ではない、刀身の透明な十振りの水薙が天を突いた。それをただ1人、前方へ向けて俺は叫んだ。
「突撃―――ッッッ!!!」
「「「「ウオオオ―――ッッッ!!!」」」」
雄叫びを腹から絞り出し、全速突撃を全員で開始した。と同時に100メートル前方の戦線の映像が消え、次いで雄叫びと皆の姿も消えてゆく。減速し立ち止まった俺は歯を食いしばり、美雪の方へ体を向ける。美雪は一言、「合格」とだけ告げた。いつのまにか水薙ではなくなっていた白薙を背に納め、美雪に一礼。その折った腰を伸ばせぬまま、俺は地面に崩れ落ちた。
知らなかった。傷ついた仲間を麻薬で無理やりドーピングし、死地へ赴く命令をすることが、これほど負担になるなんて全く知らなかった。つい数秒前まで一緒にいた、水野さんや渡辺たちの顔が心に次々浮かんでくる。皆のうち生き残ったのは、いったい何人いただろう・・・・
顔を両手で覆い、俺は吐くように泣いた。
その背中を美雪はいつまでも、撫でてくれたのだった。




