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そうこうするうち正午の鐘がなり、昼食の時間になった。美雪が用意してくれたお弁当を、もぎゅもぎゅ食べてゆく。お昼は孤児院に帰ってもいいし、こうしてお弁当を食べてもいいらしい。孤児院まで往復4000メートルの俺としては、こんなふうに美雪が世話を焼いてくれるなら、毎回お弁当で十分と思ったものだ。
お弁当は、味も量も栄養バランスも完璧の一言に尽きた。運動に励む3歳児に必要な栄養及び栄養素を、確かな調理技術で美味しく食べさせてくれるのである。感謝しつつも、3歳の子供を戦士に育てる長期計画をこれほど真剣に推進せねばならない国家の現状に、戦慄を覚えたのも事実だった。
昼食後は2時まで休憩だった。その後は6時まで訓練し、一日の予定がようやく終わると言う。今朝は8時から訓練を開始したため、午前4時間午後4時間の通算8時間という事になる。前世の記憶を取り戻した俺は例外としても、通常の3歳児に8時間の訓練が果たして可能なのか? 孤児院の仲間達を思い出しても可能だなんて到底思えなかった俺は、前世云々を伏せてそれを尋ねてみた。美雪は困り顔を浮かべながらも、質問にきちんと答えてくれた。
「通常の3歳児は計8時間の大部分を、遊びを介した訓練とお昼寝に費やすわ。遊びを介さない訓練を4時間以上するようになるのも、平均すると7歳以降ね。でも翔君はそれらに惑わされず、自分の望むようにして良いよ。どうする?」
遊びじゃない訓練を8時間したい、と俺は即答した。美雪は微笑み、昼寝をするよう促す。木陰に敷いた寝袋に潜り込み、瞼を下ろす。と同時に3歳の健康優良児は、眠りの世界へ旅立ったのだった。
午後の4時間も、輝力による振りかぶりと振り下ろしに費やした。美雪が人間だったら暇を持て余し、横から口を挟んできたはずだが、そこは量子AI。美雪は4時間、ただ静かに俺を見守ってくれた。
午後の4時間を丸々費やしても、輝力に連動して肉体が動く感覚は得られなかった。けどまあ、それは当然のこと。整理体操を20分して体をほぐしたのち、晩御飯のお弁当を俺はもぎゅもぎゅ食べた。
美雪によると、今日はここに泊まっても孤児院に帰ってもどちらでも良いらしい。訓練場の隅に小学校の体育館ほどの建物があり、そこに宿泊できるそうなのである。泊まると即答した俺に「じゃあお泊りの準備をしなきゃね」と、美雪は笑顔を振りまいて立ち上がった。美雪は3Dの虚像なので物理的な準備は不可能でも、それを口にしたらいけないのはさすがに解る。実物のロボットに自身の3D映像を被せてテキパキ働く美雪を、見るとはなしに見つめながら、まだ温かさの残る絶品お弁当を俺はゆっくりゆっくり咀嚼して食べた。
小学校の体育館ほどの建物は、そのとおり体育館だった。雨天などの悪天候用の、訓練施設なのだろう。生活スペースは体育館と床続きで設けられ、八畳ほどの広さしかないから無駄は皆無でも、大人でも足を伸ばして入れる大きな浴槽はありがたかった。たっぷりのお湯に肩まで浸かって一日の疲れを癒し、洗い立てのパジャマに着替え、清潔な布団に潜り込む。すると美雪がやって来てベッドの傍らに座り、おしゃべりに付き合ってくれた。3歳の子供が寂しがらぬよう、気を遣ってくれているのだ。通常の3歳なら1人で入浴し1人で着替えて就寝するなんて、よほどしっかり躾けられていない限り無理なはずだが、美雪に話を振られないうちは黙っておくに越したことは無い。優しくて綺麗なお姉さんとの会話が楽しかったのも、事実だしな。
そうこうするうちおしゃべりに疲れ、午後8時を待たず眠くて仕方なくなった。早寝早起きは、健康な子供の基本。となれば、神話級の健康っぷりを誇る俺の明日の早起きは、確定と考えて間違いない。とはいうものの、午前6時の朝食の前に目覚めるかは微妙だなあ。なんてことを考えているうち健康優良児の俺は、眠りの境界をあっさり超えたのだった。
――――――
翌朝目覚めたのは、午前5時だった。9時間の睡眠ということになり、予想より若干短いと言うのが本音。しかし、このままベッドの中で惰眠をむさぼるのは、健康な3歳のイメージに合わない。俺は布団を撥ね退け、ベッドを後にした。
パジャマのまま運動靴を履き、外に出る。日の出前の、早朝特有の清々しい空気に全身を包まれた。視線を東の空へ向けてみる。太陽が10分ちょっとで昇ってくるのが明確に見て取れる、明るい色の空が広がっていた。前世の日本の春分の日は、たしか3月下旬の冒頭あたりだったはず。春分の日から10日経った日の出の正確な時刻は分からずとも、この世界の今日4月3日と、日本の関東の4月3日に、大きな差はないように思われる。ただ、夜空に月を見た記憶が一度もないのは、極めて大きな差なんだよなあ。
それはおいおい考えるとして、朝の定番の背伸びと深呼吸をしてみる。ヤバい、めちゃくちゃ気持ち良い。そのまま飽きるまでストレッチと深呼吸をしたのち、軽く体を動かしてみた。ヤベえ、バカみたいに気持ち良い!
「3歳児の体の軽さは化け物か!」
などと赤くて三倍的なセリフを吐きつつ、運動神経のすこぶる良い3歳児の体を、走って跳んででんぐり返って俺は堪能した。
そうこうするうち6時になり、朝食の時間がやってきた。朝食はお弁当ではなく、厚切りハムと作り立ての目玉焼き、バターをたっぷり塗った焼き立てパン、そこに山盛りの新鮮サラダが付くといった献立だった。家族なし恋人なしのアラフィフの俺としては文句皆無の朝食だったが、美雪は不満だったのだろう。この宿泊施設で私にできるのはこれが精一杯、ごめんなさいと肩を落としていた。
「何言ってんだよお姉ちゃん、朝ごはんとっても美味しいよ!」
嘘偽りなくそう言い、朝ご飯をガツガツ食べてゆく。いやホント、昨日のお昼と晩のお弁当は咀嚼を優先するよう自制できたが、この朝食は無理。美味い最高もっと食べたいという本能の赴くまま、無我夢中でかっこむ事しかできなかったのである。そんな俺に美雪は涙をにじませ、頬をほころばせている。俺はこの女性を、血の通った優しいお姉ちゃんとしか思えなくなっていた。
朝食後は8時まで座学となった。初日となる今日のテーマは、闇人について。好天の日は食事の場でもある木陰のテーブルを勉強机にして、美雪は講義を始めた。
「まず初めに、闇人の3D写真を投影しましょう」
テーブルの5メートル先に、身長2メートル10センチの闇人の3D写真が出現した。その途端、猛烈な震えが全身を駆け抜けた。震えがあまりにも強く、椅子に座っているのも困難になった俺に、美雪は大急ぎで3Dを消す。そして隣にやって来て盛んに詫びたのち、口頭説明のみの形式に座学を切り替えた。
それによると闇人は、全身に闇力をまとっているらしい。闇力は物理攻撃を無効にし、戦車砲を至近距離で撃ってもかすり傷一つ付けられないどころか、核爆弾すら打撲程度にしかならないという。
その、物理法則を大きく逸脱した闇人を葬れるのは、輝力を満たした近接武器のみ。手に持った近接武器を輝力で満たし、それを直接叩き込んで初めて人は、闇人に致命傷を与えられるそうなのである。
言うまでもなく闇人もそれを知っており、手に持った武器でこちらを攻撃してくる。その武器は必ず大剣で、過去1900年を遡っても大剣以外の武器の報告例はないという。3歳のスキル調査で剣術適正のスキルがもてはやされる理由は、まさしくそれ。槍やハルバード等も過去に試されたが、闇人の剣術に対抗しうる最も有効なスキルは結局、剣術だったそうだ。
輝力操作スキルも同じ理由で重宝され、また輝力量スキルには、闇人への恐怖を軽減する作用もあるらしい。俺は納得し、膝をポンと叩いた。
「なるほど、だから僕は怖くて仕方なかったんだね」
「そうね、これから少しずつ増やしていきましょうね」
理由と対策がわかれば、やる気も増すというもの。100年かけて輝力を地道に増やしていくことを、俺は心の中で誓った。
座学はそれで終わり、訓練に移った。とはいえやっているのは昨日と変わらぬ、輝力主導の身体操作。ただ先ほど立てた誓いに従い、松果体を介して流入する輝力を増やし、かつ体内に保持する輝力も増やすことを、今日から積極的に行っていった。