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ということを、髪を洗いつつ考えていたからか意識が明瞭になってきた。そこでようやく、颯が入浴前に言っていた「猶予はおそらく40分ちょい」の40分ちょいが過ぎようとしていることに気づき、隣で体を洗っている当人に尋ねた。
「鷹さん軍団も、この風呂に入って来るのかな?」
「・・・ん? 悪い悪い聞き逃したよ、スマンがもう一度頼む」
心ここにあらずの見本のように颯は体を洗っているなあと思っていたとおり、俺の問いを聞き逃したようだ。けどそんなの、風呂場では日常茶飯事といえる。気を悪くしたりせず、俺は同じ問いを颯にした。すると、予想外の返事が耳に届いた。なんと鷹さん軍団は急遽、鷹さんの家で会合を開くことになったそうなのである。驚く俺に颯はしばし思案顔をしたのち、鷹さん軍団の成り立ちと天風一族内における軍団の位置づけを話してくれた。
「念頭に置くべきは、戦争開始時の鷹さんの年齢が19歳だったってことだ」
18歳と19歳でも戦闘順位1000位以内なら、志願兵として戦争に従軍できる。天風五家の当主の直系として生まれた鷹さんが、志願兵を目指さない訳がない。またそれは天風一族の鷹さんと同年齢の全員と、1歳年下の全員にも当てはまったため、その人達の訓練強度と団結力は一族の中にあってさえ白眉だったという。それが実り志願兵に一人も漏れず合格し、皆に称えられて戦争へ赴いたが、生還したのは半数に未たなかった。戦争を経て生還者の団結力がいっそう増したのは、想像に難くない。五家の次期当主に任命された鷹さんを中心に生還者達は一族の戦力向上のために身を粉にして働き、そして一族の者達はいつしか生還者達を、多大な敬意を込めて鷹軍団と呼ぶようになっていった。もっとも颯や蒼君たちの年代はとてもじゃないが呼び捨てにできず、「さん」を付けて鷹さん軍団を使うのが恒例になっているらしい。ただでさえ20歳近く年長なことに加えて戦争の生還者でもあるのだから、そういうものなのだろうな。
と納得する俺に、颯と蒼君はちょっぴり寂しいことを告げた。
「超山脈で百年に一度の偉業を成した翔の情報を、天風一族は独自の情報網を駆使して集めた。その中の一つに『午後九時就寝の厳守』があったが、それは正しいか?」「厳守の二歩手前程度には、気にかけているよ」「なるほどな。蒼!」「了解です。鷹さん軍団へは、俺が出席します」「うむ、頼む。午後九時以降なら俺も出席可能だと、団長に伝えておいてくれ」「承知しました」「えっ、蒼君は一緒に泊まらないの? 颯もひょっとして、俺が寝てから部屋を出て行こうとしてる?」「翔、お前も知っておけ」「天風一族は人類存続を、何より優先するのです」「むっ、確かにそれ以上の優先事項はないな。颯、蒼君、承知した」
承知したと告げるや、「ではお先に」と蒼君が浴室を出ていく。頭では解っていても寂しいものだな、と思いつつ蒼君の背中を見つめていると、
「蒼をあんがとな、翔」
弟思いの兄のような颯の声が鼓膜を震わせた。不意に、百花さんの言葉が脳裏に蘇る。「こういう環境で育つと、たくさんの弟や妹たちができるでしょ」 ああやっぱ二人はお似合いなんだなあ、とニコニコしていたら、颯は照れつつも蒼君について教えてくれた。
それによると蒼君は、一族の悩みの種だったらしい。翼さんへの恋心が悪い方に作用していることを一族全員が知りつつも、それを誰も正せなかったのである。誰も正せなかった理由には、『心は本人のもの』というアトランティス星における常識中の常識も、もちろんあった。だがそれは二番目でしかなく、二番目を大きく引き離す圧倒的一番は、翼さんだった。誰とも恋をしないし結婚もしないと3歳の頃から宣言していた翼さんを変えられるのは蒼君しかいないのではないかと、皆が期待していたのだ。しかしその、変えられるのは蒼君しかいないのではないかという期待は、蒼君が恋人や伴侶になるという期待では決してなかった。「ここだけの話で頼む」と苦悩に顔をゆがめつつ颯が明かしたところによると、『実らないことが確実な恋を諦めきれなかったせいで人生を棒に振った蒼君を間近に見ることで、人生について再考した翼さんが件の宣言を取り下げるなら、蒼君を犠牲にしても構わない』という、意味だったのである。
「そりゃ颯もつらかったろう」「ああ、つらかった。百花がいなかったら、俺は暴走していたかもしれん」「暴力に訴えてでも、蒼君を無理やり矯正しようとしたとかか?」「一言一句違わん。よくわかったな」「蒼君の矯正に犠牲が必要なら、犠牲になるのは蒼君の一番近くにいる同世代の同性である、自分だ。そんなふうに考えていたんじゃないかって、思ったんだよ」「ったくお前は、漢心の解る漢にもほどがあるぞ」「ありがとう、素直に嬉しいよ。あと、可能なら教えてくれ。蒼君について悩むお前を、百花さんはどんなふうに支えたんだ?」「むっ、お前容赦ないな」「容赦はあるよ。百花さんのプライバシーに素粒子一個でも触れるなら、今の質問は完全無視でいいから」「それを素で言うお前になら、百花も文句は言わんだろう。ただ・・・」「俺の胸の中に留める。約束するよ」「本音を言うと、誰かに話したかったんだ。翔、あんがとな」「どういたしまして」
こうして明された話は想像以上に長く、俺達は湯船と水風呂を幾度も往復した。颯に宿泊を誘われた時は、二人で天井を見つめながらこういう打ち明け話をするのだろうなと思っていたけど、こちらも負けないほど良いものだ。裸の付き合いの真骨頂って感じだしさ。
物心ついた時から互いを人生の伴侶と信じて疑わなかった颯と百花さんは、可能な限り本音を話すことを心がけてきたという。本音を教えてくれる心底信頼できる人として互いを真っ先に思い浮かべる関係を、二人は10年以上の歳月をかけて育ててきたのだそうだ。「お前スゲーな!」「ふふん、もっと褒めていいぞ」 なんて合いの手を双方向で適時入れつつ、打ち明け話は進んでいった。
颯と百花さんはそんな関係ゆえ、蒼君についても本音をさらし合った。興味深いのは、今年4月に同じ戦士養成学校生になるまで、二人の意見が食い違っていたこと。「蒼をぶん殴ってでも変えるのは、俺の役目なんだよ!」「それじゃ意味無いって言ってるでしょ、この脳筋!」的な言い争いを、二人は無数にしたらしい。しかし4月2日以降、それは一変した。一変した理由は、学校が終わった放課後しか会えなくなったことが、二人に学びをもたらしたからだ。会いたい時にすぐ会えないという経験をして初めて二人は、蒼君の苦悩の一端を理解したという。




