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ほにゃららを宇宙の彼方に蹴飛ばすことも兼ね、お父上に何があったかを核機という語彙を用いず紐解いてみよう! と意気込んだ俺は考察を始めて数秒もせぬうちに、納得顔を翼さんに向けた。
「翼さんはさっき、長年の謎に光が差したって言ったよね。俺も、それに同意。母さんが助力したと考えて、間違いないって俺も思うよ」「やっぱりそうですよね! 物心ついたころから感じていた胸のつかえが、取れた気がします」「いやいや翼さん。今度は俺が『気が早いよ』という言葉を使わせてもらおう」「むむ! 翔さんなら、もっと具体的な推測が可能とか?」「あくまで推測だけどね」「キャー、ありがとうございます!」
年齢相応にキャイキャイはしゃぐ娘を、翼さんのご両親がニコニコ眺めている様子が瞼に映った。と同時に脳裏を、母さんの授業が駆ける。「死後の世界へ旅立つ寸前、一瞬を数百億倍に引き延ばして家族を見守る人達がいるわ」 ああそうか、このお二人は本物の、翼さんのご両親なのですね。瞼に映ったご両親に胸の中でお辞儀して、俺は推測を述べた。
「この宇宙は、同一空間に複数の次元を重ねる構造になっていてね。この三次元物質世界の一つ上に、準四次元界という次元があるんだよ。お父上はそこで、コシヒカリを存分に食べさせてもらったのではないかな」
お父上は地球人だったころ、コシヒカリを一度だけ食べたという。米作りの名人のお父上なら一度食べれば、コシヒカリの特徴を余すところなく捉えられたと思う。だがそれのみでは、やはり限度があった。たった一度の経験では、食文化の異なる星でコシヒカリを再現するのは無理だったのである。
しかし、この星に転生したからこそ習得した技術も、お父上は持っていた。それは地球とは比較にならぬほど高度な、アトランティス星の品種改良技術だ。米の品種改良を30年間続けてきたお父上には、莫大な知識と技術と経験があった。それを基にコシヒカリを今一度味わえば、「品種改良に関する霊験」を今生のお父上は得ることが出来たのである。したがって母さんは、二つの事柄に沿ってお父上を助けたのだろうと推測を述べたところ、
「二つの事柄を、可能ならばご教示ください」
翼さんに粛々と腰を折られた。それだけでも気が引き締まったのに、翼さんの背後でご両親も一緒に腰を折っている光景がありありと目に映ったとくれば、気の引き締めは最上級になる。超山脈のひ孫弟子の講義に出席している気概で、翼さんの願いに応えた。
「神は、自らを助ける者を助ける。弟子に準備ができたとき、師が現れる。この二つを満たしたと判断し、母さんはお父上の夢枕に立ったと俺は考えている。お父上は研究者としても偉大な方だったと、俺は思うよ」
深く頷いた翼さんは、ありがとうございますの「あ」を発音する口になった。しかしそれが発音される直前、翼さんは目を見開き顔を素早く後ろへ向けた。「お父さん、お母さん」 そう呟いた翼さんに微笑み、父上は翼さんの頭を撫で、母上は翼さんを抱きしめた。そして二人は俺に会釈し、消えていったのだった。
俺と翼さんはその後しばし、押し問答をした。俺としては翼さんを心ゆくまで泣かせてあげて、泣き止んでから食事を再開したかったのだけど、翼さんがそれに否を唱えて譲らなかったんだね。
「翔さん、私に構わず食事を再開してください」「そう言われましても、泣く女の子そっちのけで食事したら、男として終わりな気がするんだよね」「終わっている男から最も遠い場所に翔さんはいます、お気になさらず」「そう評価してもらえるのは嬉しいけど、男の美学的なものが俺を咎めるみたいな?」「翔さんの男の美学は、泣く女の希望より自分の意向を優先するのですか?」「む、そんなことは無い」「では、どうぞお食事を」「・・・・カツ丼が泣いてる」「はあ?」「泣く女の子の隣で食べられるカツ丼が、俺はそんな料理じゃないって泣いてる!」「あ~、カツ丼にはそういう側面が確かにありますね、とりわけ男性には」「おお、さすがは留学経験者!」「そしてそういうメンドクサイ面を、日本の男性は多々持っていますよね」「うっ、うんごめんなさい」「解ったようですね。さあ諦めて、キリキリ食べる!」「よし、作戦が成功したから食べよう」「作戦成功?」「だって翼さん今、泣いてないし」「はいそうです。心ゆくまで泣きたかったのに阻止された、哀れな女なのです」「わっ、わわっ、ごめんなさい~~!!」
てな具合に、押し問答に負けたのは俺だった。でも最初から負けるつもりだったし翼さんも泣き止んだから、これぞ俺が望んでいたこと。ま、翼さんにはナイショだけどさ。
それ以降は賑やかな食事となった。収穫したばかりの野菜をてんこ盛りにしたサラダ、お父上が品種改良した胡瓜と蕪の塩漬け、自家焙煎した麦茶、そのどれもが絶品だったことも、賑やかな食事を後押ししたと思う。でも和気あいあいの食事をもたらした最大の功労者は、口喧嘩だったのかもしれない。口喧嘩を経て翼さんの、俺に対する遠慮が少し減ったような気がするんだよね。翼さんとは友達としてずっと仲良くしていきたいから、遠慮が減るのは大歓迎。遠慮がゼロになり傍若無人になってもこの子なら失礼なことはしないだろうし、女性に頭の上がらない自分を俺は気に入っているから、それは心配していない。それに関しては皆無なのだけど、この女性だけが纏う涼やかかつ甘やかな香りを一層好ましく感じるようになったことは、ちょっぴり心配している俺なのだった。
一筋の冷や汗が背中を伝ったので話を替えよう。
食事の後は映画を見るため、天風一族の所有する私立図書館へ移動した。地上二階地下一階のこの図書館には書籍と視聴覚室の他にも、講義用の講堂やら趣味を等しくする人達の集まる部屋やらが多数あり、非常に親しまれている気配が館内に漂っていた。けど今は俺と翼さんに遠慮したのだろう、利用者を見かけることが一度もなかったのである。夏休みなのに申し訳ないことをしてしまいました皆様ごめんなさいと、俺は胸中謝りまくっていた。
図書館は海岸の比較的近くの、潮の香りが微かに届く場所に建てられている。しかし館内は外と比べて海の匂いが格段に少なく、視聴覚室に至っては完全なゼロになっていた。嗅神経は感情の脳とされる大脳辺縁系と密接にかかわり、海の匂いがしたら映画への感情移入に支障が出るため、高性能の空気清浄機を視聴覚室に設置しているのかもしれない。図書館内の充実した設備からも窺えるように、天風一族は文化をとても大切にしているようだ。古代ギリシャの最強軍事国家スパルタが、人類史的に影響力のほぼ無い短命の小国家に成り下がった主理由は、戦闘力向上を追求するあまり文化が廃れたことにあると俺は考えている。天風一族はスパルタの真逆を行っているのだから、さすがと言うしかない。その文化的中心地の一つに違いない図書館で快適な環境のもと映画を視聴できることに感謝しつつ、この星で最も評価の高い一本目の映画に俺は全力集中した。
その全力集中が、いけなかったのだろうか。映画が終わり五分以上経ってようやく俺は、
「ラストシーンで大泣きし、迷惑かけてごめんなさい」
と、翼さんに謝ることが出来たのだった。




