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あの道を大斎原の参道に似ていると感じたのは、錯覚ではなかった。翼さんの父上が、まさしく大斎原を模して両側を水田にしたそうなのである。また父上は糯米の品種改良も手掛け、アトランティス星における和菓子の普及に莫大な貢献をしたという。前世の俺は中年以降なぜか急に和菓子好きになり、この星でも和菓子を食べられると知ってからは大抵そればかり食べていたが、それも父上のご尽力の賜物なのだろう。俺は父上を褒め称え、翼さんはもちろん喜んでいたけど「気が早いですよ」と、やんわり窘めることも忘れなかった。確かにそれは正しく、父上の手がけたお米を頂いてから改めて称えようと反省して、ようやく気づいた。あれ? 新潟の米と言えば魚沼産コシヒカリを真っ先に思い浮かべるけど、コシヒカリが魚沼で生産されるようになったのって、1960年代前半だったような?
「翔さん、どうかしましたか?」「あ、うん。お父上は、翼さんの幾つ年上だったのかなって」「年齢差は72です。73歳で戦争に行きましたから」「そうだったんだ。ご冥福をお祈りします」「ありがとうございます。翔さんにそう言ってもらえるのは嬉しいですが、でも翔さんが突如ションボリしたのって、他に理由がありますよね」「ヒエエごめんなさい、不謹慎でした!」「ふふふ、だいたい想像つきますから大丈夫ですよ。そうそう、少し席を外します。デザートの果物を、順番を変えて先にお出ししますね」
翼さんはそう言って、部屋を出て行ってしまった。ああ失敗した、お父上を戦争で亡くした翼さんの胸中よりコシヒカリを食べられない自分の失意を優先してションボリするなんて、人でなしにも程があるぞ俺! と自分を叱りつけているうち、廊下を足早に歩く翼さんの気配が近づいて来た。急いでいるのみならずウキウキ弾む足音がするから、「大丈夫ですよ」との翼さんの言葉に嘘はないのだろう。ならば俺に出来るのは、その言葉を信じることのみ。俺は頬を勢いよく叩き、失意顔を吹き飛ばして翼さんを出迎えた。襖が開いて翼さんが部屋に入ってくる。と同時に、俺は目を剥いた。なぜなら翼さんが持っていたお盆の上に、日本の夏に無くてはならない真っ赤なスイカが乗っていたからである。
その後、涙を流してスイカを頬張る俺に翼さんが説明してくれたところによると、お父上はお米以外にも複数の農産物の品種改良を手掛けたという。その一つがこの、日本人にお馴染みの大きな球形のスイカだ。アフリカ南部が原産のスイカは元々球形をしていたが言うまでもなく原種は小さく、地球のスイカは品種改良によってあの巨大サイズになった。この星にも原種のスイカはあったが品種改良の方向性が異なり、食べてもこんなふうに涙を流すことは無かった。きっとそれを悲しんだのだろう、お父上はスイカの改良を重ね、味も香りも食感も前世の記憶と寸分たがわない日本のスイカを、こうして誕生させたのである。俺は口を極めてお父上を褒め称えるも、返って来たのはやはり「気が早いですよ」だった。ただ翼さんの表情が前回より格段に柔らかくなっているから、お父上を褒められるのはやはり嬉しいのだろう。という訳で懲りもせず再度称えようとした丁度その時、
「失礼します」
メイドさんが部屋に入ってきた。手に持つのではなくカートで運ばれてきたその料理を一目見るなり、時が止まったかのように俺は硬直した。なぜならカートの上に鎮座していたのは、地球レストランのメニューになかったため大好きだったけど食べることを諦めるしかなかった、カツ丼だったからだ。
目の前に置かれたカツ丼が、湯気をもうもうと立てている。その湯気が鼻腔に届いただけで、俺は口をわななかせた。もちろん怒り由来のそれではなく、極度の感動と緊張に由来するわななきだ。だってしょうがないよ、小鳥姉さんですら再現不可能だった出汁醤油の香りが、嗅覚を刺激したのだから。
口と同じく小刻みに震える手を合わせ「いただきます」とお辞儀し、両手でお椀を持って口元に近づける。トンカツからにじみ出た豚肉の旨味と油が出汁醤油と混然一体となった香りが顔に直撃し、それだけで涙が溢れた。涙のせいで視覚が役立たずになっても、口元のどんぶり飯を口にかっ込めない日本人などいない。俺はカツ丼に箸を突き刺し、適量をかっ込んだ。その直後、滂沱の涙が双眸から溢れた。まごうこと無き、日本のカツ丼だったからだ。天上の口福に身も心も浸かりつつ、俺はカツ丼を味わったのだった。
お代わり二回目の、三杯目のカツ丼を堪能している最中、涙がようやく止まった俺に翼さんが説明してくれたところによると、意外にも出汁に鰹節は使われていなかった。味醂は再現できても、鰹節の再現はお父上をもってしても不可能だったそうなのである。その代わり牡蠣と昆布を用いて牡蠣醤油を造り、それを和食全般に使っているとの事だった。「仮陸宮に次回参拝したら、お父上に五体投地させてください」 それが冗談ではないことを正確に感じ取った翼さんにお止めくださいと懇願されなかったら、俺は間違いなく実行していたはず。五体投地は諦めるにせよ石畳の上に正座して、敬意と感謝を捧げることを俺は誓った。
だがあることを知り、やはり正座では到底足りないと思うようになった。ひょっとしてそうかもと感じていたとおり、カツ丼に使われていたお米はコシヒカリだったのである。「それについては詳しく分からなかったのですが、今日やっと推測できました」 翼さんはそう言って、胸に両手を添え瞼を下ろした。その姿がとても崇高だったので俺も箸を止めて丼をテーブルに置いたところ、「どうぞ食事を続けてください」と翼さんはクスクス笑い、長年の秘密に光が差した経緯を話してくれた。
「お米作りの名人として有名だった前世の父は、農業試験場で試作された新種米の審査員に選ばれ、一度だけそれを食べたそうです。その一度きりで父は新種米に、つまりコシヒカリに魅了され、ぜひ作らせて欲しいと申し出ましたが、その年の冬に急逝してしまいました。この星に転生してからも情熱はいささかも衰えず、何と4歳でコメの品種改良に関する勉強を始めたようです。戦士になってからも研究者としてコシヒカリの再現に挑戦し続けましたが挫折続きの30年が経ち、絶望のあまり戦士の訓練にも支障が出るほどでした。しかしある朝、希望一色の表情に突然なって研究所に現れ、たった数カ月でコシヒカリの再現に成功したと言われています。父はそれについて多くを語りませんでしたが、しつこい同僚達を集めて一度だけ」
ここで翼さんは俺の耳に口を寄せ「核機が絡むため説明不可能と突っぱねたそうです」と、二人だけの秘密を語るように甘い口調で囁いた。カツ丼の香りに肺と鼻腔を満たされていなかったら、俺は今生初のほにゃららを某局部に感じていたかもしれない。お父上様、まことに申し訳ございませんでした!




