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「峰走りに今から挑戦してみてもいいかな?」


 咄嗟にそう訊いた。すると思いがけず翼さんは非常に喜び「すぐ用意します少々お待ちを!」と言い残し、シュバッという擬音語を盛大に奏でて部屋を出ていった。俺も負けじと窓辺にシュバッと移動し、窓を開けて外の空気を室内に導き入れる。深呼吸を無心に繰り返し松果体を輝かせ、平静をどうにか取り戻したところで「お待たせしました!」と翼さんが帰ってきた。平静を取り戻していたお陰で自然と笑顔になれたけど、翼さんが俺に差し出した衣服の正体に当たりがつくや、顔を引き攣らせそうになってしまった。なぜならそれは昨日見た白い戦闘服の男性版の、新品だったからである。

 だが何事も、決めつけはよくない。俺は脳をフル回転させ、当たり障りのない印象になっているのを確認してから、予想が間違っていることへ一縷の望みを託し尋ねた。


「えっと翼さん、これって翼さんが昨日着ていた白の戦闘服の、男性版だったりする?」「はい、そうです。翔さんの戦闘服のサイズを冴子さんに教えてもらって作りましたから、安心してください」


 いや安心なんて不可能ですって! との言葉を辛うじて呑み込むと同時に笑みを保ち続けた俺を、俺は褒めてやらねばなるまい。一瞬だったとはいえ無限の努力の果てに、俺はそれを成したんだからさ。

 というつらと心の齟齬は多々あったが結局俺は、白の戦闘服に袖を通した。翼さんのニコニコ顔に、負けたんだね。ただ今回の件で初めて知ったのだけど、その「ニコニコ顔に負けた」という状況を、どうも俺はしこたま好きらしい。着ることを了承した際の翼さんの喜びようが目に映るやトホホな気分は消え失せ、喜びようを思い出しているうち自然と鼻歌を歌うようになり、白の戦闘服に身を包んだ自分をお披露目する頃には、翼さんに負けないニコニコ顔に俺もなっていたのである。この性格がバレたら様々なことを押し切られるようになり、俺は危機に瀕するかもしれない。実際ついさっきも、戦闘服に着替えただけにしては妙に時間のかかった翼さんに「ごめんなさいお待たせしました」とニコニコされただけで「俺なんかじゃんじゃん待たせていいよハハハ~」と、無駄な鷹揚さを示していたしね。だからバレてはならないんだ、ニコニコ顔に負けたとしても心の中だけでニマニマするんだと自分に言い聞かせたのは、さて置き。


「峰走りの専用靴まで用意してくれて、ありがとう」「当家の所有する靴工場で800年間作り続けてきたうちの、一足です。お気になさらないでください」「靴工場を持っているんだね、さすが天風家」「靴工場のほかに衣服の工場もあり、きっかけは冴子さんだったと伝わっています」「ひょっとして冴子さんの人類一の美脚に、大量生産品では対応不可能だったとか?」「美脚の他にも、対応不可能だった箇所は複数あります。人類最長の脚を自由自在に操るには骨盤周りの筋肉も人類屈指でなければならず、率直に言うと冴子さんは、お尻も全女性戦士一の大きさでした。すると必然的にウエストと腰回りの差も全女性戦士一になり、背が高く胸も大きかったため胸囲も全女性戦士一だったそうです。修正箇所と修正数値がここまで多いと既製品をいじるだけでは対応できず、冴子さんは普段着から下着に至るまで全ての衣服を特注で購入していました。言うまでもなくそれは苦労を強い、奥様の苦労する姿に胸を痛めた初代ご当主様が小さな衣服工場を作る計画を立てました。旦那様と仲の良かった亮介様も協力を申し出て、地球で言うところの家庭内工場が作られました。その家庭内工場を、姑を敬愛してやまなかった太母様が拡張して、一族の衣服の全てと注文服を製造する工場にしたと伝わっています」


 天風家の衣服工場は冴子ちゃんの名声もあり、冴子ちゃんと同種の悩みを抱える女性達に一気に広まって、多くの女性達に感謝される工場として800年間稼働し続けているという。とても良い話なのは間違いないのだけど、脳裏に映る冴子ちゃんが恥ずかしがるやらふんぞり返るやらを目まぐるしく変えるのが面白くて、俺は噴き出してしまった。幸い翼さんは気を悪くしなかったらしく、「どうされたのですか?」と首をコテンと傾げる。その傾げられた頭を無意識に撫でそうになった右手で右頬を掻きつつ、脳裏に映った冴子ちゃんの様子を話していく。「私の目にも映るようです」と翼さんはコロコロ笑い、釣られて俺も笑っているうち寝殿造の正門を潜った。お陰で若いメイドさん達がキャイキャイする様子や、長老衆が「「「「祝杯じゃ~~!!」」」」と意味不明の宴会を開いている様子を、意識の隅へ追いやることができた俺なのだった。

 が、正門を出てからは追いやれなくなった。そしてそれは客観的に見て、不可避だった。なぜなら翼さんが自分専用の白い戦闘服を愛用していることを知らぬ一族の者など一人もいないのに、それとお揃いの男性版の白い戦闘服を着るどこかの馬の骨が隣を走っているのだから、


「オイそこの!!」


 系のお約束男子が行く手に立ち塞がらないなど、あり得なかったんだね。前世の俺は一人暮らしだった事もありアラフィフになってもネット小説を愛読していたため、第三者だったら「テンプレ来た~」と興奮したに違いない。だが第三者ではなく俺は当事者であり、それどころか更にお約束の、


「貴様に決闘を申し込む!」


 と宣言された暁には、一体どうすれば良いのか? 幸か不幸かネット小説の定番の状況だったので、俺の対応が遅れた場合の今後の推移なら刹那で脳を駆けた。それは翼さんが介入することで男子は表面上矛を収めても、介入のせいで内なる怒りはむしろ燃え上がり、より重大な局面で大迷惑なことをしでかすというものだった。テンプレ過ぎて現実ではあり得ないと思われがちだが、それなりの人生経験を積んだ前世の俺は、「事実は小説より奇なり」をこの目で幾度も見ている。それに酷似した気配を肌にビシバシ感じているのだから、その未来が目前に迫っていると考えるべきなのだろう。よって、


「峰走りのタイムアタックならすぐ受けて立つ。どうだ?」


 即答に準じる速度でそう応じた。翼姫の専属メイドとおぼしき女性の鼻息が背後からいきなり聞こえるようになったけど、叱らないであげてって後で頼まないとな。ま、決闘男子はどうでもいいけどさ。などと高速思考をしているうち、


「こ、この野郎! ほえづらかかせてやる!!」


 決闘男子が俺の提案を受け入れた。うん、君の言うとおり俺は峰を今日初めて走るから、ほえ面をかくと思う。君の望みが叶い醜態をさらすはずだから、どうかそれで勘弁してね。

 みたいなことを心の中で彼に語り掛けていた俺をまじまじと見つめたのち、


「冴子さんと美雪さんの苦労を、初めて共有できた気がします」


 人跡未踏の霊峰に咲く花の笑みを、翼さんは浮かべたのだった。

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