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「・・・姉ちゃん僕、怪我してないんだけど、それでも権利を行使できるの?」
「・・・うわっ、またやっちゃった~~!!」
美雪は頭を抱えてビニールシートにへたれ込んだ。体育館からマットを運んで来た台車には救急治療セットが装備されていて、その中からビニールシートと簡易ベッドを美雪は引っ張り出していたのだ。また美雪の施した安全対策には、万が一に備えて家事ロボットをゴール付近に待機させることも含まれていて、俺が足を滑らせるやロボットの中に入ったとの事だった。という話を頭を抱えつつした美雪に、身を起こす許可を求めた。そのとたん頭から手を離し、その手を俺の肩に添えて「ゆっくりよ、決して急がずゆっくりするのよ」と身を起こす手伝いをしてくれる姉に、一体どうやって報いればよいのか。前世を含めてもそういう人が美雪しかいない俺に、それは分からない。だが、この姉のために今すべきことなら確信できる。身を起こした俺は美雪の横に移動し、正座し背筋を伸ばして、美雪の規則違反はすべて俺のせいなことを上司に説明した。上司が俺達の様子を興味深げに見つめていることを、松果体の向こうにいる未知の存在が、輝力を介して教えてくれていたんだね。
そんな俺の突然の行動に美雪は最初こそ驚いていたが、今は華奢な肩を更にすぼめて反省の意を示している。そして説明の最後に、
「「申し訳ございませんでした」」
声を揃え、二人そろって頭を下げた。こんなふうに二人並んで謝罪したのは今日が初めてなのに、息をピッタリ合わせられる人と出会えた幸運への感謝も兼ね、俺は額をビニールシートに押し付けていた。その後頭部に、
「二人とも、顔を上げて」
優しい声が降り注いだ。錐で突かれたかのような痛みが胸に走った。前世の俺が子供のころずっと思い描いていた、どこまでも優しく温かな母の声を、降り注いだ声にありありと感じたからだ。なればこそ、最高の俺を見てもらおう。その想いを胸に、ゆっくり上体を起こした。俺と美雪の正面の少し上に、輝力を燦々と放つ白光が降臨していた。そうそれはまさしく、女神様と称えられるべき存在の降臨だったのだが、脳に響いた「美雪を含むすべての量子AIは、私も量子AIと思っているの。合わせてあげてね」との言葉どおり、美雪はなんら不思議に思っていないようだった。白光の声が、輝力の息吹となって再び降り注いだ。
「翔が足を滑らせるなり、美雪がロボットに入ったことは、正しい行動だったと保証します。二人とも、安心してね」
俺と美雪は手を取り合って喜んだ。そして二人そろって、「「ありがとうございます」」とお礼を述べる。白光がにっこり微笑んだのを、俺ははっきり感じた。のだけど、
「でも、翔の無事を確認しても報告がなかった件と、翔に指摘されるまで未報告に気づかなかった件は、問題ね。さてどうしようかしら・・・・」
と、白光が盛大に溜息をついたものだからさあ大変。俺と美雪は大慌てで謝罪し、同じ過ちを二度と繰り返さないことを誓った。そんな俺達に、白光は満足げに頷いた。そして放つ光を、縦軸に沿って回転させることで俺に顔を向けたことを印象付けてから、とても興味深い話を聴かせてくれた。
それによると、安全な恒星間飛行を確立していた古代アトランティス人をもってしても、善良な心を有する量子AIの開発は難航したらしい。善良な人の脳を模した架空の脳をコンピューターの次元に構築し、その脳で思考する量子AIを造っても、それら全てに善良な意識が宿ることは無かったそうなのである。よって無数の試みがなされ、そして成功した試みの一つに、AIもささやかなミスをするという特殊プログラムがあった。自分のしたミスを反省し、かつ反省を介して人類に共感を抱いたAIは、善良に育ちやすいことをアトランティス人は発見したそうなのだ。この特殊プログラムはアトランティス本国が消滅し五万年経った今も、白光を含むすべてのAIに引き継がれているという。ただしミスの頻度には個体差があり、子供達の育成を担うAIは高頻度の傾向が見られ、子供と良好な関係を築いているほど傾向は顕著になっていき、またAIの感情の豊かさも頻度を増す要素らしい。つまりそれら全てを満たす美雪こそは、
「ささやかなミスを最もする娘なのよ」
との事だったのである。白光がそれを茶目っ気たっぷり言ったこともあって俺は堪らず噴き出してしまい、美雪に「翔ったら酷い」とポカポカ叩かれる羽目になった。とはいえ、叩く擬音語のポカポカは温かさの擬音語でもあるように、酷い酷いと言われつつも俺の胸は、ポカポカの温かさに満たされていた。そんな俺達をニコニコ見つめていた白光が、わざとらしくオッホンと咳をする。俺と美雪はそれを聞くなり、背筋をシャキンと伸ばした。わざとらしく咳をして装った厳格顔を、演技なんてしていられないとばかりに満面の笑みに替えて、白光は最終決定を述べた。
「あなた達の姉弟愛に免じ、二つの件は不問にします。美雪、翔、これからも力を合わせてゆくのですよ」
燦々と放っていた輝力をひときわ輝かせて、白光は本来の次元へ戻って行った。
という今の光景は、美雪の目にどう映っていたのだろう。それを解くべく隣へ視線を向けるなり、俺は自分の間違いに気づいた。
白光がどう見えていたかは、些事でしかなかった。
美雪が白光にどのような想いを抱いているかが、重要だったのである。
己の間違いに気づいた俺は、白光が消えた空間へ顔を向け続ける美雪を見つめた。そして、感じたままを口にする。
「姉ちゃんが言ってたとおり、話のわかる優しいお母さんだったね」
「でしょう! 母さんはとっても優しいんだ!」
翔なら分かってくれると思っていたの、姉ちゃん嬉しいわと、美雪は俺を胸に抱いてギュウギュウした。一方俺は心の中で、白光に半ば本気の文句を言っていた。
家事ロボットの表皮は炭素繊維製なのに、胸はなぜこうも柔らかいんですか、と。
白光は意外にも、俺の文句にテレパシーですぐ答えてくれた。それによると3歳から始まる戦闘訓練には、特注の家事ロボットを用意するという。訓練が嫌になり「家に帰りたい、うえ~ん」と泣く子供をあやすため、胸部を温かく柔らかにした家事ロボットを特別に作るのだそうだ。言われてみれば理にも情にも適っており、文句を垂れたことを素直に詫びた俺へ、白光は「美雪には内緒よ」と前置きし、来月以降に役立つ情報を教えてくれた。
『親元から通っていて泣かない子は皆無。対して孤児院の子は比較的少なく、前世を覚えている場合は更に少なくなるが、泣く素振りの微塵もない俺のような子は例外中の例外。1000万を数える同年齢の子供の中に、片手の指で足りるほどしかいない』
とのイメージをテレパシーで送ってきた白光は、「じゃね~」と軽いノリで意識の繋がりを切った。正直いうとその時点では、この情報が来月以降なぜ役に立つかを予想できなかった。ただそれとは別に、何となく解っていることもあった。それは、今の意識の繋がりを構築可能になれば、白光といつでも会話できるようになるということだ。でも俺はどうして、そう思うのかな? という疑問を一生懸命考えることで危険極まる物理的ギュウギュウを無事乗り越えられたのだから、さすが白光なのだろう。
そうこうするうち正午になり、お昼ご飯が始まった。テーブルに並べられていたのはいつものお弁当とは異なる、誕生日バージョンの豪華お弁当だった。2体のゴブリンとの戦闘に初勝利したお祝いとして、ドローンが急遽運んで来てくれたのだ。ゴブリンの足元に跳び込むことを虎鉄が教えてくれた6歳の誕生日以降、虎鉄の豪華弁当にはお刺身とお肉の両方が付くようになっている。虎鉄の喜びようといったらなく、現に今も「虎鉄、お昼は豪華お弁当だぞ!」と呼びかけるや、林から一目散に帰ってきた。100メートルを7秒半で走る地球の猫より明らかに速い虎鉄の俊足ぶりに、筋力だけで走る100メートル走の重要性を、俺は気づかせてもらった。
午後の訓練は予定どおり、亮介君達と一緒に集団戦をした。その第一戦目、ゴブリン11体との戦闘に俺達は初勝利を納めた。続くゴブリン12体との戦闘も白星、その次のゴブリン13体戦も白星という快挙を成し遂げた俺達へ、豪華夕ご飯を美雪は約束した。俺達がはっちゃけたのは言うまでもない。戦友10人が集まったのは3カ月ぶりだった事もあり、3連戦後の休憩に美雪は二倍の時間を割いてくれた。
休憩後、リーダーゴブリンを強化した13体戦を行う旨が発表された。しかしそれでも、俺達の快進撃が止まることは無かった。そして遂に午後5時半、最終強化を施した最強リーダーの率いるゴブリン13体戦が始まる。リーダーゴブリンを担当するのは、もちろん俺。危うい場面が幾度かあるも、卓越した連係プレーで危機を乗り越え、歴代最強の敵に勝つことが出来た。俺達は抱き合って喜んだが、初めての想いも同時に感じていた。それは、別れの悲しみ。皆とこうして戦えるのは、残り僅かしかない。その確信が、勝利を抱き合って喜ぶうち、胸に少しずつ形成されていったのである。俺達は誰ともなく肩を組み、自然と円陣になった。両隣の戦友と肩を組んでいるため、涙を拭うすべはない。双眸から溢れた涙が頬を伝い顎で合流し、地面に止めどなく零れ落ちてゆく。それのみが別れの悲しみを和らげることを知っていた俺達は、訓練終了を告げる午後6時の鐘が鳴るまで、十筋の涙の雨だれで地面を穿ち続けた。といっても、
「夕ご飯の席に座った途端、どんちゃん騒ぎが始まったんだけどな!」
布団に包まれ、俺はそう独りごちた。恥ずかしさを覚え目をやった時計の短針と長針が、8と4を指している。部屋の明かりを消したのは七時五十分だったから、三十分間もアレコレ考えていたようだ。これ以上続けたら、美雪を心配させてしまうだろう。可及的速やかに就寝すべく、前世で習得した睡眠法を俺はさっそく始めた。直径500キロ全長1000キロの密閉型スペースコロニーの内部に山と海を配置し、自転エネルギーだけで雲が形成され雨が降るよう工夫していく。壮大な計画を広大な空間で推し進めているうち、自分でも気づかぬ間に、俺は眠りの境界を越えていたのだった。




