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 実際鎌倉はいつも西側から攻められて陥落しているのだがそれは脇に置き、なぜ鎌倉の地形について重箱の隅をつつくような真似をしたかというと、天風家の本拠地がまさしく「コ」の字型の山によって三方を囲まれていたからだ。超山脈の時も強く感じたけど、これって人工の地形で間違いないよね。


「ですよね。あれはどう見ても人の意思が介入していると、私も思います」「私も、ということは、天風家の見解ではないってこと?」「試験に合格して正式な戦士になったら、教えてくれるそうです」「なるほど、じゃあ楽しみにしておこう」「はい。そうだ翔さん!」


 どうしたのと顔を向けたところ、「眼下の光景を言葉で表現してみてください、ぜひ聴きたいんです」と翼さんは瞳を輝かせた。前世の俺が小説を趣味で書いていて、でも風景描写が大の苦手だったことも、冴子ちゃんはバラしているのか?! という内心の戦慄をどうにか隠し、コホンと咳払いして要望に応えた。


「コの字型の山で切り取られた内側の平野は綺麗な長方形をしており、東西6キロ、南北3キロほど。南側の全長6キロの砂浜は上空1万メートルから見てもとても美しく、ヤシの木を植えた海岸沿いの真っすぐな道も魅力的だ。山から流れ出る土砂が遠浅の海を形成したのだろう、浅い海底を海藻が一面に覆っている。岩礁も多く、さしずめ魚介類の宝庫といったところか。コの字型の山の標高は、おそらく1千メートル。広葉樹の森が山肌に広がるも、峰は岩がむき出しになっている。花崗岩の巨大な塊が連なる峰は足腰の鍛錬に適しているのか、大勢の若者が岩から岩へ跳躍し移動している」

「ありがとうございます。お礼にお昼は、当家自慢の海鮮料理を召し上がってくださいね」


 ヨッシャ――ッと演技でない雄叫びを上げた俺に、翼さんがコロコロ笑う。そして着陸までの短い時間を使い、俺の見立ての正誤および感想を聞かせてくれた。

 東西6キロ南北3キロ標高1千メートルという見立ては、すべて正しい。遠浅の海の成り立ちと海産物の宝庫、広葉樹の森と花崗岩も正しく、後で時間を設けて予想される海の幸と山の幸を聞いてみたい。峰走りは、天風家伝統の訓練。俺がタイムアタックをすることを、一族の者達は強く望んでいる。

 ここまで聴き、


「な、なぜ『一族の者達』が望んでいるのでございますか?」


 てな具合に、ビビリまくる胸の内を隠さず俺は問うたのだけど、翼さんはコロコロ笑うだけで答えてくれなかった。しかし冴子ちゃんと瓜二つの笑顔をされたら、俺も笑顔になるしかない。釣られて笑っているうち「タイムアタックをしてみようかな」と、自ずと考えるようにいつの間にかなっていた。


 飛行車が駐車場に降り立った。上空で気づき腹を据えていなかったら、ドアが開くなり俺は腰砕けになっていたに違いない。なぜなら屋敷の正門と飛行車までの両側に、


「「「「お帰りなさいませ、お嬢様」」」」


 計二名の執事と計八名のメイドさんがズラリと整列し、翼さんを出迎えたからだ。翼さんが降りた北側に皆さん整列しており、つまり俺の降りた南側には無人の駐車場とその先1キロ半に無辺の海が広がっていたため、俺はこのまま自由な海へ駆けて行きたいと心底願ったものだ。しかし、


「爺、出迎え不要と伝えたはずですが」

「長老衆の意向にございます。お許しください」


 との会話が耳に入ったとくれば、そうもいかない。俺は飛行車を半周し、キツイ眼差しになっている翼さんに語り掛けた。


「翼さん、俺が考えなしだっただけだよ。どうか気を静めて」

「翔さん、私の落ち度です。まことに申し訳ございません」


 たおやかの見本の如く翼さんは腰を折った。爺と呼ばれた20代序盤に見える執事は表情を変えなかったが、もう一人の執事は右の口角を1ミリほど跳ね上げた。対して八人のメイドさんは気配を柔らかくし、友好的な眼差しを俺に向けてくれている。若い方の執事も含めて翼さんが皆に愛されているのを実感し、自然と笑みが零れた。

 その後、爺と呼ばれた執事長に案内され、屋敷の門を潜った。非常に不思議なのだけど、屋敷は檜をふんだんに使った木造建築。和風ではないものの玄関で靴を脱いだことと、木目の美しい板張りの廊下だったことが、なぜか非常に嬉しかった。のだけど、


「ど、どうして急に和風建築になったのでしょうか?」


 北へ向かっていた廊下が西に折れてすぐ、俺は心の中でそう呟いていた。日本人なら問答無用で解る和風の廊下に、一変したのである。いや厳密には違和感がほんの少しあり、それが純和風という語彙を使わせなかったのだけど、廊下の先に目をやったら違和感の正体が判明した。30メートル先から、廊下は両側に壁のない透渡殿すきわたどのとしか思えない様相になっていたのだ。この30メートルという距離も平安時代の御所に用いられた、一間を3メートルとする寸法が採用されているはず。それら平安期の建築様式に違和感を覚え、純和風という語彙を避けたというのが真相なのだろう。名家としての天風五家は約800年前に誕生したが、古代日本のやんごとなき方の転生者が亮介の先祖にいたのかもしれない。う~む美雪に頼めば、亮介にまた会えるかな?

 などと頭の隅で考えているうち透渡殿すきわたどのに足を踏み入れた俺の目が、予想に違わぬ豪奢な寝殿を前方に捉えた。寝殿の北側に北対きたのたいとおぼしき建物を見て取れるから、意識しなかっただけで俺は東対を通過していたのだろう。ただあの寝殿を平安時代の寝殿とするなら、俺は簀子すのこで応接されるのか? それともひさしなのか、もしくは母屋もやに招き入れてもらえるのか? 執事長が当主ではなく長老衆という言葉を用いたのが、ヒントになる気がするんだよなあ。

 それはさて置き寝殿内部を現代っぽく説明すると、「中央にある居間兼寝室を、幅広の廊下が取り囲んでいる」になる。ただし居間兼寝室と廊下は壁で隔てるのではなく、すだれ屏風びょうぶのような簡素な仕切りで隔てるのが寝殿の特徴だ。その簡素な仕切りの内部を母屋もや、外部をひさしと呼んでいるんだね。母屋は当主や家族が寛ぐ居間なので、そこに招き入れられるのが最上の対面。その次が廂に控えて、母屋に座す当主と対面する形式。そしてこの二つより大きく落ちるのが寝殿に入れてもらえない、簀子すのこに控える対面だ。簀子は寝殿を取り囲む外部廊下に近く、寝殿より一段低く作られている。一段低い外部廊下に座らされるのだから格はかなり落ちるけど、簀子もれっきとした建物の一部。建物に入れてもらえず、寝殿前の庭に控えさせる事もあるのだから、簀子でも不平を顔に出しちゃいけないぞと俺は自分に言い聞かせた。といっても透渡殿を歩いている時点で、庭での対面はまず無いんだけどさ。

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