二十五章 天風一族の本拠地、1
翌、8月13日。
時刻は午前9時50分、場所は翠玉市のバス停。
強制休日と比べたら乗客が1%程度だからか、普段より10分早くバスの降車ドアが開いた。これなら翼さんを余裕をもって探せる、待たせなくて良かったと安堵するも、それは早とちりだった。なぜならそう安堵した直後、
「翔さん、お早うございま~~す!」
名前を大声で呼ばれたからだ。階段を踏み外さぬよう足元を確認してから声の方へ顔を向けたところ、両手を頭上でブンブン振りつつジャンプを繰り返している翼さんが目に入った。小動物のようで可愛いのは否めない。懐かれて嬉しいのも事実だ。でもこんなふうに大声で呼ばれたら、イチャイチャカップルといえどもイチャイチャを止めて注目してしまうではありませんか! と危惧したとおり、
「なぬっ、翔の彼女か!」「可愛い子じゃない空君!」「こりゃ大スクープだ!」「孤高の空翔を射止めた美脚の年下美少女、みんなにすぐ知らせなきゃ!」
俺以外の乗客四人つまり二組のカップルが、イチャイチャを中断して翼さんに注目してしまったのである。特に二人の女の子は視線を向けるだけに留まらず、階段を軽快に降り「「初めまして~」」と翼さんに挨拶していた。女子の会話に聞き耳を立ててはならないのは、男子の鉄則と言えよう。だが鉄則に従うより先に「えっ、天風五家の!?」「冴子さんにそっくりって、ひょっとして翼姫!?」という、頭を抱えたくなる声が耳に飛び込んできてしまった。もちろん翼さんに失礼だから頭を抱えたりせず平静を装っていたけど、
「オラア翔!!」「「キリキリ白状しやがれ!!」
野郎二人に羽交い絞めにされた俺は、いったいどうすれば良いのか? とりあえず心の中で「そういえば翼さんは一族の人達から、翼姫って呼ばれているのかな」と考察を巡らせ、ネタの提供の阻止に努めたのだった。
翼さんは女子達に気に入られたらしく、トリプルデートを提案されたという。気に入られたこと自体は俺も嬉しいけど、トリプルデートはいただけない。案の定、
「すみません翔さん。トリプルデートをお断りするには、実家に招待していることを話すしかありませんでした」「あはは、いいっていいって」
とのやり取りを、俺達は飛行車の中で交わすことになった。美雪に頼み緊急メール以外は受信音をオフにしてもらっているけど、オフ機能が既に百回以上作動したって本能が囁いているんだよね。マジ勘弁だな・・・・
との本音を、バス停までわざわざ迎えに来てくれた年下の女の子に洩らすなど、もっての外。俺は空気を換えるべく翼さんの家について尋ねたところ、大正解だった。翼さんの返答が、予想の三倍以上長かったのである。
それによると名家の大多数は、人類大陸北端の比較的近くに本拠地を構えているという。理由は北端の沖にある人工島に、一族の子供達がいるからだ。親のいる子の帰省も、いない子の長期休暇中の合宿も、人工島に近い方が何かと好都合。よって大多数の名家が一族の本拠地を、人類大陸北端近辺に設けているとの事だった。
また翼さんは言葉を濁していたけど、名家の格が高いほど人工島の近くに住んでいるらしい。名家筆頭の天風五家は最も近いと言える海辺に本拠地があり、三方を山に囲まれた本拠地ではマリンスポーツと、ちょっとした登山を楽しめるという。「半島の先端にある以外は、日本の鎌倉市に似ていると感じるかもしれません」との翼さんの言葉に、神奈川県南部の観光が好きだった俺は期待に胸を膨らませていた。
人工島は東側ほど幼い子が住んでおり、それに合わせて本拠地を構えたからなのか、飛行車は東に向かって飛んでいた。外観も内装も乗り心地もクオリティーがずば抜けて高いこのリムジン型飛行車は、地球の自動車に譬えるなら恐ろしいことに、ベンツのマイバッハでも役者不足な気がする。庶民としては戦慄を禁じ得ないが、曲がりなりにも反重力エンジンの勉強をしている身として、高級感溢れる乗り心地に多大な興味を覚えた。それを的確に察知するのが翼さんなのか、それとも容易く察知されてしまうのが俺なのか判断に迷うが、
「飛行車の乗り心地に興味ありますか?」
そう問われた。「凄くある」と答えた俺は、おそらく子供のように目を輝かせていたのだろう。翼さんは大層苦労して笑いを堪えつつ、予想とはまったく異なる説明をした。
「この飛行車は月軌道のラグランジュポイントと、第二惑星軌道のラグランジュポイントへの単独航行が可能です。有事の際は人工島へ飛び、一族内順位1位から6位までの子供を乗せ、政府の救助を待たずアトランティス星を脱出するよう設計されています。その高性能を、高品質の乗り心地として翔さんは感じているのだと思います」
「だ、第二惑星軌道のラグランジュポイントって・・・・ちょっと待って」
転生して13年も経つとボーデの法則を思い出すのも一苦労だったが、火の星まで科戸色と天文単位の1億5千万キロが辛うじて記憶をかすめ、ついでに内惑星の方がロケットでの到達が困難なことも思い出して、「宇宙を3億キロほど航行できるってこと?」と大雑把に言ってみた。右の眉をピクリと跳ね上げ、翼さんが請う。
「できれば3億キロの根拠を教えてください」「ボーデの法則の0.4、0.7、1.0、1.6と地球と太陽間の平均距離1億5千万キロを辛うじて思い出して、太陽系は太陽と水星と金星に行く方が難しいのも思い出せて、避難所は正三角形を成す軌道上の二点の両方にあったはずだから、大雑把に3億キロって言ってみたんだよ」「前世の翔さんは宇宙関連の仕事をしていたんですか?」「そんな事ないない、しがないサラリーマンだったよ」「・・・冴子さんによると、有休を取ったことが無いって翔さんは漏らしたことがあるそうですね」「どわっ、冴子ちゃん容赦ないな」「私はこれでも個人事業主だったから知っています。会社の役員になると有給休暇が・・・」「あっ! 半島の先端にコの字型の山がある。あれが、天風一族の本拠地かな?」
会話が危ない方へ逸れそうだったので、これ幸いと俺は前方を指さした。人類大陸の北東から、南北5キロ東西20キロの半島が東へ真っすぐ突き出ている。その先端にある、コの字型の山を網膜が捉えた。よってあれが天風一族の本拠地かなと、翼さんに尋ねたんだね。
ただ翼さんの説明にあった「鎌倉市に似ていると感じるかもしれません」には、賛同できなかった。鎌倉は三方を山に囲まれていると言われているけど、それは地図が普及していなかった時代の感覚ではないかと俺は考えている。市内から四方を見渡すと南が海、それ以外の三方が山なのはもちろん事実だ。しかし地図で俯瞰すれば、同種の地形が海沿いに七つほど隣接しているのが見て取れる。その七つの中央にあるならまだしも、鎌倉市は西から数えて二つ目なんだよね。海に隣接する丘陵地帯の西端辺りにあるのが鎌倉市というのが、俺の個人的な見解かな。
半島の大きさを修正しました




