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ちなみに俺と翼さんが最初に案内されたのは、四階のほぼ中央にある会議室だった。会議室のすぐ隣に男女二室ずつの更衣室が計四室続き、次が談話室、そして最も奥まった部屋が備品室になっていた。「体を横たえられる場所はありますか?」と訊かれた小松さんが向かったのは、更衣室を隔てたところにある談話室。ゴロゴロ転がりダラダラ話せるスペースを、部屋の一角に設けているそうなのである。
その談話室に到着した。会議室は掃除が行き届いていたけど他の部屋はどうかな、との危惧はまたもや外れて、清潔かつ広々とした空間が広がっていた。室内の広さは、高校の教室の五割増しといった感じ。その約3分の1がゴロゴロ可なので、ゴロゴロスペースは教室の半分くらいになるだろう。そこへ、
「お邪魔します」
何となくそう声をかけペコリとお辞儀して、足を踏み入れた。琉球畳としか思えないものを敷き詰めた場所に靴を脱いで入るのだから、元日本人の血が疼いてしまったんだね。若林さんと小松さんに「「元日本人あるある~」」と大ウケしていたから、良しとするか。
このゴロゴロスペースは予想以上に好評らしく、争奪戦じみたものが度々勃発するという。よって来年度予算を使い、床の全てをゴロゴロ可にする計画が進行中だそうだ。地球の白人は胡坐すら嫌がることで有名だったけど、この星の人々はあり得ないほど健康だから、平気なのだろうな。その琉球畳に車座になって腰を下ろした皆へ、この場所が必要だった理由を俺は明かした。
「大いなる力は悪用すると、巨大な悪果を生みます。さきほどの訓練にもそれは適用されますから、大いなる力の悪用が巨大な悪果を生む仕組みを説明し、理解してもらわねばなりません。しかしそれには相応の時間が必要であり、そして我々には時間がない。よってこの四人の仲間限定の最後の秘密として、俺が今からテレパシーでそれを三人へ伝えます。テレパシーなんて怪しいものを拒否したい場合は、遠慮せず言ってくださいね」
テレパシーという言葉が耳に届くや、三人は一様に驚いた顔をした。小松さんと翼さんは分かるけど、若林さんがそんなに驚いちゃアカンでしょう。との本音を呑みこんだ俺に、
「「「ぜひお願いします!!」」」
驚き顔を改めた三人が正座に座り直してそう言った。俺は首肯し、脚を崩してくださいと声を掛けてから、テレパシーの送受信と左右の鼻腔の関係について説明した。
「絶対法則ではありませんが、右鼻腔呼吸時にテレパシーを送信しやすく、左鼻腔呼吸時にテレパシーを受信しやすい傾向があります。また送信者は、受信者の左側にいると成功率が上がりますね。という訳で皆さん鼻腔を片方ずつ指で押さえて、空気の通りがよいのはどちらの鼻腔なのかを調べてみてください」
健康状態にある大抵の人は、空気の通りの良い鼻腔が一時間で交代する。右の通りが良い状態、つまり右メインで1時間呼吸したら、次の1時間は左メインになるといった具合だね。皆さんパッと見「右かな?」と感じていたとおり右メインだったので、左メインに変えるべく、体の右側を下にして琉球畳に横たわってもらった。「しばらく何も考えず、リラックスしてください」との指示に皆さん素直に従ってくれたお陰で、3分経たず左メインの呼吸に三人ともなった。若林さんはやはり特に早く、左呼吸がすぐ安定したので瞑目し仰臥してもらった。その左側に正座し、母さんに教わった内容をテレパシーで一気に送る。舞ちゃんにも同種のことを以前したけど舞ちゃんは地球出身ではなかったため、母さんの教えを普遍的な内容に変えねばならなかった。でもこの三人は、みんな地球出身なのでそのまま使える。俺も今はこうして、舞ちゃんの時より容易くテレパシーを送れるようになったしさ。
舞ちゃんがそうだったように、膨大な情報を一気に受け取った若林さんは、瞼を閉じたまま目を見開いた表情になった。笑いそうになったけど、ここで笑ったら信用を失ってしまう。俺は静かに立ち上がり、小松さんへ足を向けた。
小松さんと翼さんにも無事送信できたので、俺は強制右鼻腔呼吸を解き鼻の自由にさせた。舞ちゃんに遅れること5年、左右鼻腔の任意切り替えを俺もやっと習得したんだね。
小松さんと翼さんも若林さん同様、瞼を閉じたまま目を見開いた表情になった。最初は笑いそうになったけど、こうも重なると俄然興味が出てくる。三人がテレパシーの情報を落ち着いて咀嚼できるよう、畳の隅で一人静かにしていた俺は2Dキーボードを出し、俺も同じ表情になったことがあるか美雪に尋ねてみた。すると思いがけず複数回あり、当時の状況を振り返って二人で盛り上がっているうち、またもや思いがけず十分ほどの時間が経過してしまっていた。焦って顔を上げた視界に、2Dキーボードに十指を閃かせる三人の姿が映る。美雪が、種明かしをしてくれた。
『受け取った情報を忘れないよう、皆さん必死になって要点を文字化しているみたい。それを邪魔しないことも兼ねて、翔との想い出話に花を咲かせていたのね』『美雪、いつも助けてくれてありがとう』『どういたしまして。あと、母さんから伝言。「翔の計画に賛成。残り数十秒で要点を書き終えるみたいだから、話しかけてごらん。学校の管理AⅠに頼み、相殺音壁を展開しておくね」ですって』
いつも無償で助けてくれる母さんと美雪には、幾ら感謝してもしきれない。しかししきれないからと言って、感謝の気持ちを伝えることを放棄したら人でなしになってしまう。然るに今回も誠心誠意それを伝え、顔を上げた丁度そのタイミングで、小松さんの十指の動きが止まった。一仕事終えた表情をしているから、母さんが言っていたとおりなのだろう。俺は腰を上げて移動し、小松さんの前に座った。
「小松さん、学校の管理AⅠが相殺音壁を展開してくれています。少し話しませんか?」
もちろんですと応え、小松さんは正座に座り直した。薩摩隼人のイメージのままの、真四角に座るその姿に惚れ惚れしつつ、母さんも賛成してくれた計画を成就すべく行動した。
「連盟を割るしかない状況になったらその先頭に立つが、そうなる寸前まで連盟を割らない努力をする先頭に、自分は立ち続ける。小松さんのこの宣言を聴いた瞬間、ある役職の適任者は小松さんしかないと俺は確信しました。ですがそれは、俺の勝手な思い込みかもしれません。よって、質問させてください。俺の送った情報を、小松さんはどう感じましたか?」
「全面賛同という言葉では到底足りないほど、ありとあらゆる面において賛成します。翔さんのテレパシーは、俺が長年抱えていた疑問を解いてくれたんです」
小松さんは遠い目をして、前世から続く自問の日々について話してくれた。
前世の俺や小松さんの世代は、受験戦争という言葉がまかり通る社会で子供時代を過ごした。小松さんは暗記教育を本当は吐き気を催すほど嫌っていたが非常に怖がりだったため、暗記教育のレールに従って生きた。そして就職し、愕然とした。こんなもののために、俺の人生はあるのではない。その心の叫びは小松さんの精神を崩壊寸前まで追い詰め、小松さんは会社を辞め親兄弟を捨て、全国を放浪した。そして辿り着いたのが、先祖とゆかりのある屋久島。自然と共に暮らす日々は追い詰められた心を癒したが、それでも自らに問いかける日々は終わらなかった。「俺の人生は、現代日本の価値基準を満たすためにはない。ならば、なんのためにあるのか?」 この疑問は年々大きくなり、最終的に肉体をむしばみ、小松さんは四十代の若さで世を去ったそうだ。




