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舞ちゃんが名家の一員だったことをつい最近まで知らなかった理由の一つは、幾年も前から聞いていたことにある。舞ちゃんは「帰省する場所なんて無いから夏休みは寮で過ごすの」と、前々から俺に話していたのだ。正直言うと、深森家の合宿の件で俺は凄まじく悩んだ。何もかも取っ払った理想を言えば、俺が寮にいて舞ちゃんを深森家で合宿させてあげたかった。が、それは無理な話。二番目の理想は俺と舞ちゃんの両方が深森家で合宿することだったが、恋人ではないのでそれも無理。理想の範疇にある最後は深森夫妻と霧島夫妻と俺が同じ組織に属していると舞ちゃんに明かすことで、それのみが現実的に打てる唯一の手だったため悩みに悩むも、俺は結局ヘタレだった。俺が悩んでいる内に、鈴姉さんが舞ちゃんと話を付けたのである。しかもその内容を知らないとくれば、俺は自分を有罪級のヘタレ者と認定せねばならない。という心の丈を鈴姉さんに余すところなく述べ、舞ちゃんをどのように説得したかを教えてもらおうとするも、
「女性の赤裸々話を翔は知りたいの?」
綺麗な年上女性モード100%になった鈴姉さんにそう訊かれ、俺は口ごもってしまった。だが、今回だけは引くわけにはいかない。組織について話したのなら、秘密を暴露した罪を俺も背負う。そう覚悟し俺は詰め寄った。のだけど、
「罪になるような事はしていない、安心しなさい」
母さんと同種の笑みを浮かべた鈴姉さんにそう諭されたら、引き下がるしかなかったのである。言い訳になるが、自分を有罪級のヘタレ者認定するという罰を、俺は自分に課したのだった。
ただ、母さんと同種の笑みを浮かべたことは気になり、それだけは尋ねてみた。するとそれについては鈴姉さん自身も意外だったらしく、「なぜか出来てしまったのだよ、なぜだろう?」と首を傾げていた。そこに誤魔化しは一切なく、それどころかむしろ出会ってから一番素敵な鈴姉さんだったため、俺は真っ赤になってモジモジしてしまった。モジモジを晒したのは恥ずかしかったけど、「弟をドキドキさせたいという想いを満たせたから、しばらく控えようかな」との言質を取れたので、収支は黒字だったと考えている。
いや冷静に思い返したら、しばらく控えようかなと言っていただけだった。どうかこのまま、永遠に控えてくださいますように。
深森夫妻宅で過ごす6泊7日へ、俺は密かに目標を二つ立てていた。一つは7日後に、深森夫妻および霧島夫妻との仲がより深まっていること。そしてもう一つは、直線ダッシュ合宿を成功させることだ。一つ目の目標は、達成できたと断言できる。その最大の功労者は、霧島夫妻として間違いない。なんと達也さんと小鳥姉さんは俺と一緒に、7日間を深森家で過ごしたのだ。
宿泊初日の夕食の席で深森夫妻がバラしたところによると、きっかけは小鳥姉さんが「鈴音だけズルイ」とゴネた事だったという。「私も翔君と一つ屋根の下で暮らしたい」と、駄々をこねたらしいのである。一つ屋根の下って何ですかと最初は苦笑するも、それが小鳥姉さんの本心と解るにつれ目元の湿度が急上昇してしまった。8歳の俺と出会った頃から、小鳥姉さんはずっと思っていたのだそうだ。「翔君の世話をしたい」と。
小鳥姉さんの二人の子供は、どちらも息子さんだった。よって孫は女の子がいいと願っていたところ、念願かない孫娘が生まれた。小鳥姉さんは歓喜するも、4人の孫が全員女の子だったとなると話は違ってくる。息子達が幼かった頃の記憶が蘇って来て、男の子の世話をしたい可愛がりたいという想いが芽生え、肥大化し、それがストレスとして心身に悪影響を及ぼす寸前になったそうだ。しかし丁度そのとき、鈴姉さんの講義に俺が現れた。8歳の俺は猫かわいがりする年齢を過ぎていたが、性格は長男に似て容姿は次男に似ていたこともあり、手を繋いだり頭を撫でたりすることなら違和感なくできた。受講者の女性達もそれに同調したため遠慮がなくなり、講義に出ればストレスを忘れられたが、それは月に一度きりのことでしかない。それに引き換え親友は、こんなふうに可愛がれる子供達100人と暮らしている。なんて羨ましいんだ! との想いが5年かけて凝縮した結果、「羨ましい」が「鈴音だけズルイ」に変化してしまったとの事だったのである。
それでも、仕方ないと自分に言い聞かせていた。親友は孤児達の母親代わりを、12年間してきた。それを創造主が報いてくださったのだ、こんな理不尽な想いを抱いたらダメなんだと、小鳥姉さんは必死になって自分に言い聞かせていた。だが小鳥姉さんの言うところの「生の翔君」とたった二日とはいえ一緒に過ごし、かつ親友宅に6泊することが決まったら、とうとう我慢できなくなってしまった。かくして、声を大にして駄々をこねたのである。私も翔君と一つ屋根の下で暮らしたい、と。
という5年に渡る背景を、小鳥姉さん本人から涙ながらに聞かされたら、俺も涙を流すしかない。俺は小鳥姉さんに礼を述べ、続いて雄哉さんと鈴姉さんに目を合わせてから、小鳥姉さんの願いを叶えられないでしょうかお願いしますと頭を下げた。厳密にはそのとき既に、霧島夫妻が深森家に6泊することを聞いていたのだけど、小鳥姉さんへの感謝を示すにはこれが一番と思えたんだね。それは正しかったらしく、雄哉さんと鈴姉さんがそれぞれの親友に満面の笑みで語り掛けた。
「達也、久しぶりに一緒に鍛えるか」
「小鳥、学生時代に戻って過ごしましょう」
小鳥姉さんは元気よく「うん!」と応え鈴姉さんとキャイキャイはしゃぎ、それは手放しで嬉しかったのだけど、達也さんには困った。雄哉さんに語り掛けられたはずなのに「ウオオッ、翔ありがとう――ッ!」てな具合に、俺に取りすがってギャン泣きしたのである。暑苦しくて困るんですけど、という表情をどうしても消せない俺に、雄哉さんと鈴姉さんと小鳥姉さんは腹を抱えて笑っていたのだった。
翌6日から11日までの午前中、達也さんと雄哉さんも合宿に参加した。二人は無音軽業の訓練に汗を流したのち、白薙を手にゴブリンと戦ったんだね。その様子を見学させてもらった結果、驚くべきことが発覚した。なんと雄哉さんが、達也さんに匹敵するほど強かったのである。
達也さんが強いのは、解る。戦士試験を3位差で逃した達也さんは山岳戦のエキスパートとして軍に在籍し、有事の際は山岳部隊の指揮官を務めることになっている。よって訓練を怠らず、しかも怠らなかった日々は40年を超えるため、美雪によると現時点の戦闘力は戦士試験の中位合格者に並ぶらしい。「同学年1千万人の上位125万人が、戦士試験に合格する。霧島教官の現時点の戦闘力は、試験時の60万台に相当する」とのことだったのだ。戦士試験は20歳で行われ、俺は13歳。しかも戦闘順位は150万台なのだから、達也さんは俺の10倍以上強いといったところだろう。このように達也さんは山岳部隊の指揮官なため強くて当然なのだけど、雄哉さんは謎すぎる。学校卒業後は建設ロボット関連の開発者として40年以上働いてきた雄哉さんが、なぜこうも強いのか? 雄哉さんのゴブリン戦を精査した美雪が「80万台は確実と思う」と感嘆したほどだったのである。が、
「雄哉は、ああいう奴なんだよ」




