20
待たせたら悪いとの想いが逸り、瞼を下ろしたまま高速思考の結果を述べてしまった。慌てて目を開けたところ、2Dキーボードに十指を走らせる達也さんが視界の左端に映った。ここは雄哉さんの家なので、右隣に雄哉さんが座っているんだね。
「教官権限で学校のAⅠにシミュレーションを頼んだ。翔は慢心に遠い男だから、AⅠの絶賛を告げて良いだろう。『輝力関連の合宿と定めたことと、最長合宿期間を2週間と算出したことに感服しました。2週間という期間は、私のシミュレーションと完全一致します』だそうだ。翔、よかったな」
達也さん以外の三人にも「「「よかったな~」」」と声を揃えてもらい、照れてしまった。そんな俺の背中を達也さんと雄哉さんがビシバシ叩き、その様子に鈴姉さんと小鳥姉さんが花の笑みを振りまく。という場にいた俺は、照れるやら嬉しいやらで舞い上がっていた。その舞い上がった心に、寂しさを必死で押さえた鈴姉さんの声が届いた。
「のんびりした時間を心ゆくまで味わったり、図書館の本や映像作品を気の向くまま楽しんだりといった、長期休暇にしかできないこともあると思う。だから翔には、それを優先してもらいたい。でもそれを優先したうえで日数が残っているなら、ほんの数日でもいいからここに泊まりに来て欲しい。つい数か月前まで100人の子供達と12年も暮らしてきたからか、寂しさに胸を締めつけられる瞬間が稀にある。翔とこうして過ごす時間はその瞬間を、遠ざけてくれるのだよ。翔、どうかな?」
「もちろんです。鈴姉さんの役に立てることが俺にあるなら、それを全力でするのみですからね。と同時に、鈴姉さんの言葉にも甘えさせてもらいます。元日本人の俺は、図書館が所蔵している漫画やアニメが気になって仕方ありません。だから夏休みの始めの3日と最後の3日をそれに充て、それ以外の4日間をお邪魔させて・・・・ヒエエッッ!!」
鈴姉さんは当初、寂しさを必死で押さえる表情をしていた。しかし「それを全力でするのみ」で笑顔になり、「甘えさせてもらいます」を機に笑みは極上になるも、「それ以外の4日間をお邪魔させて」で急転した。怒りの表情のみならず、ブリザードの如き極低温の嵐を全身から放ち始めたのである。救いの眼差しを小鳥姉さんへ咄嗟に向けるも「諦めなさい」と小声で言われ、次いで両隣へ顔を向けたら光の速さで顔をそむけられた。いやあの気持ちはわかりますが、雄哉さんあなた鈴姉さんの夫でしょう!! しかし、
「翔」
氷の女王陛下と化した鈴姉さんに名を呼ばれた俺にできたのは、自分をカチンコチンの氷像にしない事だけだったのである。
「ひゃい、しゅじゅ姉さん」「・・・可愛く噛んだのは加点しましょう。しかしその程度で、私の怒りは収まらない。わかりますね?」「はい、わかります!」「よろしい。では、翔の罪を列挙します。一つ、合宿の最長期間が夏休みより4日も長いことを私は喜んだのに、それは糠喜びでしかなかったこと。二つ、甘えさせてもらうという言葉を耳にし、弟に甘えてもらえる姉になれた気がしたのに、詐欺だったこと。三つ、役に立てることがあるなら全力でするという主張が嘘八百だったことを、三泊四日という少なすぎる宿泊数で証明したこと。以上三つが翔の罪です。反論ありますか?」
ございません、と俺は項垂れた。こんなダメダメな俺をこうも好きでいてくれる人に、俺はなんて酷いことをしてしまったのか。その罪悪感に、押しつぶされたのである。
鈴姉さんはその後、地球時代の弟の話をした。寮生活をしていた弟が夏休みになるなり帰って来て、リビングでゴロゴロするだけの毎日を過ごしていた。そんな弟の世話を母と自分は最初こそ喜んでしていたが次第にイライラしてきて、「あんた少しは出かけなさいよ」「うるせえ俺は家でゆっくりしたいんだ」系の姉弟喧嘩を度々した。なので学校に戻る弟を玄関で見送った時はせいせいしたのに、弟のいないリビングの静けさに気づくや、母と一緒に涙を流してしまった。という地球時代の姉弟の話を、鈴姉さんはしたのだ。俺は申し訳なさすぎ、いっそう項垂れた。なぜなら俺はそんな振る舞いを、天地がひっくり返ってもできない。そういう本物の姉弟のやり取りを俺は鈴姉さんと・・・・
「コラ翔、勘違いしないの。この星に、類似する家族はまずいない。大学生になって初めて息子が家を出て、かつ女は専業主婦になるのが当たり前の社会じゃないと、こういう家族は生まれないのよ。アトランティス人は3歳の入寮は拒否できても、7歳の入寮拒否は事実上不可能だからね」
確かにそうだと思うも、ならばなぜ鈴姉さんは今の話をしたのか? それが分からず顔を上げた俺の目に、本物の姉としか思えない愛情あふれる鈴姉さんが飛び込んできた。焦るやら申し訳ないやら嬉しいやらでアタフタする俺にププッと噴き出し、鈴姉さんは胸中を吐露した。
「地球の弟の振る舞いを翔ができないように、地球時代の姉の振る舞いを私もできない。その証拠に私は息子や娘にも、地球時代とは異なる母として接していた。孤児院で一度だけ話したのを覚えているかな? 息子と本音トークをしたことが、私にはないのだよ」
はい覚えています、と応えた俺が俯いていなかったことを鈴姉さんは喜んだ。俯きが直ったというたったそれだけの事をこんなにも喜んでくれるこの人は、血が繋がってなくてもやはり姉なんだな。
「この星では本音トークの有無や頻度は、家族の親密度を測る基準にならない。基準は家族としての愛情の深さにあり、そして非常に重要なのが『愛情表現は各自にゆだねられている』ということだ。『各自にゆだねられている』の箇所は、この星に元日本人の転生者が少ない主理由だな」
「同意です。自由と自己中を区別できる人が一割にも満たないのが、日本人ですから」
日本人は礼儀正しいという世界的な評価は、自由と自己中を区別できない日本人の国民性を良い方に解釈してもらったにすぎない。自分で考え自分で決断し自分で行動することを長年続けて初めて日本人は自由を理解することができ、そしてその理解のお陰で、自由と自己中の区別をやっと付けられるようになる。それを成した人が一割未満しかいないのだから転生者が少ないのも頷けるし、いやひょっとすると!
「鈴姉さん、入寮しない保育園児には元日本人の子供が、大勢いるんですか?」
「うむ、いる。ただでさえ転生者が少ないのに、転生しても九割以上が3歳の入寮を拒否する。次こそはと誓いまたこの星に生まれても同じことを繰り返し、十代を絶望してすごす。そういう子ばかりを私は見てきたよ。翔や若林君は、非常に稀有な例だな」




