一章 3歳~6歳、1
最初の記憶は、大勢の子供達と一緒に遊んでいる記憶だった。年齢は2歳と10カ月、場所は孤児院。そう俺は前世に続き今生でも、親を持たぬ孤児として生まれていたのだ。
もっとも、この世界の俺の世代にとって、孤児はまったく珍しくない。100年ごとに繰り返される闇族との戦争を終えたのが、俺の生まれた年の2年後。俺の両親はどちらも戦士として戦場へ赴き、命を散らしていたのである。
この世界の人類は、平均寿命125歳。ただし20歳から110歳までの90年間、まったく老化しない特性を持っていた。戦士として最も脂がのるのも100歳以降とされ、次の戦争をその年齢で迎える俺達の世代は、黄金世代と呼ばれていた。
その黄金世代に、最初の節目がやって来た。それは、スキル調査の日。すべての子供が3歳の4月1日に、どのようなスキルを持って生れて来たかを調査する日。その日が、やって来たのである。この3歳は誕生日を0歳とする数え年なのだがそれは脇に置いて、俺が前世の記憶を取り戻したのは、その日の前日だった。異世界転生小説では出生すぐから意識があり、赤子のころから鍛錬を開始するものが多い。しかし俺に、それは適用されなかったようだ。
とはいえ、3歳にして50歳の知見を得たのはやはりチートと言えよう。訳も分からずそこら中を走り回る他の3歳児をよそに、俺は冷静な精神でもってスキル調査に臨んでいた。その精神が、思わず苦笑を漏らした。この世界における三大有用スキルを、大人達の会話から知ったのだ。その三大スキルは、輝力量、輝力操作、剣術適正の三つ。そう俺が選ばなかった勇者級のスキルこそが、最も価値のあるスキルだったのである。
保有するスキルによって、子供達は9段階に分けられる。大きな上中下のそれぞれに小さな上中下を設け、上の上たる9が最高で下の下たる1が最低の9段階に、子供達を振り分けるのだ。大きな水晶に触れた後に俺が振り分けられたのは、下の上たる3。有用な戦闘スキルは皆無だが健康な体が評価され、下の中では最上という事になったらしい。ただ、
「この調査で判明するのはスキル名のみ、スキルの等級までは判らぬようだ」
大人達に聞こえぬよう、俺は小さく呟いた。技術的に不可能なのか、もしくは素質の有無さえ判ればそれを伸ばす教育システムが確立しているのかは定かでないが、等級を判断材料にしていないのは間違いないのだろう。目立つことを面倒がる俺にとっては、そちらの方がありがたいので良しとするか。
戦士になるための訓練は、スキル調査の翌日から始まった。それは50歳の知見を持つ俺にとって、戦慄すべき規模を誇る訓練だった。子供一人一人に1ヘクタールの土地と教育係の量子AIを用意し、それぞれに合った訓練を施すという破格の好待遇だったのである。もちろん量子AIは分身にすぎず、一人一台ではなかったがな。
俺に割り振られたのは、孤児院から最も遠い1ヘクタール。俺の3という評価は、孤児院の同年齢100人の中で最低だったのだろう。
1ヘクタールは、一辺100メートルの正方形と同面積。子供に割り振られる100メートルの正方形は高さ3メートルの壁に囲まれ、壁の上部は幅3メートルの通路になっていた。それを1000メートル四方に100個作れば、孤児院の100人にちょうど割り振れる。繰り返すが俺に割り振られたのは、孤児院から最も遠い1ヘクタール。よって訓練開始日、俺は2000メートル歩いて自分の場所にやって来た。そのときは、これが毎日繰り返されるのかとウンザリしたものだが、それは大外れだった。その日から4年間、俺は自分の1ヘクタールの中に留まり続けたのである。
「空翔君、始めまして。あなたを担当する量子AIの、美雪です。これからヨロシクね」
今更だが、俺の名前は空翔。容姿は、黒髪黒目のエルフといったところ。日本人の名前やメートル法がこの世界で用いられている理由は、おいおい解ってゆくのだろう。
量子AIの美雪は、実体のない3D映像。前世の俺が亡くなった西暦2023年の地球では夢物語でしかない、感情と表情の豊かな量子AIだった。
「翔君、カートが運んできた白い剣を手に取ってみて。
その剣の名前は、白薙。実際の戦争では透明な水薙を使うけど、透明な剣はまだ危ないから、剣身の白いそれを使ってね」
白薙を手に取る。大きさは柄が25センチ、剣身が60センチの、全長85センチいったところだろう。3歳の訓練用だからか異様に軽く、卵一個分の50グラムほどしかないみたいだった。
「人類の敵の闇人は、力任せに白薙を振っても決して斬れない。技術でのみ、斬ることができるの。3歳の翔君には、まだ難しいでしょうけどね」
美雪が舌先をちょこんと出し、はにかんだ。美雪の容姿は、前世の中学2年生くらいだろうか。黒髪ロングのいかにもな美少女だが、俺は3歳。肉体年齢に引っ張られるのか「優しくて綺麗なお姉さんだな」という子供らしい想い以外、特別な感情は一切芽生えなかった。
「さて翔君、まずは白薙を自由に振ってみて」
前世の剣道経験は、小学校の体育のみ。それでも日本人を半世紀もしていれば、基本くらいは知識として入って来るもの。それにしたがい、雑巾を絞るように柄を握って腰を落とそうとしたが、
「・・・腰を落とす必要はないか」
そう独りごち、膝を曲げずに立った。その瞬間、健康スキル(神話級)の一端が顔をのぞかせた。俺は五感が、凄まじく鋭敏らしい。視力や聴力が低いことを不健康と呼ぶかは諸説あるにせよ、神話級などというぶっ飛んだ等級の場合は、視力も聴力も神話級に良くて当然らしいのだ。そして今回、五感のうちの触覚が大いに働いてくれた。柄を握る掌の感覚だけで、柄の正しい握り方が自ずと解った。左右の足にかかる体重の比率だけで、白薙を構えたときの正しい立ち方も解った。体の各部の無駄な力みも、姿勢の歪みも、呼吸に伴う体の揺れも、神話級の触覚がすべて教えてくれたのである。
俺はそれから一時間、ただ立ち続けた。もちろんここでも神話級が働き、疲労はまったく覚えなかった。そして生まれて初めて白薙を構えた3歳児にしては、まあまあの立ち姿を獲得したまさにその時、この世界における俺の適性の高さが顔をのぞかせた。
「輝力操作は剣術に、どう作用するのだろうか?」
俺は前世の経験にしたがい、松果体の振動数を上げて流入するエネルギーを増やしてみる。この体は地球人より、松果体との親和性が高いらしい。流入したエネルギー、つまり輝力が全身に運ばれていく様子を明瞭に感じることが出来た。ならば全身を満たすこの輝力を、どうすれば剣術に活かせるのか? ピンと閃くものがあった。神経を使って体を動かすのではなく、輝力を使って体を動かしてみようと閃いたのだ。
仮に、神経の伝達速度より輝力の伝達速度の方が速かった場合、輝力を介して体を動かした方が素早く動けるはず。筋肉も、血液で酸素と栄養を運ぶより輝力で活力を直接取り戻した方が、疲労回復は早いように感じる。これらの正誤は解らずとも、試す価値と時間ならあると思う。なんせ俺はまだ3歳、それに次の戦争まで、まだ100年近くあるのだから。
という訳で、さっそくそれを試してみた。中段に構えた白薙を振りかぶり、一歩踏み出しつつ振り下ろす。この基本動作を、神経ではなく輝力を使って成してみようと試みたのだ。結果は、惨敗。輝力は感じられても、輝力によって肉体も動くという感覚を、どうしても得られなかったのである。
でもまあ、今は訓練初日の午前中。あの白い世界で輝力操作や剣術適正のスキルを選ばなかったのに、試した途端それを習得してしまいましたなんて事、なくて当然というもの。俺は気を取り直し、再び挑戦してみた。言うまでもなくまたもや惨敗するも、そんなの当たり前。俺は幾度失敗しても決して音を上げず、挑戦を続けた。ひょっとすると、これにも神話級の健康スキルが関与していたのかもしれない。一度きりの失敗でやる気を消失し、二度と挑戦しないなんて心理状態は、不健康な気がするからな。