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数字を少しイジリました<(_ _)>
翠玉市のスポーツセンターは予想より遠く、かつ予想より遥かに広かった。理由は、3歳で親元を離れなかった子供達の訓練場も併設しているからだ。驚くべき事にこのスポーツセンターだけで、6万人の子供達が訓練しているという。もっともその子たちの訓練場は通常の6%ちょいに当たる25メートル四方しかなく、地下10階地上40階のビルに2400人も押し込められているらしい。それでもビルが25棟もあるので、山手線の内側の約三割にあたる20平方キロもの広さのスポーツセンターに、なっていたのである。
ちなみに同種のビルは人類大陸の全土に、約2500棟あるとの事だった。現在こそ議論されていないが、幅250メートル奥行き250メートル地下と地上合わせて高さ250メートルの巨大ビルが7500棟あっても、戦士に育った子供は未だかつて一人もいないらしい。戦争に負けたら人類絶滅を避けられないのにこれほどの施設を用意する必要があるのかと、以前は是非を盛んに問われていたそうだ。それが差別を助長したため今は議論を法的に禁止しているが、人の心の中に法律は及ばない。「ここに通った子たちは、肩身の狭い想いを一生しなければならない」「厳しいけど、それが現実ね」 そう呟き、鈴姉さんと小鳥姉さんは飛行車を降りた。
俺達が降りたのはビルエリアと対を成す、一般客エリア。面積はどちらも同じ10平方キロだけど、一般エリアには二階建ての建物がそこかしこにあるのみで、それ以外は土のグラウンドと緑豊かな小公園がひたすら広がっているだけだった。10平方キロに九棟しかない建物の一階はプール、二階は更衣室と食事休憩室なのはどこも共通しているという。ただプールは三種類あり、本格的な競泳用プールと、遊園地的なレジャープールと、南国の海岸を模したリゾートプールが、建物によって分かれているそうだ。競泳用プールはともかくレジャープールとリゾートプールは戦士養成学校の生徒も楽しめそうだが、もっと豪華なプールが市中心の歓楽街にあるため、ここはもっぱら市民の憩いの場になっているとの事だった。「もちろん利用禁止なんてことはないから、翔も入れるよ」「私達の水着姿を見たいなら、恥ずかしがらず正直に言ってね翔君」「おねがいです、お願いですから、どうか勘弁してください~~」「「アハハハ~~」」 俺はこのとき前世と今生を合わせて初めて、美女二人と仲が良いのも考えものだなあという想定外にも程がある考えを、胸に抱いたのだった。
けどまあ、それはさて置き。
「競泳用プール、盛況ですね。アトランティス人は泳ぐのが好きなのかな?」「ん? 翔は知らないのか?」「闇族は水に浮かないの。だから水関連のレジャーは人類の証のように捉えられ、親しまれているのよ」「ええっ、そうだったんですか?!」
3歳から7歳まで引きこもっていた弊害がこんな一般常識にまで及んでいたことを知り、俺は少なからずショックを受けた。そんな俺を励ますように明るい声で二人が教えてくれたところによると、脂肪の比重が0.9なのは人と闇人に差はないが、筋肉と骨の比重は異なるという。筋肉は人の五割増しの1.6、骨に至っては二倍の4.0もあるらしい。よって水に浮かず、南極近海の海が凍る冬に氷の上を歩いて人類大陸に攻め入って来るとのことだった。
「闇族の闇のオーラには、化学作用を不活発にする作用がある。闇族の数が増えると気温と海水温が下がり、南極の氷が厚く広大になる」「1億超えの闇族が歩いても、平気になるのね」「ただオーク以上の闇族は、水上を走る身体能力を有している。だから移動中の氷を溶かすと闇族の進撃ルートが複雑になり、下手をすると人類軍が各個撃破されかねない」「気象コントロールで氷を溶かし闇軍を溺れさせる作戦を実行できないのは、そういうことね」「そう言えば翔は、地球の月では地球人も水の上を走れるって知っているかな?」「まったく知りませんでした。6分の1しかない重力が影響しているとか?」「うん正解。翔君なら月じゃなくても、水の上をそのうち楽々走れるよ」「小鳥姉さん、それって冗談じゃなくマジですか?」「あら? 翔君って、人類軍についてあまり興味が無いのかな?」「いや翔は、社会全般への興味がうすい。元保育士として、責任を感じてしまうよ」「えっとその、お二人ともごめんなさい・・・・」
鈴姉さんと小鳥姉さんは俺を励ましてくれたのに、結局俺は己の残念っぷりに自滅することとなった。こりゃヤバイと思ったのかお二人は俺の背中を押し、建物の二階に連れて行く。休憩室と食事室を兼ねる、居心地の良い広々とした空間が階段の先に広がっていた。その一角に図書館的な気配のする場所があり、二人はそこへ俺を連れて行こうとしているらしい。「翔君、戦士養成学校の学生証をすぐ提示できるようにしておいて」「はい、小鳥姉さん了解です」 国民共通のIDではなく学生証なのはなぜかな、と疑問を一切抱かなかったことを危ぶんだのだろうか、それとも喜んだのだろうか。小鳥姉さんは保護者の表情で、俺の頭をポンポンした。
よくよく考えてみると、癒し系の面持ちをした女性は俺の周囲に小鳥姉さんしかいない。美雪は可愛いより綺麗の印象が強いし、冴子ちゃんは見るからに切れ者だし、母さんは隔絶した女神様だし、鈴姉さんは可愛い要素の最も少ない綺麗系美女だし、舞ちゃんはどちらかというと切れ者の印象なのになぜか庇護欲を覚え、それを巧く隠さねばと心の隅でいつも考えている感じだ。対して小鳥姉さんは、可愛い要素の最も多い美人と言える。今日の桜色のニットと白のキュロットと紐がピンクの白いスニーカーも、可愛さ百点満点だ。それでいてこんなふうに頭をポンポンされると、大人の女性の印象が際立つ。いやひょっとすると俺にとって、大人のイメージが一番強いのは小鳥姉さんなのかもしれない。けどそれって、なぜなのかな? 的な考察をしているのがバレぬよう、頭の隅でこっそり考えていたつもりだったが、つもりでしかなかったみたいだ。
「鈴音どうしよう。翔君も私を、可愛いけど放っておいていい女って思っているみたい」「前世は会社の全責任を背負う女社長、今生も売り上げの要のレシピ担当者。翔は社会への興味は薄くても人を見る目はあるから、小鳥の自立心の強さを感じ取っているのでしょうね」「私としては騎士様に守ってもらえるお姫様的な立ち位置に、憧れているんだけどな」「自分にないものへ憧れを抱くのが、人なの。小鳥、諦めなさい」「ひ、酷い! 翔君、鈴音が酷いことを言うの」「助けを求められたらもちろん全力で助けますが、背中に庇って俺が矢面に立つのではなく、肩を並べて敵に突撃するイメージが先立つのはなぜなのでしょうか? 小鳥姉さんは、こんなに可愛いのに」「う、うっ、うわ~~ん!!」
嘘泣きであろうと泣いている女性を放っておけないと思うと同時に、放っておいても全く問題なさげなイメージの強いこの人を、俺はどうすればいいのだろう。小鳥姉さんにも達也さんにもお世話になっているから、放っておけない演技を一応しますか。との結論を得てヨシヨシしつつ歩いたところ、嘘泣きによる時間のロス無しで目的地に着くことが出来た。こんなに可愛い奥さんがいるのに達也さんが二カ月に一度しか帰宅しない理由を、肌で感じた気がした俺なのだった。
でもまあ、再度それはさて置き。
「翔、この機械のここに学生証をかざしなさい。そうすれば、翠玉市が市内在住者用に所蔵している書籍と映像作品のすべてを、翔も閲覧可能になる。国民IDでも手続きはできるが音声ガイダンスが必須になるから、簡単なのは断然学生証だ」
なんせかざすだけだからな、との言葉に従ったところ、左手首のメディカルバンドで翠玉市所蔵の書籍と映像作品がいつでも呼び出し可能になった。書籍一覧に漫画を、映像作品一覧にアニメを見つけた俺が、跳び上がって喜んだのは言うまでもない。あまりにも嬉しかったのでヨシヨシを完璧に忘れて小鳥姉さんを放置することになったが、優しいのかお人よしなのか小鳥姉さんも俺と一緒に喜んでくれたため、放置の件はうやむやになった。さすがにちょっぴり可哀そうになり、放っておかぬ演技を一段上げることを、俺は胸の中で緩やかに誓ったのだった。




