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一か月後の7月1の翠玉市観光は、大成功の一言に尽きた。
日本の青森ほどの緯度にあるからだろう、7月初日の翠玉市は夏の気配を楽しみつつも夏の暑さに苦しまなくていいという、まこと素晴らしい気候だった。日差しに夏を感じても木陰にいれば十分涼しく、その木陰のお洒落なベンチに座って待っていた舞ちゃんに、勇は一瞬で恋に落ちた。幸いこちらに気づくまで間があったため勇を落ち着かせ、少なくとも挙動不審ではなくなってから初対面の挨拶をさせたところ、勇の底力を俺は知った。勇は本番に、メチャクチャ強い男だったのだ。俺が知っている限り最も好男子になった勇は爽やかの見本の如く舞ちゃんに挨拶し、その後も爽やかな紳士として舞ちゃんに接し、そして地球レストランで最高のギャップ男になった。今回初めて知ったのだけど勇はブラジル出身だったらしく、豪快な肉料理のシュラスコと、カレーに似た煮込み料理のムケッカと、牛テールとジャガイモのハバーダに、滂沱の涙を流していた。それはもらい泣きせずにはいられない純真な涙であり、純真ゆえに声を出して泣きたい気持ちが見ているだけで明瞭に伝わって来るのに、周囲の人達の迷惑にならぬよう勇は口を必死で閉じようとする。そんな涙を、勇は流したのだ。もちろん舞ちゃんはもらい泣きし、勇にハンカチを渡して背中を撫でていた。勇は感極まり、故郷を思い出させてくれた料理と舞ちゃんの優しさへ、無限の感謝を捧げていた。その際は爽やか紳士へ立ち戻るのに、料理を一口食べるや再び滂沱の涙を流し、しかしそのせいで食卓が暗くならぬよう自分をネタに笑いを取ろうとする。そんな「お前マジスゲーな!」と心の中で大絶賛せずにはいられない好男子を、勇は舞ちゃんに見せたんだね。実際、
「勇君、いい人ね。友達になれて良かった」
勇が雉撃ちに、つまりトイレに行っているさい、舞ちゃんは虚飾のない笑顔でそう言っていた。「それもこれも三人の観光を、舞ちゃんが承諾してくれたからだ。ありがとう」 そう頭を下げた俺に、舞ちゃんはエヘヘと照れていた。ただその時は、次も三人で来ようね系の言葉が耳に届くことは無く、鈴姉さんに相談せねばと俺は胸の中で考えていた。
そうそう、舞ちゃんも地球レストランをいたく気に入ってくれた。舞ちゃんの食の好みを鈴姉さんが小鳥姉さんに伝え、そして小鳥姉さんの選んだ兎のシチューが大正解だったのである。俺と勇の地球話に釣られて舞ちゃんも故郷の星と前世の職業をほんの少し話してくれたところによると、地球に譬えるなら舞ちゃんは、「そこまで寒くないタイガの広がる土地で生涯を過ごした弦楽器奏者」になるだろう。数千キロ先まで続く針葉樹林にバイオリンの音を響かせるような、森のエルフを想起させる女性だったのである。非常に興味深かったのが、
「この曲、好きかも」
と舞ちゃんが地球レストランで呟いた曲のすべてが、ロシア人作曲家の作品だったこと。特にラフマニノフのピアノ協奏曲二番とボロディンの「中央アジアの平原にて」は感銘を受けたらしく、故郷の森や草原が脳裏に浮かんだのか、閉じた瞼から幾筋もの涙を流していた。実を言うと前世の俺はサントリーホールと東京オペラシティコンサートホールの会員になるほどの大のクラシック好きだったが、勇のために黙っておいた。寮に帰ったら勇に、ロシア人作曲家の手ほどきをしてみようかな。
それにしても、サンバの国の格闘家と森のエルフの弦楽器奏者か。レストランで掛かっていたクラシック音楽を勇が何一つ知らなかったことを考慮すると、こっち方面で双方の距離を縮めようとするのは、得策ではないのかもしれないな・・・・
距離を縮めるといえば、勇の切り出した5時間走の話題は大正解だった。舞ちゃんと勇の会話が、非常に弾んでいたのだ。特に舞ちゃんの「次の合宿で1千キロ走に合格するつもり」発言に、
「翔、俺も次で5時間走と1千キロに合格させろ――ッ!!」
と叫んだ勇が俺の胸倉に掴みかかったのは爆笑を誘い、そのあと二人は熱心に話し込んでいた。俺が二人に言った「輝力の防風壁の構築等を二人はほぼ同時に始めているから、インスピレーションを互いに得られるんじゃないかな」が大当たりし、本当に多数得られたみたいなのである。またそれが一段落した後の、
「舞ちゃん、勇の剣術の巧みさは学年屈指だと思うよ」
も、二人の会話を大いに弾ませた。舞ちゃんが自分の戦闘映像を勇に見せ、剣術スキルの長期訓練計画のアドバイスをもらう程だったのだ。「勇君と友達になれて幸運だった、これからもヨロシクね!」との舞ちゃんの笑顔を見たさい、閃いた。観光ではなく、剣術スキルを始めとする合同訓練なら、休日を三人で頻繁に過ごせるんじゃないかな、と。
舞ちゃんの写真を勇にあげる件も、めでたく解決した。と言っても、写真をあげる可否を舞ちゃんに尋ねたのではない。「今日の記念に三人で写真を撮らない?」との提案に「いいね!」と舞ちゃんが賛成したので、その写真と一緒に件の写真を勇が持っていても不自然ではないのではないかと、男二人で勝手に判断したのである。不誠実な気配が幾分するけど、スケベな目的に絶対使わないことと、もっと仲良くなったら写真の所持を正直に打ち明けることを勇は誓ったので、共犯者になることを俺は了承したんだね。勇と二人で舞ちゃんに謝る日が、早く来ますように。
写真撮影の後は絶叫マシンを梯子した。輝力に秀でたアトランティス人でもジェットコースター等を楽しめるのか懐疑的だったが、それは間違いもいいとこだった。落下の恐怖を演出するのが、この星の人達はべらぼうに巧かったのである。3D映像技術も発達しているため、足場を失い谷底へまっしぐら系のアトラクションの恐怖が、マジ半端なかったのだ。反重力エンジンが安価で普及しているのも、本物の恐怖を味わわせることに一役買っていたと言える。最恐と名高いアトラクションでは吊り橋が実際に崩壊し、命綱なしで空中に放り出されるという本物の自由落下にさらされたのち、貸与された反重力装置が作動して軟着陸するという、小便をチビル寸前の経験をさせてもらった。吊り橋の下はプールになっているから反重力装置が作動しなくても死ななかったはずだし、作動しなかった例も皆無だそうだけど、「このアトラクションだけは二度とごめんだ」と俺達三人は顔を真っ青にして呟いたものだった。
そうこうするうち午後3時半になり、観光はお開きになった。早い時間のバスで寮に帰らなかった非カップルは、カップル達のピンクオーラで溺死すると戦士養成学校では語り継がれている。休日夕刻の広場の様子から溺死が決して冗談ではない気がしてならなかった俺達は、最終の二つ前のバスに乗るべくバス停に向かった。その道中、9月の強制休日は三人で合同訓練をすることを提案してみたところ、
「「賛成!!」」
勇と舞ちゃんは即座に賛成してくれた。それ以降は合同訓練の内容で盛り上がり、お陰で寂しい想いをせずに済んだ。その代わり舞ちゃんと別れて舞ちゃんの姿が見えなくなった途端「俺、歩けそうにない」と勇が言い出し、冗談ではなく道にうずくまってしまい、俺は何気に苦労したのだった。




