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 リビングに戻った雄哉さんが足を向けたのは、つい数分前まで使っていたキッチンに隣接するテーブルではなかった。庭を望む窓辺に置かれた、床に直接座るタイプのテーブルだったのだ。夕暮れの風が、レースのカーテンを揺らしている。胡坐あぐらをかいて床に座った俺の鼻腔に、ほのかな花の香りが届いた。


「床に直接座る文化はこの星にあまりないけど、鈴音はここをとても気に入っていてね。こんなふうに花の香る風に吹かれながら、孤児院の話を沢山してくれたよ。といっても内訳は、翔君のいた孤児院が99%。通いも含めると保育士を36年間していたのに、こういう心地よい環境で鈴音が無意識に口ずさむのは、最後の6年間の記憶なんだね」


 素晴らしい6年間を妻にありがとう、雄哉さんはそう言って頭を下げた。俺は正座に座り直し、感謝するのは俺たち100人の孤児こそですとテーブルに額をこすりつける。達也さんの「こうしていると、車座になって仲間達と語り合った日々を、思い出すな」との言葉が、胸に深く染み込んでいった。

 その後、この場所に腰を下ろした主目的に繋がるはずの問いを雄哉さんにした。「鈴姉さんはなぜこうも、俺を可愛がってくれるのでしょうか」 雄哉さんはそれへ「翔君なら俺の次の言葉を察している気がするけど、どうかな?」といたずら小僧の笑みを浮かべる。「俺の推測を最初に聞きたい、ですか?」「うん、さすがだね」「かしこまりました。では述べます」 思い描いていたとおりのやり取りを経て、俺は目的へ一歩を踏み出した。


「孤児は最初の孤児院の保育士さんに、母親に抱く愛情を直接届けます。しかし試験後に過ごす新しい孤児院では、そうもいきません。3歳から一緒に過ごしたママ先生のようにはいかず、最後の一歩をどうしても踏み込めない関係に、7歳以降の孤児はなるのです。それを、優しく温かな心の保育士さんが、酌まない訳がない。最後の一歩を踏み込んでこない孤児の胸中を第一に考え、自分から踏み込むのも半歩に留めてくれるんですね。子供の精神年齢では不可能なその半歩の歩み寄りに、孤児は無限の愛を感じる。そうすることで、親の愛情をたっぷり受けた子供と遜色ない子供に、孤児はなるのです」


 前世の俺が育った地球の孤児院とは似ても似つかないが、今は不要なこと。俺はそれを呑みこみ、話を続けた。


「朝から晩まで一緒にいる100人の子供たち全員に的確なタイミングで半歩踏み込むのは、容易なはずありません。だからそれを良い意味で意識しなくていい子は、少し違った関係になると思います。自分で言うのもなんですが、その『良い意味で意識しなくていい』が俺は群を抜いていたのでしょう。精神年齢が高かったのもさることながら、ひ孫弟子候補の講義の生徒に遠からずなると、我が師に教えられていたからです。ひ孫弟子候補になる前から、俺は鈴姉さんを同士のように感じていました。俺と二人でいる時の鈴姉さんは普段より気安さが増し、ストレスをあまり覚えず振舞っているような気がして、俺は嬉しかった。鈴姉さんもそれにもちろん気づき、俺を嬉しがらせるためにも気安さを徐々に上げていき、そして俺がひ孫弟子候補になったとき、鈴姉さんはある意味俺を頼るようになったのだと思います。子供達を本当は心ゆくまで可愛がりたいのに、それを我慢しなければならないストレスを発散する相手として、俺を頼った。俺はそう考えています。前世も今生も親の記憶のない俺にとって、それは嬉しいことでした。また鈴姉さんに頼られることを、俺はママ先生への恩返しのように感じていました。俺は最初の孤児院で、ママ先生に恩知らずも甚だしいことをしていましたからね」

「うん、鈴音から聞いているよ。四年間一度も孤児院に帰らず、連絡すらしなかったそうだね」

「ヒエエッ、ホントごめんなさい~~」


 平伏した俺の後頭部に、「ママ先生が亡くなる際の話も聴いているよ」と柔らかな声がかかった。身を起こした俺に、これ以降は俺が引き継ごう、と雄哉さんは微笑む。そして俺では知り得なかった鈴姉さんの胸中を、雄哉さんは話していった。

 鈴姉さんは、自分の方が間違っている可能性を決して忘れぬよう心掛けて生きてきたという。だが舞ちゃんと俺の関係について間違うどころか、未熟極まりない意見しか持っていなかったことを思い知らされた鈴姉さんは、生まれ変わったつもりになって自分の半生を振り返った。そのお陰で価値ある様々なことに気づき、それが俺への感謝になり、気の置けない度合いが更に増し弟のように感じていたある日、鈴姉さんはまた間違えた。「男の純情を汚さないでください」との言葉を、真正面から放たれたのである。放たれてようやく、眼前の少年がただただ純粋に自分を慕い、自分を大切に思い、自分の幸せを願っていることを悟った鈴姉さんは、過去二千年分の自分を一瞬で経験した。新品のパルテノン神殿から始まるその記憶が終わった際、鈴姉さんにとって俺は、しっかり者の弟になっていたらしい。自分が他家に嫁いだ以降も、大好きな姉を見つめる眼差しを変わらず向けてくれる、頼りがいのある弟。なんの見返りもなく可愛がってきた幼い弟がいつの間にか頼もしい若者に育ち、しかし姉を大切に思う気持ちだけは、昔とまったく変わらない弟。鈴姉さんの二千年の人生の中で俺がピッタリ符合したのは、そんな弟だったのだそうだ。とはいえ、


「鈴音によると、仲の良い姉弟というものは一筋縄ではいかないらしくてね。実の弟としか思えない眼前の少年に、実の弟と思われていることを知られるのは癪に障る、と感じるが姉なのだそうだ。翔君に息子の話をした背景は、それなんだって。姉とはそういうものだと、どうか大目に見てあげて欲しい」


 もちろんです、と俺は胸を叩いた。続いて、俺も鈴姉さんを実姉と感じていることを素直に明かす。1メートルも離れていない場所に座る雄哉さんにそう語り掛けただけなのに、台所から「よかったね鈴音」との小鳥姉さんの声が聞こえてきてやっと、俺は自分の見落としに気づいた。ここは深森夫妻の家なのだから、窓辺のテーブルで交わされる会話を鈴姉さんに届ける機能があっても、不思議はなかったんだね。

 けどまあ、大好きな姉の家にお邪魔した弟なんて、そんなものなのだろう。それに、


「翔、夕飯ができたよ。こっちのテーブルにいらっしゃい」


 姉が手作り料理を食べさせてくれるなら、文句など素粒子一つたりともないのが体育会系腹ペコ弟なのである。雄哉さんに「ご馳走になります」と礼を言った俺は、雄哉さんと達也さんに羽交い絞めにされ、料理がてんこ盛りの方のテーブルに向かったのだった。


 それから30分ほど、やたらニコニコする鈴姉さんと小鳥姉さんを拝ませてもらった。と言っても、俺は無我夢中で夕飯をかっこんでいただけ。絶品料理をただひたすら食べ続けただけなのにこうも嬉しそうにしてもらえるなんて、俺はなんて幸せなのだろう。その幸せも加わった料理はあまりにも美味しく、呼吸より咀嚼を優先した結果、俺はしばしば酸欠寸前になった。その都度両側から「懐かしいなあ達也」「ああ、懐かしいなあ裕也」との声が聞こえてきて、「「ほらこれも食え!」」と俺の皿におかずを盛りつけてもらえたことにも、俺って幸せだなあとしこたま思わせてもらった。

 食べ過ぎて動けなくなり、失礼だが床に寝転ばせてもらって迎えた、午後7時半。今度こそ俺は深森家をお暇した。鈴姉さんは相変わらず寂しげにしていたけど前回より幾分和らいだように感じられ、小鳥姉さん曰くそれは俺に夕飯を振舞ったかららしい。心を込めて作った料理を、成長期の若者が無我夢中で食べる様子は小鳥姉さんによると、「女の本能にドストライクなのよ」とのことだったのである。それなら何となく解ると同意する反面、さっきのお二人の笑顔が瞼に蘇るや、男には永遠に解らないことなのかもしれないと思わずにいられなかった。

 深森夫妻の飛行車に乗り込み、ドアが閉まる。反重力エンジンの駆動音がしてさあ出発となった寸前、鈴姉さんが飛行車に駆け寄ってきた。地球の車ならドアガラスを下げればいいだけでも、飛行車にその機能はない。さてどうしようかと思案した俺の心の耳に、鈴姉さんの声が届いた。


『無理は承知でお願い、次はせめて二か月後にして』


 唇の字を充てる方の読唇術でも、それを読み取れたと思う。けどそのとき俺が見つめていたのは鈴姉さんの必死の形相だったから、心の字を充てる読心術の方を俺は使ったのだと思う。「わかりました、では二か月後に」 俺のその返答も、読心術で伝わったみたいだ。その証拠に、


『またね、姉さん』


 心の中でそう呟くや、鈴姉さんは満開の笑顔になってくれたからさ。

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