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その後もゴブリンに負け続け、そしてその全ては俺のせいだった。ゴブリンを瞬殺できなかったことが、敗北の原因だったのである。耐えられなくなり美雪に頼んだ。「ゴブリン2体と僕だけでする、自主練をしばらくさせてください」 皆がいないなら、皆が屠られる場面を見ずにすむ。だからどうかお願いしますと、泣いて頼んだのだ。けど美雪は首を縦に振らなかった。理由を尋ねても、「自分で考えなさい」とそっけなく応えるだけだった。美雪が俺を不幸にするはずがない、自主練を許されないことには理由がちゃんとあるんだ。俺は自分にそう言い聞かせ、仲間達に迷惑をかける罪悪感に耐え続けた。
それから1か月が過ぎても、自主練を許してもらえない理由は分からなかった。一方、ゴブリンを瞬殺できない理由は嫌というほど知った。ゴブリンを瞬殺する白薙の振り方は、二通りしかない。右上から左下へ振るか、左上から右下へ振るかしかないのだ。また振り方は異なっても、斬る場所は同じだった。それは、尾骶骨の上部。そこを斬り、尾骶骨を骨盤から切り離して瞬殺することに、変わりはなかったのである。
それが、俺にはできなかった。最も多かったのは、切っ先が尾骶骨に届かないことだった。背後から気づかれずに近づけば届いても、正面突撃のすれ違いざまでは、大腿骨の上部が精一杯。それより上を斬るべく滑空位置を上げたら、たとえフェイントをかけてゴブリンの反応を送らせたとしても、棍棒で殴られてしまうのだ。よって言うなればこの1か月は、棍棒の範囲外から切っ先を届ける方法を模索した1か月だった。
その模索の中には、『もっと長い白薙に替える』というのももちろんあった。これが一番簡単、かつ状況に応じて武器を替えるのは理に適うはずなのに、美雪はこれも許可しなかった。ただ「今はまだ説明できないの。来年の3月下旬まで待って」と、涙ながらに頼まれたのは自主練と違っていた。美雪に泣かれたら、否を唱えられる訳がない。美雪の背中をポンポンしつつ、わかったから泣かないでと、俺はバカのように繰り返したものだ。
話が逸れたので元に戻そう。
かくして棍棒の範囲外から切っ先を届ける方法を模索し続けた俺は1か月後、ある結論に至った。それは、『すれ違いざまの速度をもっと速くしなければ、どんなに工夫しても無理』というものだった。そう俺は、走る速度が遅すぎたのである。これは、バッティングセンターを例に挙げれば解りやすいだろう。
バッティングセンターでは、ボールの速さを選べる。そして言うまでもなく、ボールが速くなればなるほど、打ち返すのが難しくなっていく。ボールがバットの範囲内を通過することを知っていても、速ければ速いほど打ち返すのが困難になるのだ。これと同じことが俺とゴブリンにも起きていると、結論づけたのである。
するとその途端、長い白薙を使わせてもらえなかった理由も解明できた。今の速度でも長い白薙に替えさえすれば、切っ先を尾骶骨に届けられる。だがゴブリンは、最弱のモンスターでしかない。今の速度のままでは、上位種のハイゴブリンはどう足掻いても倒せない。よってその時になって速度を上げる訓練を慌てて始めるのではなく、今のうちに気づいて少しでも早く始めなさい。と美雪は心の中で言っていたことに、俺はやっと気づけたんだな。
そしてありがたいことに、その方法に見当はついていた。それは、輝力。幼稚園年長組の俺が高校3年生の100メートル走のタイムを出せるのは、ひとえに輝力操作のお陰。輝力を操れるから身長が114センチしかなくても、100メートルを14秒で駆け抜けられるのだ。ならば俺が知らないだけで、走行速度を上げる輝力の操作法があるのではないか? 闇戦士の強さは9段階あってゴブリンは最弱なのだから、輝力操作で走行速度を桁違いに上げないと、最上位の闇王を討ち取れないのではないか? 俺は、そう考えたのである。
誕生時の俺が輝力操作スキルを持っていなかったことも、この考察を後押しした。輝力操作を習得するのに、俺は1年を要した。それは俺がスキルを持たなかったからであり、持っている子供達は俺ほど時間をかけなかったはず。かつその子達は、自ずと気づいたと思われる。輝力をこう利用すれば走行速度を上げられるのだな、と。
考察を後押ししたものは、もう一つあった。それは俺が、孤児院に一切帰らなかったこと。帰ってさえいれば、自然と耳に入ったのではないか? 「速く走る輝力操作をやっと身に着けたぞ!」に類する、子供達の声を。
といった具合に、『すれ違いざまの速度をもっと速くしなければ、どんなに工夫しても無理』と結論づけるや、極めて重要な様々な事柄に気づけた。仮に6歳の誕生日前にそれが起きていたら、美雪の下へ一目散に駆けていき、正誤を尋ねたと思う。会話できる人が美雪しかいなかったから、それ以外の選択肢が無かったんだね。
でも、今は違う。今の俺には、分隊の仲間がいる。亮介君や冴子ちゃんという、友人を超えた戦友が9人もいるのだ。実際の戦争も分隊で行うそうなので、分隊の仲間は命を預ける仲間となる。よって美雪だけでなく戦友達も、正誤を尋ねる候補に入れていいに違いない。と昼食中に確信した俺は、隣に座る亮介君にさっそく尋ねてみた。
「亮介君、走る速度を上げる輝力の操作法って、あるのかな?」
亮介君は僕の問いに、瞠目した。続いて美雪へ、超高速で顔を向ける。美雪は亮介君に、力強く頷いた。亮介君の顔がパッと輝き、それだけで俺の胸に温かさが広がっていった。そんな戦友を得られた幸せにニコニコする俺へ、亮介君は早口言葉の決勝戦に挑んでいるかの如くまくし立てた。
「もちろんあるよ! まずは輝力の流入量を増やして、次に輝力を圧縮して・・・・」
亮介君が教えてくれたのは、輝力圧縮という方法だった。圧縮する輝力量と速度の増加量には、平方根の関係があるという。たとえば通常の4倍の輝力を体の隅々にいき渡らせ、圧縮することに成功したら、体を動かす速度は2倍になる。4の平方根は2なので2倍、という寸法らしいのだ。9倍の輝力を圧縮したら速度は3倍、16倍なら4倍になるが、9倍や16倍にピッタリするのは少々難しく、小隊長以上でないと習得していない。したがって僕らのような子供はそれよりずっと簡単な、圧縮2倍から始めるのが一般的とのことだった。走行速度を上昇させる方法があると知り、俺が大興奮したのは言うまでもない。俺は希望の光に瞳を煌々と輝かせて亮介君に質問し、それが嬉しいのか亮介君も、瞳を燦々と輝かしていた。俺達は時間を忘れて会話し、そしてその中にこの話題があった。
「それにしても、なぜ平方根なのだろう。翔君は思い当たることある?」
「ん~、無関係かもしれないけど、動物が感じる時間は体重増加に伴いゆっくりになるのと、似ている気がするんだよね」
同じ60秒でも、象は短く感じてネズミは長く感じるという。またそれは寿命にも関わるため、動物特有の時間の流れを生物学では生理的時間と呼んでいるそうだ。
生理的時間は、体重の四分の一乗に反比例する。四分の一乗は、平方根を平方根すること。16の平方根は4、4の平方根は2で、その反比例は2分の1。つまり体重が16倍になると、生理的時間は半分になるだ。
アフリカゾウの雄と、カヤネズミを比較してみよう。アフリカゾウの雄の体重は、約7トン。対して日本の最小鼠の一つであるカヤネズミの体重は、約7グラム。よってアフリカゾウの雄の体重は、カヤネズミのだいたい100万倍になる。100万の平方根の平方根は、小数点切り捨てで31。つまりアフリカゾウの雄にとっての1秒は、カヤネズミにとっての31秒に相当するって事だな。
もっともこの計算式が、すべての動物に当てはまるのではない。特に人は、誤差が一番多い動物と言われている。ただネズミの寿命が平均2年、その30倍の60年が象の平均寿命ということからも窺えるように、当てはまる動物が多々いるのも事実らしい。
ちなみに動物の標準代謝量は、四分の三乗に正比例する。四分の三乗は、平方根の平方根を三乗すること。たとえば81なら平方根の平方根は3、それを三乗した27が、81の四分の三乗になる。よって体重が81倍になったら、標準代謝量は27倍になるってこと。俺と亮介君は、そういう話で盛り上がったのである。つまり、
「亮介君は数学に強いんだね、僕メチャクチャ嬉しいよ!」
「それはこっちのセリフだって。四分の一乗や四分の三乗に頬を引き攣らせないどころか瞳を輝かせたのは、翔君が初めてだよ!」
俺らはどちらも変人、もとい数学好きの子供だったのである。算数を好きな子は多くても、幼稚園児で分数の乗数を理解できる子は希少。冴子ちゃんも、輝力圧縮を話題にしていたころは会話に加わりたい素振りを頻繁にしていたが、今は俺達など存在しないかのように振舞っている。「対数は指数関数の逆関数!」「自然対数はネイピア数eを低とする!」「むむ、オイラはオイラ―数派!」「「「ギャハハ~~!!」」などと盛り上がっているのだから、当然だよな。ただそのせいで、
「時間を速める以外に対策はないのかな・・・」
との亮介君の呟きを冴子ちゃんが聞き逃したことは、巨大な損失に将来なるような気が何となくしたのだった。




