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俺は正座に座り直し、胸元で手を合わせた。そして瞑目し、先祖達にお礼を告げる。俺が未熟なのか、それとも他に理由があるのかは判らないが、先祖達の肉体意識の返事を聞くことは叶わなかった。でも、それで十分。標高8500メートルで、血中酸素濃度を100%に保てる。その事実が先祖との繋がりを明瞭に知覚させてくれたから、返事を聞けずとも俺はそれで十分だったのだ。
胡坐に戻し、脊髄に保管されていた先祖達の技法を体が使えるようになった事を、女性陣に報告した。すると女性陣が1人増え、4人になった。母さんが伝言を覆し、登場したのである。ピンと来て、尋ねてみた。
「母さんが美雪に『合宿中は訳あって会いに行けないし、訳も話せない』と伝言を頼んだのは、その方が先祖達の記憶を呼び覚まし易かったからですか?」
「そうよ。だって翔は、私が好き過ぎるから」
「むっ、予想していたとはいえド直球を投げられると恥ずかしいですね。俺が自分で仕組みを推測しますから、どうか羞恥のドツボに叩き落さないでください」
首肯してもらえたので推測を話した。母さんの姿を目に捉えたら今の母親ばかりに意識が向き、過去の母親達に意識を割かなくなる。それを回避すべく、母さんは姿を現さなかった。「そういう事ですか?」との問いに、母さんは「中途半端な子ねえ」と肩をすくめた。
「姿のみならず、声も妨げになるから伝言を頼んだの。あのね翔、中途半端にすると、事態はより深刻化するものよ。肝に銘じなさい」
美雪と冴子ちゃんとお姉さんのニマニマ笑いを見ていられず、俺は平伏した。すると超山脈より大きな優しさを持つ母神様はそれ以上追及せず、湧思が消滅した理由を簡単に教えてくれた。
それによると大抵の惑星には、他者と意識を共有しやすい領域が意図的に設けられているという。本体との再結合を成していない人がその領域にいると、共有しやすさが仇となり、他者の想いが自動的に湧いて来てしまう。それが、湧思の正体なのだそうだ。
「他者と意識を共有しやすい領域には、面白い性質があってね。人の想いが多いほど、領域が厚くなるの。人がまばらに暮らしている地域の厚さは、だいたい地表から400メートルまで。人口密集地だと、800メートルを超える厚さになることもあるわ。ただしこれは人々の想いの強い日中の厚さで、夜は薄くなる。また湧思が噴出する圧力は、厚さに比例してね。格段に薄くなり圧力も減る深夜に集中しやすくなるのは、そういう仕組みなのよ。人口が皆無だとかなり薄くなるけど、厚さゼロにはそうそうならない。でも、ゼロになる地域もある。それが超山脈のような、抜きんでて高い山なの。現に翔は今、湧思を感じないでしょ?」
「はい、感じません」
「ん、そういうことね」
「そういえば高山で一人暮らしをする聖者が多いのも、厚さゼロを求めているのですか?」
「完全再結合した人を大聖者、残り僅かの人を聖者とするなら、求めてのことね」
「ひょっとして、このドーム状の空間にも聖者が住んでいたとか?」
「ううん、ここは翔のような子たちのために用意した場所。遠慮せず利用するのよ」
謝意を述べたところ、「じゃね~」と母さんは去って行った。俯いたら、女性陣のニマニマは不可避となる。よってお姉さんに正対するよう座り直し、今後の気象を尋ねた。最初は健康チェック、続いて気象チェック、これがマニュアルだからさ。
「第五高原の現在の気温は-20℃、風速は20メートル。3時間後の降水確率は0%、6時間後も0%です。輝力の防風壁を持たない生徒が超山脈で訓練できるのは風速20メートルまでですが、翔さんは流線型の二重防風壁によって20メートルを2メートル程度に軽減しています。よって天候が急変しない限り翔さんに課せられているのは、午後4時までに第五山脈南峰を越えて下山を開始することと、午後6時までに下山を完了させることの二つですね」
第五高原は俺が今いる場所、南峰は俺がついさっき越えてきた峰だ。現在時刻は午前11時18分、疲労と空腹は皆無。それを踏まえ、お姉さんに請うた。
「現在地から25キロ以内の、第五高原の休憩所を地図に表示できますか?」
もちろんですと答え、お姉さんは空中に地図を投影する。ここから真北へ5キロ進むと、同種の休憩所があるみたいだ。休憩所を示す記号は東へ10キロちょいと西へ10キロちょいの場所にもあり、またそれぞれの真北5キロにも記号があった。ああ、なるほど・・・・
「合宿所の真北へ線を引き、第五高原と交差した北端と南端に休憩所はある。そしてこの休憩所には回転機能があり、出入り口を常に風下へ向けている。こんな感じですか?」
ご名答~と美女三人に拍手され、盛大に照れてしまった。けどそのお陰で、元気に益々磨きがかかったのも事実。思春期男子なんて、そんなものだね。
その後、これ以降の計画を発表した。「11時25分にここを出発。目的地は、真北5キロにある北休憩所。高原の地形に慣れるまでは、輝力圧縮16倍の安全最優先の速度で歩く。慣れたら、歩行速度を徐々に上げていく」 との計画に三人とも賛成してくれたので数分を歓談に充てたのち、俺は休憩所を後にした。
おそらく気象をコントロールしているのだろう、第五高原に積雪はほとんど無かった。気象コントロールによって積雪をほぼゼロにできるなら、この高原を深い雪に埋もれさせるのも可能と思われる。いかに闇王といえど、積雪10メートルの高原を横断するのは大変だろうな。
高原には、高さ3メートル幅3メートルほどの岩が、まばらに敷き詰められていた。この「まばら」というのが曲者だった。仮に等間隔だったら、忍者アニメのように岩から岩へ跳び移れただろうが、まばらでは無理だったのである。幸い岩は硬く凸凹が多数あるため、足場には事欠かかない。ここが低地なら、足腰の鍛錬に最適と絶賛する生徒がいてもおかしくないと思えるほどだ。いや、足腰の鍛錬に最適の岩を意図的に配置したというのが、正解なんだろうな。
輝力圧縮16倍にしたのは、16倍までなら可変流線形を二重に出来るからだ。何気にこれは、ほんの1時間ほど前に発見したこと。南斜面を登っているさい風速が急に増し、閃いて可変流線形を二重にできるか試したところ、あっけなく出来てしまったのである。ただ二重にするのは今のところ、16圧が上限。これを超えると流入する輝力が暴れ川のようになり、その制御で手いっぱいになってしまうからだ。しかしその暴れ川の制御は輝力操作の訓練になるはずなので、学校に帰ったら美雪と話し合い、長期計画を立てる予定になっている。
風速2メートルならどの方向から吹いても、跳躍中の軌道に変化はない。加えて、ふわりと着地する軽業を12年間続けてきたことが活き、岩から岩へ跳躍することにすぐ慣れた俺は、速度をグングン上げていった。すると目標の時速8キロに、たった2分で到達してしまったのだ。ジョギングは時速7キロ未満、ランニングは時速8キロ以上が目安だから、ランニングの下限の速度といったところだろう。とはいえ16圧中なので傍から見たら、時速32キロなんだけどさ。
5キロの距離を時速32キロで進むと、9分半弱で走破する。安全を最優先した時間を加えても北休憩所まで13分しか掛からず、11時38分に着いてしまった。これにはさすがに、冴子ちゃんがキレた。私がこの高原でどれほど苦労したと思ってるよのムキ~、と怒りまくったのである。かくして、
「もう我慢できないわ、アンタは適応が早すぎよ、この変態!!」
「ヒエエ、冴子ちゃんどうか許してください~~」
怒髪天を衝く冴子ちゃんを必死で宥めたことが、今日の登山で最も疲れたのは、内緒にしている。




