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「くっくっくっ、みんな気が緩んでないか?」
俺は不敵に笑ってみせた。大根役者なのは承知しているけどどうか許してと胸中懇願しつつ、中二病的なセリフを吐いてゆく。
「ここに宣言する。俺が1千キロ走に合格するのは、今日だ。そして明日は、超山脈の第五山脈登頂を成し遂げてみせる。さあ、皆に問おう。俺が皆に先んじるのは3年なのか? 2年なのか? それとも1年なのか? 返答を聞かせてくれ」
その数秒後、俺の周囲で食事をしている数十人が管理AⅠに「静かになさい!」と叱られた。みんな激高し「「「1年だ!」」」「「「バカ野郎1年未満だ!」」」等々を、口々に叫んだからだ。叱られても怒り心頭の奴らは多数いたが、管理AⅠに「遅刻せぬよう起こしてもらったお子様と私に思われたくないなら、その怒りをやる気に替えてごらんなさい」と挑発されたら、やる気に替えるしかない。全員が猛然と食事を再開し、無言状態が食事時間終了まで続いた。そんな皆の様子に俺は心の中で盛大にアワアワしつつも、一口につき咀嚼を百回することをどうにか完遂した。1千キロ走を開始する7時半までの消化吸収率を最大にすべく、咀嚼を100回に引き上げたんだね。
ありがたいことに、食事時間が終わるころには俺の胸中にみんな気づき、不敵な輩の件を許してくれた。「お前が大根役者だったお陰で気づけたぞ」系のヤジに、皆で笑ったものだ。勇を始めとする特に仲の良い奴らは怒る演技をしていただけと知りつつも、やはり安堵せずにはいられなかった。
食事後、霧島教官の元を訪れ、予定どおり1千キロ走に挑戦する意思を伝えた。「許可する」の言葉に続き、マットレス屈折起床と、さっきの宣言で皆のやる気を喚起したことの二つについて、お礼を言ってもらえた。俺は最高の敬意をこめ、霧島教官に敬礼した。
食堂を後にしてからは所用を素早く済ませ、7時20分まで横になった。横になるだけで眠らず、輝力を消化器系に集め消化吸収の促進に努めた。それが実りベッドを離れた際、胃に重みを一切感じなかった。朝食を大量に詰め込んだのに、まったくもって凄い体だ。
食堂で今日も野戦食を支給してもらった。教官達がこれをゼリーと呼ばない理由が、今なら解る。5時間走合格後に野戦食を摂ったら、皆もきっと解るんだろうな。
準備運動をしつつ、俺に割り振られた訓練場へ向かう。後方三回宙返り三回捻り後、他の学校の生徒に尋ねられた。「軽業は有用なのかな?」 俺は体ごと北へ向け、超山脈を仰ぎ見る。「明日、超山脈に登る予定なんだ。有用だったかは下山後に答えるよ」 するとそいつは、「今日もここでお前の合格を祝うつもりだ。足を運んだことを、後悔させるんじゃねえぞ」とニカッと笑った。他校生初の友人になるのはコイツだったのかと、俺は思った。
カウントダウンが始まり、ゼロになる。プランBの、時速125キロで俺は走り出した。この速度を選んだ最大の理由は、25時間走行を20時間走行に短縮できることにある。昨日走ってみた結果、速度を上げて時間を減らす方法が俺には合ってるって判ったんだね。二度ほど口にしているように、明日は超山脈に登るつもりだから、早く帰って早く寝たいというのも大きかったな。
輝力圧縮25倍の100メートル走14.4秒で軽快に走り、確実に距離を稼いでいく。昨日の疲れは微塵も残っておらず、また1時間が経過した現時点における疲労も皆無と言えた。これは神話級の健康スキルもさることながら、可変流線形の防風壁のお陰でもあると俺は考えている。空気抵抗は速度を上げるにつれ幾何級数的に大きくなり、だいたい時速40キロで、前進エネルギーの半分を空気抵抗が奪うようになる。現在の時速25キロではそこまで奪われはしないが俺は今、追い風を背に受けているときの、風の抵抗のほぼない状況で走っている。これが20時間も続くのだから、可変流線形のもたらす温存エネルギーは莫大に違いない。気分高揚への貢献度も非常に高く、その証拠にランナーズハイが昨日の往路より早く訪れたようだ。まだ19時間残っていることだし、ランナーズハイと瞑想を巧く利用して、無我の境地に入らせてもらう事にしますか・・・・
との試みは、昨日以上に成功したらしい。
「もしも~し。そろそろ起きて翔」「うん、お早う・・・・って、美雪が変なこと言うから『お早う』って応えちゃったじゃん」「ふふふ、あながち間違ってないよ。だって翔の脳波は、シータ波とデルタ波を行き来していたから」「どわっ、アルファ波どころじゃなかったんだね」「うん、そうね。ちなみにシータ波とデルタ波を、大雑把に説明できる?」「えっと、睡眠に絡めてざっくり言うと、シータ波は浅い眠りの脳波で、デルタ波は深い眠りの脳波だったかな。境界は、4ヘルツだったような」「正解。一般的に脳波が穏やかになるほどリラックスしていて、アルファ波は13~8ヘルツ、シータ波は8~4ヘルツ、デルタ波は4~0.5ヘルツね。瞑想の巧者が瞑想中にシータ波を出すのはザラだけど、1千キロ走行時にデルタ波の境界まで脳波を下げるのは、変人や変態のレベルと私は思うわ」「変人や変態って、酷いよ美雪!」「アハハハ~~」
てな具合にワイワイやっている内、500キロ地点まで残り30秒のカウントダウンが出た。ドローンが「祝、往路走破!」の3D横断幕を映してくれているあそこが、500キロのゴールなのだろう。ということはあと30秒ちょいで、超絶美味の野戦食をまた味わえるっつう事ですか! ウオオォォ―――ッッ!!
と俄然やる気になった俺は無意識に36圧で残りを走ってしまい、美雪にちょっぴり怒られたのだった。
二回目だったからだろう、昨日より落ち着いて野戦食を味わったのに、所用をすべて終えて横になったのは、昨日より2分半早かった。たった30分しかない休憩時間において、2分半の価値は絶大。実際、22分半の熟睡を終えた今の俺は、昨日以上に元気だった。よってそれを踏まえ、決をくだす。
「美雪、復路もプランBで走る。あと今日は、残り10キロから36圧を発動し、最後の2キロを全力疾走にしようと思う。目印となる、二本の旗をヨロシク」
「了解。では、カウントダウンを始めます」
カウントゼロと共に、遥か超山脈を目指し俺は走り出した。富士山を写真撮影できる最も遠い場所は、たしか紀伊半島東部の320キロほどの地点だったはず。ここはそこより180キロ遠いが、8600メートルの高さと澄んだ空気と視力20に助けられ、正面だけとはいえ超山脈をはっきり目視できる。あの巨大な山脈がこうも小さくなる距離を、己の脚力だけを頼りに走って来た達成感は、正直半端ない。これと同等の達成感を20時間後に再び味わうべく、俺は黙々と脚を動かしていった。
20時間という長さを苦にしないコツは、ランナーズハイに少しでも早く入ること。それを重々承知していても、前世の俺が「復路は上り坂だからアレを試せ」と囁いているのも事実だった。アレとは、前世の俺が坂道ダッシュを経て編み出した、特殊な走法を指す。虚弱体質に生まれた俺がインハイ決勝を走れたのは、偏にあの走法のお陰。一般的に、胴体を固定した方が走行速度は上がるとされているが、俺は5年に及ぶ坂道ダッシュを介し、骨盤を積極的に動かす新走法を開発した。転生後もその走法をもちろん取り入れており、2千メートルダッシュの俺の秘密兵器になっているが、昨日と今日の長距離走では使わなかった。それはズバリ、あの走法は疲労が激しいからだ。そうあれは、短距離走専用の走法。20時間走り続けるという超長距離走では、本来なら決して使ってはならない走法だったのである。
なのになぜ、「アレを試せ」と前世の俺が囁いているのか? 理由は明日の、超山脈登山にある。急斜面の上り坂を高速走行するために開発したあの走法は、傾斜角30度の超山脈の登山でも、効果を発揮するに違いなかったんだね。
ただ超山脈は、超が三つ付くほど危険な場所。そんな超々々危険な場所で疲労の激しい走法を用いるなど、本来なら決して許されないだろう。しかし二つの要素が、アレを試せという囁きを正当化しているのも事実だった。「縦断試験は7年後」と「神話級の健康スキル」の、二つがそれだ。試験までの7年間を工夫に費やせば、疲労を軽減する画期的な方法を見つけられるのではないか? 超々々危険な場所で試行錯誤するのは命取りになりかねないが、神話級の健康スキルを活かせば危険性を減らせるのでないか? この二つの自問を、「否」と俺は一蹴できない。神話級の健康スキルをせっかく持っているんだし、試験まで7年もあるのだから、ぜひ挑戦したい。心の隅でどうしてもそう思ってしまうのが、偽らざる本心だったのである。が、
「ん~~、やっぱ心を鬼にして止めるか」




