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20分の熟睡は3時間の休憩に匹敵するというのは、俺には適用されなかったらしい。その理由は間違いなく、神話級の健康スキルにある。たった20分の熟睡にもかかわらず、目覚めた心と体に素粒子一個分の疲労も残っていなかったのだ。準備運動でそれを確信した俺はプランCを棄却し、ついでにプランAも捨て、プランBの採用を決めた。
「美雪、疲労は皆無だ。合宿所までの300キロを、プランBで走ろうと思う」
「100メートルを18秒ではなく14.4秒で走り、輝力圧縮25倍は変えないプランB、了解しました。翔、無理はしないでね」
「無理はしない、約束するよ」
プランCは、ドローンに乗って合宿所に帰ること。5時間走の合格を既に得ているから、ドローンを使っても合格が取り消されることは無いんだね。しかしそれでは、長距離を全力疾走できる得難い機会を無駄にすることになる。よって休憩後に疲労が残っていないなら、プランCを棄却することを俺達は最初から決めていたのだ。
5秒前のカウントダウンが視界右端に映る。1秒前に25圧を発動し、カウント0でスタート。休憩前より25%早い時速125キロで、俺は走り始めた。
300キロの道のりを時速125キロで走る所要時間は、2時間24分。出発したのは午後2時なので到着時刻は計算上、午後4時24分になる。とはいえそれにこだわらず、125キロ走行は無理って判断したら、100キロ走行にすぐ戻すけどさ。
緩やかな下り坂を走った往路とは逆に、帰路は上り坂になる。休憩前の時速100キロ走行では上り坂の悪影響は無かったけど、125キロではどうかな? との疑問を解くことも兼ねプランBで走ったのは、俺の体感時間で1時間が経過した今のところ、大正解だったようだ。肉体疲労を一切感じないだけなら正解どまりだが、「速く走れて気持ちいヒャッハー!」と心が喜んでいるのだから、大正解が妥当なんだね。まあ「ヒャッハー!」がこのまま11時間続くかは、まだ分からないけどさ。
と思っていたのだけど、
「もしも~し。翔、聞こえてますか~」「あれ? どうかした美雪」「どうかしたもなにも」
とのやり取りを、今回も繰り返すことになってしまった。いやはやホント、ランナーズハイと瞑想の相乗効果おそるべし、である。
「翔の時間感覚では、あと4分30秒で合宿所に着くわ。距離は、残り9キロちょっとね。スキャンした限り、翔の健康度は100%。あり得ない数値なのは置いて、試したいことがあるなら相談に乗るよ」
「ふむ。残り2キロを全力疾走したいんだけど、どうかな?」
「翔が時速125キロで走っているのは、合宿所の管理AIに通達済。それを受けゴール手前4キロを、左右21メートルずつの無人地帯にしてくれている。2キロを全力疾走しても、安全上の問題はないわね」
「なら、走ってみたい。美雪、残り2キロになるカウントダウンと、2キロ地点に目印の3D旗をお願い」
「了解。翔、頑張って!」
残り3分台のカウントダウンが視界右端に表示された。3D旗は、30秒前に投影するらしい。その旗の横を全力疾走の36圧で駆け抜ける様子をイメトレしていたら、気づいた。そういえば36圧だけなら、もっと早く発動して良いんじゃないかな?
「美雪、36圧だけならもっと早く発動して良い気がするけど、どう思う?」
「36圧の最長時間は、翔の体感で約2分。その代わり通常時間の5分間に4回発動しても、問題は一切なし。う~ん、倍の4分間なら問題ないと思うけど、翔の直感は?」
「うん、4分間を試してみるよ。36圧発動の旗も、追加でお願い」「了解」
美雪の了解の声を聞くや、約100メートル先に「36圧発動」の旗が出現した。驚きつつ暗算したところ、ゴールの7キロ手前が36圧発動地点だった。危ね~~!
などと考えている内に一本目の旗が迫って来たので準備をし、そして横に並ぶや、
グンッ
時速125キロが一瞬で時速150キロになった。圧縮比率を変えると同時に速度も変わる経験を初めてしたのは、6歳半ば。かれこれ7年近く経っているのに未だ不思議と思うのは、地球人の常識がまだ残っているからなのかな?
いや今はそれよりも、36圧の調査を優先せねばならない。母さんの組織に所属しているお陰で、俺は難度の一段高い輝力圧縮法を習得している。俺の戦闘順位では、輝力保管庫に貯めた輝力を消費するのが一般的な方法。たとえば保管量が360なら、36圧の持続時間は10秒、9圧の持続時間は40秒といった感じだ。保管量と輝力量はほぼ同義なので、輝力量が多いほど高速戦闘が可能になる。輝力量が三大有用スキルとされている主な理由は、それだね。
しかし勇のような戦闘順位二桁の生徒達は、体内に流入する輝力量自体を増やすという、難度の一段高い方法を習得している。流入する輝力量を36倍にしたうえで、36圧を発動するのだ。この方法の利点は、保管庫の輝力を別の用途に使えることにある。輝力工芸スキルを使い、敵の攻撃を逸らす輝力壁を出現させる等々がそれだね。勇たちはこの方法を素質で身に着けるそうだが、素質のない俺が身に着けられたのは、ひとえに母さん達の講義のお陰。あの講義が凄いのであって、俺が凄いのでは決してない。慢心を防ぐために謙虚になっているのではなく、俺は真実そう考えている。いやホント、俺ってダメダメだからさ。
それは今は置いて、36圧の4分間発動をなぜ調査せねばならないかと言うと、多すぎる輝力は肉体に負担をかけるからだ。脳神経が焼き切れたり、人体発火によって体が燃え尽きてしまう事すらあるそうなのである。この星の人々は3歳から輝力に親しむため人体発火こそ免れるものの、許容以上の圧縮を長時間すると脳神経が疲弊し、神経衰弱を高確率で招くと言われている。生徒各自の圧縮上限と持続上限は教育担当AIが算出してくれるが、自分の感覚で把握可能になっておくのに越したことは無い。かくなる理由により、特に脳の状態を気にかける必要があるんだね。もっとも2分間なら毎日四回しているので、注意すべきは全力疾走に入ってからなんだけどさ。
そうこうしているうち二本目の旗が近づいてきた。あれ以降が、要注意。くどいけど36圧を2分以上発動するのは、今日が初めてだからね。という訳で二本目の旗と横並びになるや、
ダンッッ
俺は全力疾走へ移行。学校の2千メートル道を初めて走った時は若干疲れたけど、一か月以上経った今はさほど疲れなくなっている。だが油断せず、一歩一歩慎重に脚を使ってゆく。脚を後ろへ蹴り出すことのみに集中すると、ハムストリングスを痛めてしまう。お尻と膝の裏を繋ぐ筋肉のハムストリングスは、短距離走者が最も痛めやすい筋肉。この筋肉が肉離れを起こすことを日本の陸上界ではハム肉と呼んでいて、前世の俺も一度だけハム肉に泣かされたことがあった。幸い坂道ダッシュのお陰で脚を前に出す筋肉の腸腰筋を知らず知らずのうちに鍛えていたため、一度だけで済んだけどね。その腸腰筋を明後日重点的に鍛えられるよう、合宿初日に500キロ走のテストを受けたのだけどそれはさて置き。
「脳は全然平気っぽいな・・・」
と、俺は心の中で呟いた。引き続き注意するも、3Dの虚像ではない本物の紙の白テープがグイグイ近づいてくる。5時間走と1千キロ走の合格時のみ、本物の白テープをゴールに張ってくれると聞いていたとおり、俺もテープを切らせてもらえるみたいだ。そして遂にそれを腹で受け止め、プツンと切る。地球では既に廃れており記録映像で見ただけだったのに、転生後に味わえるとは感無量。しかも同じ学校の奴らが、
「「「「翔―――ッッッ!!!」」」」
と、声を揃えてくれたなら尚更なのだ。俺は減速しつつ右へ左へ顔を向け、どーもどーもとペコペコする。そのとたん爆笑が沸き起こり、釣られて笑っている教官達の元へ、呼吸を整えつつ近づいていく。そして十人の教官の中央に立つ霧島教官の前で停止し、直立不動で敬礼。敬礼を返されると同時に「休め!」の号令がかかる。足を肩幅に開き両手を腰で組んだ俺へ、霧島教官が語り掛けた。
「翔、5時間走合格、おめでとう。俺の教官歴40余年で初合宿の初日にこのテストを通過したのは、お前が初めてだ。誇らしいぞ」
「ありがとうございます!」
活舌良くそう応えたものの、本当はハテナマークで心の中は一杯だった。なっ、ななっ、なんですと~~?????
「空翔に通達する。本日1830の夕食参加は、自由とする。深夜に目覚めて空腹を覚えたら、食堂の賄いロボットに申し出て、食事を受け取るように」
「ご配慮、感謝します!」
好きなだけ眠れて好きな時間に食事できるなんて、幸せすぎる! ハテナマークなどどこへやら、俺の心は喜びで一杯だった。
「当初の予定を明日実行するか否かを、明日の朝食終了時までに報告するように」
「了解です、明日の朝食終了時までに報告します」
「よろしい。以上だ」
俺は直立不動に戻り敬礼。敬礼を返され、回れ右。そして五歩ほど歩いたところで、
「「「「「テメェコノヤロウ―――ッッッ!!!」」」」
学校の奴らに揉みくちゃにされてしまった。えっとですね、そりゃ嬉しいですが、汗の成分まみれで汚いからメッチャ恥ずかしいんですけど!!
との心の叫びに反し、皆と一緒にただただひたすら、笑い転げていた俺なのだった。