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「了解です!!」
霧島教官と敬礼を交わす。次いで10人の教官全員への礼として腰を折り、左向け左でその場を去った。後方から「彼が噂の?」系の小声が複数聞こえてくる。それを振り払うべく、許される最速の早歩きで俺は昇降口を目指した。
昇降口を出たのが、8時25分。準備運動を30秒すれば全力疾走2千メートルをこなせるよう鍛えていても、今から走るのはその400倍にあたる、800キロ。俺の教育担当AⅠの美雪が過去10年の訓練実績から800キロ走を可能と試算していても、何事も油断厳禁が鉄則。俺に割り振られた訓練場所を目指しつつ、入念に体をほぐしていった。
1人に割り振られる合宿所の訓練場の幅は、11メートルしかない。東西11キロを誇る訓練場も1千人で分割したら、1人11メートルにしかならないんだね。合宿所から遠い場所を振り分けられた生徒は、自分用のドローンに乗って移動することになる。いやアレは、乗るなんて代物ではない。ドローン下部に長さ2メートル半の棒を溶接し、その先端に設けられた足置き場に両足を乗せて、棒にしがみ付くだけだからだ。シートベルトは一応あり、かつ防風の行き届いた無慣性飛行だろうと、体がむき出しの状態で秒速200メートルを体感するため「トイレだけは絶対にすませろ、絶対だぞ!」と、先ほどの会合で霧島教官は口を酸っぱくして言っていた。噂だけど恐怖のあまり、小便はおろか大便も漏らした生徒が過去にいたらしいのである。ヒエエッッ!!
それに比べたら、俺は恵まれ過ぎている。なんせ、昇降口の真正面の一つ隣が、俺の場所だからだ。真正面を使うのは言うまでもなく、戦闘順位二桁の勇。俺はそのお隣さんなので、マジありがたや~~
そうこうするうち、軽業を最後に持ってきた4分間の準備運動を終えた。なぜか俺の後ろをぞろぞろ付いてきた数十人の他校生達が「い、今の何!」「後方三回宙返り三回捻りを、輝力なしで楽々するのかよ!」とざわめいているが聞かなかったことにして、残り50秒を使い美雪が最終確認をした。
「輝力圧縮25倍と、100メートル18秒のタイムを、5時間維持する。ただし5時間は、4時間の南行と1時間の北行に分ける。方向転換は左右2レーンずつに人がいないなら、直径20メートルで行う。人の有無は私が文字と音声で告げる。翔、質問ある?」
「ううん、無いよ」「了解。ではカウントダウンを出すね」
19秒から始まったカウントダウンを横目で見つつ、頭の中で呟いた。「ぶっ遠しの25圧は4時間が最長だけど、5時間も平気だろう。問題は、100メートル18秒の方だな。俺の時間感覚だと25時間走り続けることに、なるんだよな・・・・っと、残り3秒か」
残り1秒で輝力圧縮25倍を発動した俺は体感5秒後、
ダンッ
地を蹴って最初の一歩を踏み出した。俺の時間間隔では100メートルを18秒のノンビリ走りで、しかし外部から見たら100メートルを3.6秒の時速100キロで、俺は走り出したのだった。
20歳の戦士試験の一次試験は、超山脈縦断。幅500キロの超山脈を3日以内に単独走破するのが、一次試験の合格基準だ。そのための訓練ももちろん用意されていて、最も有用なのは間違いなく、超山脈を実際に走ることだろう。実際に経験してみないと何も解らないのが、宇宙の真理だからね。
とはいうものの、超山脈は超々々のように、超が三つ付くほど危険な場所。よって超山脈を走る許可をもらうための試験を、国家は用意していた。それが、10時間以内に1千キロを走破する試験。午前7時半に出発し、30分のゼリー休憩を必ず一度設けて、午後6時までに帰ってくる試験だね。推奨されている輝力圧縮率と走行速度は二種類あり、一つは25圧の100メートル18秒、もう一つは16圧の100メートル14.4秒だ。人類軍の方針は輝力圧縮率の向上なため、どちらかというと前者がお勧め的な雰囲気がある。輝力圧縮率の向上は、言うまでもなく俺にとっても超重要目標。したがって圧縮率の高い、25圧の100メートル18秒を念頭に訓練を重ねていた。
のだけど、ぶっ通しで訓練できる最長時間は、戦士養成学校でさえ4時間と決められている。そう、さっき説明を後回しにした、合宿所に限り5時間訓練が可能なのはここに絡んでくるんだね。また25圧の方は学校でも4時間ならぶっ通しで訓練できても、100メートルを18秒で4時間走り続ける方は、どう工夫しても無理。かくなる理由により国家は、5時間訓練が可能な合宿所でのみ受けられる試験を導入した。10時間で1千キロを走破する試験に臨むための試験、がそれだ。そしてそれこそが今まさに俺が挑戦している、「輝力圧縮25倍と100メートル18秒のタイムを5時間維持し、500キロをノンストップで走る試験」だったのである。
この5時間試験は通常、3年生で挑戦を始めて4年生で合格するのが一般的らしい。合格を阻む最大要素は、25時間走り続けることとされている。時間が五倍速く流れる状況で5時間過ごすのだから、本人にとっては25時間になるってことだね。これに対応すべく戦士養成学校で支給される戦闘服には、汗と尿をろ過して飲料水にする機能が備わっている。孤児院の2年生あたりからろ過水を飲んできた俺の正直な感想は、「さすがアトランティス、冷たくて美味い」になる。服の冷房機能を利用して冷たくしてくれるので、じゅうぶん美味いと思えるのだ。自分の汗と尿だし、慣れれば平気かな。
戦士養成学校で支給される戦闘服には、本人が希望すれば大便を快適に保管する機能も付けられるみたいだけど、俺はパスかな・・・・
話を戻そう。
汗と尿のほかにも、25時間ぶっ遠し走行には「飽きて眠くなる」という敵もいる。けどこれは、脳内麻薬によるランナーズハイがほぼ全員に訪れるので、さほど問題視されない。空腹もあまり問題視されず、その理由は輝力圧縮にある。輝力を10倍以上に圧縮すると大量の輝力が体を満たしているからか、空腹を感じなくなるのだ。大量の輝力が体を満たしている効果は膝やアキレス腱にも現れ、準備運動と整理運動を適切にすれば怪我を回避できるのは実証済。土の大地を走っているのも、脚に優しいんだろうな。
このように25時間ぶっ遠し走行は、適切な対応をして慣れさえすれば、比較的容易と言える。むしろ100メートルを18秒や14.4秒で走り続ける体力を身に着ける方が難しく、そしてこの「体力を身に着ける」というのが、合格者が15歳や16歳に集中している理由らしい。アトランティス人の発育度を元に計算すると、その体力を身に着ける平均年齢が、15~16歳なのだそうだ。よって焦る必要はまったく無いのだけど、
「ああやっぱ、俺は走るのが好きなんだな」
と感嘆した俺のように、適正があれば1年生や2年生でも挑戦可能になっている。戦士の一次試験に超山脈縦断が採用されているように、脚力のある戦士は戦争の生存率が高いそうだから、美雪と約束している俺としては挑戦一択って感じかな。
あと長距離を実際に走ってみて初めて知ったのだけど、瞑想と長距離走は好相性なのかもしれない。特に今のような、どこまでも透きとおる青空のもと緩やかに傾斜する下り坂を大地を踏みしめつつ走るという状況は、持久力に恵まれているなら瞑想に打ってつけのように感じる。座禅を組む禅に、歩きながらする立禅があるのも、同じ理由なのかもしれないな・・・・
といった具合に、ランナーズハイと心地よい瞑想の重ね掛けのような状態だったのが、途轍もなくよかったのだろう。
「もしも~し。翔、聞こえてますか~」「あれ? どうかした美雪」「どうかしたもなにも、そろそろ方向転換の時間よ」「ん? 方向転換って何だっけ?」「ぷぷ、アハハハ~」「チンプンカンプンだけど、俺もアハハハ~~って、やっと思い出したよ。俺は今、五時間走の最中だったんだね」「まったく、走る才能がありすぎるのも考えものね」「ごめんごめん。で、そろそろ折り返し地点なんだね。周囲に人はいる?」「ううん、いないわ。方向転換は、翔の体感時間で約1分半後。目の良い翔なら12キロ前方の、ドローンが地面に映している3D映像を目視できるでしょ」
言われたとおり宙に浮いているドローンと、その直下に投影された巨大な円錐形の3D映像を目視できた。ただ、円錐形の下部は丸いアトランティス星に遮られて見えない。う~む星って、ホント丸いんだな。
「翔、覚えていても傾聴して。直径20メートルの円周上で行う方向転換を軽視して足首を捻挫し、不合格になった生徒が少なからずいるわ。翔なら、タイムロスをすぐ取り戻せる。だからしっかり減速して行ってね」「了解」




